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元気印 中小企業 独自の技術や発送を武器にがんばる日本各地の中小企業を紹介します

掲載日:2017年4月12日

[関東エリア]

小林研業
工夫を重ね、「磨き屋」を誇りある仕事に

新潟市西蒲区にある小林研業は従業員6人ながら大手企業とも直接取引をする企業である。取り扱うのは、電化製品から人工骨、電子顕微鏡に人工衛星と多岐にわたる。これらに用いる部品の表面を研磨することにかけて小林研業に並ぶものはない。小林一夫社長が高齢を理由に廃業を考えたときに取引先がこぞって引き留めた理由もここにある。小林研業は従業員への事業承継を果たすため新たなステージに進もうとしている。

  • 人のできないことに取り組むことで存在感を示す
  • 自分の発想をかたちにすることが独自性を育てる
  • ものづくり企業の模範となる職人づくり

人と同じことをやっていては人並み、人のできないことをやれ

若き日の小林一夫社長には多くの夢があった。農業協同組合の職員として働き続けることで、その夢をいくつ達成できるのか。そう考えていたころにある噂を聞きつけた。「磨き3年で家が建つ」――研磨業を3年もやれば家が建つほど儲けられるという。小林社長は多くの夢を叶えるため、磨き屋への挑戦を決意する。高度経済成長期末期の1970(昭和45)年のことである。

通常、磨き屋として独り立ちするには、技術習得のために2、3年弟子として修業する。しかし、小林社長はそれが待てなかった。そこで考えたのが、職人の下について技術を学ぶのではなく、職人を雇って技術を教わること。何とか2人の採用にこぎつけ、小林研業はスタートした。

ところが職人の世界は「見て覚える」世界。懇切丁寧に教えてもらえるわけではない。また、小林社長は経営者として職人を使わなければならないが、技術が分からないと指示もできない。そこで毎日夕食後に従業員全員分の翌日の仕事を一通りこなすことにした。こうして1年ほど技術を磨き、何年もやっている職人と同等のレベルの磨きの技術をもつようになる。

技術はあれど小林研業は磨き屋としては後発である。まだ若かったこともあり、同業者の集まりでは末席に座していた。ここで自分の存在感を示すにはどうすればよいか。小林社長は、人のできないことをやるしかないと考える。人のできないことは何か、これを聞きだすために小林社長は知り合いのメーカーの部長に会いに行く。そこでグレイビーボートの磨きを効率良くできる磨き屋がいないことを知る。小林社長はこの仕事を受け、2ヶ月半ほどかけて作業に習熟し、コスト削減を達成する。こうして徐々に業界でも認められるようになり、小林研業は創業から3年で名が売れるようになった。

技術力に強みのあった小林研業はバブル後の不況にも負けず好調を維持してきた。その事業に初めて影が差したのが平成10年頃。生産の海外移転である。当時年間7、8千万円の売上のあった仕事がマレーシアに移管され仕事を失う。同じころ同業者仲間と中国に視察に行く機会があった。そこで見たのは50人ほどの中国人が研磨をする姿。工賃は日本人の10分の1程度である。小林社長は中国でできるような仕事からの撤退を決意した。精度を要求される仕事に特化し、手での磨きに転換することにしたのである。このためにそれまで保有していた5台の機械のうち4台を人に譲ってしまった。機械があると仕事を受けてしまう。背水の陣で臨む覚悟であった。

小さな工場でもやり方を工夫すれば存在感を示せる

小林研業は「高いけど間違いがない」と評される。小林社長は、「検品しなくてもよいもの」を納めることにこだわる。小林研業の仕事では破棄不良がないことが特長だ。取引先としても結果的にコストを抑えられる。

こうして小林研業には、大手メーカーの下請け企業から社内でできない磨きの仕事が集まるようになった。材料も様々である。ノートパソコンのカバーではマグネシウム、プロジェクタの本体ではアルミニウムを磨いた。頼まれた仕事は何でも受けたため、近隣の同業者が鉄やステンレスの磨きを中心とするなか、小林研業ではステンレスやチタン、マグネシウムなどの金属に加え、ガラスやエボナイト、プラスチックの磨きをも扱うようになった。

小林研業の名をさらに広く知らしめたのが米アップル社の「iPod」の背面の磨きである。歪みを出さないように磨くことが難しく、2割の不良までは許容されていたところが5割で歪みが出た。小林社長は考え抜き、休憩中に独自のやり方をひらめく。それからは小林研業の磨きでは不良が極端に減った。他社では依然2割前後の不良が出ていたのが、小林研業は出さない。技術力が米本社にも伝わり、アメリカからも視察に訪れた。このときに、小林研業は「iPod」の磨きをやっていると口外して良いとの許可を得ている。

この後、小林研業は2度目の転換を迎える。大手との大口の取引は仕事があるうちはいいが、なくなると途端に困る。そこで1個1個、小口の仕事を大事にするように方針を変えた。大口の仕事を完全にやめるわけではないが、工数の3割を超えないようにコントロールすることにしたのである。磨きの技術も積極的に外に出すようにした。小林社長のもとには技術を教えて欲しいという依頼が数多くくる。このような依頼には積極的に応えるようにしている。他社の技術レベルが上がれば自社も「人並み」になる。並ばれたら工夫して一歩先にいかなければならない。工夫を考え続けることが小林研業の技術をさらに高みへと導いていく。

これからの小林研業は従業員がつくっていく

小林社長は現在73歳。視力も衰え廃業を考えた。これに待ったをかけたのが取引先と従業員だ。廃業の話を持ち出すと従業員が「ぜひ、継がせてくれ」と言ってきた。多くの中小製造業が後継者不足に悩むなか、小林研業の人づくりは親族外承継のモデルケースになりうる。

小林研業の職人は現在6人。みな中途採用で、大手からの転職者も多い。磨き屋として一人前になるには最低でも3年、できれば5年はかけたい。この間にいかにして職人を育て上げるのか。小林研業では黙々とただ作業をするだけの職人を育てることはしない。小林研業は人のできないことをやる会社である。このためには柔軟な発想を育てなければならない。小林社長は従業員に、思いついたことは何でもトライさせている。失敗して当たり前、うまくいけば儲けものである。こうして自分の発想をかたちにすることを身に付けると、人と違うことができるようになる。

従業員に達成感や満足感をもたせることも大切だ。小林社長のもとには講演や取材の仕事も多い。このときに講演の一部、取材の一部で従業員にも話をさせている。実際に磨きの仕事をしたのは従業員である「彼」。この「彼」に注目してもらいたい。こうして従業員は仕事にプライドをもつようになり、小林社長の目指す立派な職人へと育っている。

「自分は過去の人になっていく。それでも小林研業は過去のものにしない。これからの小林研業は従業員がつくっていく。」――小林研業は小林社長のこの言葉を実現するべく、将来の事業承継を念頭に4月3日に法人化を果たした。

職人が一つ一つ丁寧に手で磨く

職人が一つ一つ丁寧に手で磨く

誇りある「磨き屋」として発展を

小林社長が創業した当時、「磨き屋」という言葉は大きな声で言えるものではなかった。これを誇りをもって言える言葉に変えたのが小林社長を含めた先駆者たちの功績である。「吹けば飛ぶような小さな工場でもやり方次第で存在感を示すことができる」――小林社長は創業から50年近くを工夫とひらめきで戦ってきた。これからの2、3年でバトンタッチできる人材を育て、新たな小林研業が「磨き屋」としてさらに発展する礎を築いていく。

企業プロフィール

小林一夫社長

小林一夫社長

会社名 小林研業株式会社
法人番号
代表者 小林一夫社長
業 種 研磨業
所在地 新潟県新潟市西蒲区打越甲3469

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