
袖看板や街路灯に懐かしさ漂う![]() 木製の袖看板。それぞれの個性があって見ているだけでも楽しい 台東区谷中3丁目と荒川区西日暮里3丁目にまたがる谷中銀座商店街。周囲は神社仏閣が多く点在し、下町情緒溢れる地域。近隣の根津、千駄木とともに「谷根千(やねせん)」と呼ばれ、散策を楽しむ観光客が多く訪れる。 商店街はJR日暮里駅、東京メトロ千代田線千駄木駅からそれぞれ徒歩3分。周辺には大型スーパーが進出し、商店街としては決して恵まれた環境とはいえない。ところが、連日、地元の買い物客や下町散策に訪れた観光客で賑わいを見せている。1日あたりの集客は週日が約6000〜8000人、週末は約2万人。全国の自治体、商工会、商店街からの見学者も後を絶たず、テレビ、雑誌、新聞などメディアの取材対応も忙しい。 全長170メートルの通りは、手作り総菜屋、和菓子屋、和風雑貨店など、昔懐かしい店が軒を連ねる。メンチカツで有名な肉屋の前には、いつも人だかりができている。63ある店舗に空きはなく、出店希望者が空きを待っているという人気ぶりだ。 施設面にも訪れた人の目を引く工夫が見られる。手彫りの木製看板、業種を図案化した袖看板、ガス灯を模した街路灯などがレトロな雰囲気を醸し出す。同商店街振興組合の堀切正明理事長がヨーロッパの商店街をヒントに提案したもので、デザインは千葉大学のデザインチームが、彫刻は台東区無形文化財の彫刻師が製作した。 「海外の商店街には訪れた人を楽しくさせる雰囲気がある。学生や地域の職人と共同で、わくわくさせる演出を考えた」(堀切理事長)。同取り組みは東京商店街グランプリの優秀賞を受賞した。 3度の危機もアイディアで克服![]() 三角形の入口アーチ。うしろは夕焼けの絶景スポット「夕やけだんだん」 戦後、鍋や釜、衣類などを売る露店からスタートした谷中銀座。現在の賑わいから想像し難いが、幾度かの危機的状況に見舞われたこともある。1度目は、昭和43年に地下鉄千代田線が開通し、人の流れが変わり通行量が激減したとき。2度目は、近隣に食品スーパーが開業したとき。3度目は、商圏内にコンビニエンスストアが続々と開店した昭和60年代。 こうした危機を打開するために、施設改修、ポイント事業、イベント事業、特売、チラシ配布、メディアへのPRなど、さまざまな対策を講じて乗り切り、さらに活性化を進めてきた。 月2回の「全店1割引の特売」と、ベルを合図に始まるタイムセール「びっくり市」は、30年以上継続している人気のイベント。集客は普段の1.5倍、食料品店の売上は2倍程アップする。スタンプによるポイント制度も、導入して34年になる。利用客の購買意欲を喚起し、リピート客を確保するのに成功した。 数々のイベントも商店街の目玉だ。恒例の谷中銀座祭り、他県と提携して行う観光物産展、音楽祭、東京芸術大学大学院生による彫刻展、谷中七福神巡りなど、賑わいづくりのイベントを2カ月に1回のペースで開催している。 地域で子育てに取り組もうと、小学生の「体験学習」も実施した。エプロンを付けて、肉屋、魚屋、本屋、衣料品店などの店頭に立ち、接客や商品陳列などを体験。商店主らも「地元への恩返しになった」と反響は上々。 メディアを使ったPR作戦同商店街は近隣型商店街として、地元の人に「楽・得・便」を提供することをモットーとしてきた。地域の人たちが楽しめるイベントを行い、買い物客が得するサービスを提供し、食料品から日用品、衣料品をワンストップで購入できる利便性を追求してきた。 こうした近隣型に変化が見られるようになったのは、地域雑誌『谷中・根津・千駄木』(通称、谷根千)が1984年に創刊され、徐々に下町ブームが盛り上がった90年代。1996年にはNHK連続テレビ小説の舞台になり、谷中銀座の名前は全国に広がった。 イベントのPRを積極的にマスコミに告知することによって、取材の数も急増した。テレビ、新聞、雑誌など、さまざまな媒体で谷中銀座やイベントの様子が紹介され、近県だけでなく全国から人が訪れ、観光地化はますます進んだ。 「観光客が増えて賑わうのは良いことだが、地元の人たちから買い物がしづらくなったという声も聞かれるようになった」と堀切理事長。賑わいづくりと同時に、地元の人たちへのサービス向上に努めたいという。 東京都台東区 谷中銀座商店街の概要
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