起業の先人に学ぶ

ベンチャー企業目利き委員会がA判定 高校教師からHP制作会社設立へ【ウェブマックス】

歴史学者をめざして勉強していた京都で、ウェブ制作会社を興した渡辺康一氏。呉服店のホームページや京都観光のポータルサイトなど、"京都"らしさをアピールするサイトの構築により独自の地位を獲得した後は、"大量コンテンツを手軽に更新する"という機能で、受注エリアの拡大をめざす。

渡辺康一(わたなべ やすかず)
1969年山梨県生まれ。龍谷大学大学院文学研究科終了。高校の社会科講師時代に副業でウェブ制作を開始。99年、ウェブマックス合資会社を設立、03年に株式会社化。ウェブ制作のほか、京都のまちづくりにも取り組み、06年からは芋菓子の製造販売にも乗り出している。

「月給7万円では生活できない」と起業

代表の渡辺康一 氏
代表の渡辺康一 氏

——もともとは、歴史学者志望だったそうですね。

子どもの頃から、図書館の本を片っ端から読んでしまうほどの本好き、それも歴史関係の本がとくに好きだったこともあって、将来は歴史学者と思っていました。一方、コンピュータも好きで、中学時代には、米国の映画『ウォーゲーム』を見て、真剣に"ハッカーになりたい"なんて思っていた時期もありました(笑)。

京都の大学に進学してからは、「コンピュータにはまったら、歴史の勉強に集中できない」と、あえてコンピュータからは遠ざかっていました。それが、阪神・淡路大震災で神戸にボランティアに行った際、パソコン通信で避難所同士が情報交換し合う状況を目の当たりにして、「はまるとか、はまらないとかいうレベルの問題じゃない。これからはインターネットがインフラになる」と確信し、早速モデムを購入、それからはインターネットにのめりこみ、ホームページ(HP)もたくさん作りました。

——起業のキッカケは何でしょうか。

インターネットにのめりこみながらも、やはり目標は、歴史学者になることでしたので、大学の博士課程のころは、高校で社会科の講師をしていました。ところが、リストラで、理科室の助手にされてしまった。歴史を教える替わりに、フラスコを洗うという不本意な毎日を過ごしていたところ、学校が新しく情報教室を作るというので、そちらを手伝うことになりました。

コンピュータの設定をしたり、教材を作ったりと、かなり高度な仕事をしていたのですが、給料は手取りで12万円。当時のHP制作の相場が1日30万円と聞いていたので、学校に賃上げ交渉をしました。

学校側は、検討すると言ったのですが、大学での非常勤講師の仕事が週1回入ったことから、勤務日が減ったため、逆に、職員から時給700円のアルバイト扱いにされてしまった。その結果、給与変更後の最初の月給は、7万円!これじゃとても生活ができないと、学校を辞め、会社を興すことを決めました。99年のことでした。

起業後の半年間は売り上げゼロ。呉服店のHP制作に活路

——勇んで起業したものの、最初は売り上げがなく、たいへんだったそうですね。

最初は、飛び込み営業をしていたのですが、「インターネット?」、「ホームページ?」という状況で、ほとんど売り上げにはなりませんでした。そこで、広告を出したところ注文が殺到したのですが、今度は、代金をほとんど払ってもらえない。そんな状況が半年も続きました。そんなとき、京都のある呉服屋さんから、HPを作ってほしいという依頼があったんです。そこで、普通に売っても売れないだろうと思い、渋る社長を何とか説得してネットオークションを導入したところ、結果は、大成功。飛ぶように売れました。

HPの成功もあり、依頼主の社長から今度は、京都の観光ポータルサイトを作る仕事を任されました。そこで、専門分野だった歴史の知識フル活用して「e-京都」を作ったところ、京都市のベンチャー企業目利き委員会で最高ランクの"A"判定をもらい、これをキッカケに、いろんなところから、注文が寄せられるようになりました。

——町おこしや和菓子店の経営など、ITビジネス以外にも取り組まれていますね。

学生時代から京都に住みはじめ、10年以上経っているのに、なかなか京都の人には相手にされない。起業当初、そんな苦労をしたので、なんとか地元の人と打ち解けたいという思いがありました。

そんなとき、たまたま「楽洛まちぶら会」という京都の町おこしをしているグループと知り合いになり、一緒に三条通を活性化しようと取り組んだのが、「三条あかり景色」です。これは、三条通りの建物をライトアップしたり、壁にプロジェクターで動画を映し出したりするというイベントで、3回目となった06年には、15万人が訪れました。

一方、和菓子店の経営は、町おこしの活動で知り合った人から、たまたま後継者のいない和菓子店を紹介されたのがキッカケです。何か京都らしい商材のネット通販をしたいと思っていたこともあり、06年にその店を買い取り、和菓子の製造販売にも乗り出しました。IT事業とはまったく畑違いの分野なので当初はとまどうこともありましたが、この経験が、EC(電子商取引=ネット通販)の支援事業の強化にもつながっています。

実践主義でノウハウを蓄積、東京進出も視野に

——起業から8年。同業者も増え、競争も激しくなってきたのではないでしょうか。

かつてのウェブ制作といえば、少ないページをいかに格好よく作るかが課題でした。しかし、近年は、ホームページに掲載する情報量が格段に増えており、大量の情報を手軽に更新できる仕組みが求められるようになりました。コンテンツを簡単に更新できる仕組みとしてブログが最近注目を集めていますが、当社は、ブログが一般化する前から、大容量のコンテンツを手軽に更新できるコンテンツマネジメントシステム(CMS)を独自に開発しており、大手通信販売会社のサイト構築を手がけるなど、実績もあります。

こうした機能で、ほかのウェブ制作会社とは一線を画していけると考えています。このほか、大学などの研究機関と共同研究にも取り組み、開発したソフトを使った新しい事業も進めています。

——今後の展望を教えてください。

これまで、呉服店や京都観光のポータルサイトの構築、和菓子店の経営など、"京都"に関する事業を多数手がけてきましたが、最近は、"大量のデータを手軽に更新できる"点が評価されて注文になるケースが増えています。

こうしたサービスは、大企業に需要が大きいことから、今後は、東京など、大都市を中心として営業を展開していきたいと考えています。ただし、ベンチャー企業にありがちな急拡大はあまり考えていません。もともと研究者志望だったこともあって、これまでも、仮説を実証しながら理論を構築する形で事業を展開してきました。今後もこの姿勢に基づき、ミドルスピードで発展していきたいと思っています。

ウェブマックスのホームページ。これまで、手がけたサイトは、500以上。そのなかで、大容量のコンテンツを早く安く処理するノウハウを蓄積した。
ウェブマックスのホームページ。これまで、手がけたサイトは、500以上。そのなかで、大容量のコンテンツを早く安く処理するノウハウを蓄積した。
歴史好きの渡辺社長の好みを反映させて、オフィスの入り口には鎧や蛇の目などが置かれている。
歴史好きの渡辺社長の好みを反映させて、オフィスの入り口には鎧や蛇の目などが置かれている。
三条通の町おこしに取り組んだことから、後継者のいない和菓子店を紹介され、06年からは、和菓子店の経営にも取り組んでいる。
三条通の町おこしに取り組んだことから、後継者のいない和菓子店を紹介され、06年からは、和菓子店の経営にも取り組んでいる。

企業データ

企業名
ウェブマックス株式会社
設立
1999年5月
所在地
京都府京都市中京区三条通烏丸東入ル梅忠町24堀江ビル5F
Tel
075-253-6881

掲載日:2007年8月28日