
小江戸川越−蔵をいかす街づくり黒く重厚な蔵造りの街並みが続く川越一番街商店街。古くは太田道真・道灌親子が築城したことで知られる川越城の城下町の流れをくむ。「小江戸川越」の名の通りに現在も江戸の風情を感じることできる。この街並みができたきっかけは1893(明26)年の川越大火。この惨事を教訓に川越商人らは町の防火対策を見直した。大火の中で焼け残った建物は伝統的な蔵造り建物。そのため、商人らはこぞって蔵造り建築の店舗を建て、街並みの原型ができた。 今でこそ商店街に観光客が絶えず訪れているが、どん底の時代もあった。1970年になると町の中心はデパートなどがある駅周辺に移り、商店街は活気を失っていった。その状況を受け、「人を商店街へ呼び戻したい」と若手商店主や青年会議所の会員らが立ち上がり、83年に「川越蔵の会」を発足した。それまで「蔵は商店に向かない」と看板などで隠していたが、「蔵を生かす街づくり」に方向転換。こうして、現在の商店街ができていった。 チームワークで再建へ![]() 川越のシンボル・時の鐘 89年に観光市街地形成事業に選定されると、年間約5店舗のペースで改装が進んだ。川越一番街商業協同組合は改装にあたり、「町並み委員会」を結成。市や商工会議所、学識者、地元有識者、蔵の会、一番街らで審議し、全体の調和のとれた街並みをつくった。各店が主張し過ぎないことが、商店街全体の集客につながった。現在では新しい出店者も増えている。多くの観光客に来てもらうには新しい人もこのチームワークを大事にしなければならない。 商店街外の団体との協力も進んでいる。東京国際大学の英語の川越案内地図の作製に協力したほか、最近始めた「創作門松」の展示には、2007年度から東洋大学の学生が参加。各店舗が工夫を凝らした門松の製作に、学生らがデザインや設計の面で協力する。このほか、浅草や神楽坂など歴史ある商店街を訪問し、後継者問題について話し合うなど交流の輪を広げている。 名実ともに「全国区」に06年6月に経済産業省の「がんばる商店街七七選」に選ばれ、07年3月には天皇皇后両陛下とスウェーデン国王夫妻が商店街を訪れた。テレビなどメディアの取材も増え、全国的に注目度が高まっている。この追い風を受けて、商店街では来た人がより満足して何度も足を運ぶ街づくりを目指している。 創作門松と並んで最近始めたイベントに2月の「二升五合市(升升半升=ますますはんじょう市)」がある。このイベントでは売り出しを行うほか、スクラッチカードや五文札(500円)、十文札(1,000円)の金券となる木札を当てるスタンプラリーを用意。リピーター増加と回遊性を高めることが狙いだ。今後は、新しいイベントである二升五合市と創作門松を川越の名物として根付かせるため、運営方法などに工夫を重ねる考えだ。 交通の整備も課題の一つ。歩行者の安全と街の景観に配慮して歩道をタイル張りにし、街路灯をフットライト付きで蔵の景観を生かすように変えた。街路灯は建物を引き立てる低くシンプルなデザイン。薄い2本のポールを使い、間から景色が見えて歩行者の視界を遮らないよう工夫している。また、商店街の中心道路は歩行者のほかに自動車の交通量も多いという問題がある。市では渋滞緩和に向けて、07年から一方通行の検討など活動を本格化する計画だ。 古い蔵造りの建物を保全しながら、基盤整備や新しいイベントを取り入れている川越一番街商店街。目指すは、訪れる人に優しい名実共に全国区の商店街だ。 埼玉県川越市 川越一番街商店街の概要
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