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当社は、昭和38年に初代社長浅井明夫が金沢市入江二丁目において、トムソン加工業務を主とした「入江トムソン加工」として個人創業した。昭和57年に第二工場増設、段ボール加工をターゲットとして営業開始。このころ創業社長の息子である浅井和明が就業。この後、先細り懸念のトムソン抜加工から業務拡大が期待できる抜型製造へと業務内容を徐々に転換していく。
平成3年に、株式会社化し抜型製造会社専業として営業開始。平成4年、初代社長死去に伴い、初代社長の妻が社長に就任した。平成7年に息子の浅井和明が社長に就任し、本社工場増築。この際に本社と工場を一拠点にした。この後、順次レーザー抜型機械など、最新設備を導入し業績を拡大していく。
平成11年に中小企業創造活動促進法の認定を受ける。平成14年に「株式会社メイク・ア・ボックス」と社名変更。その後は営業拠点を拡大し、平成16年には金沢本社、埼玉営業所、静岡営業所の3拠点で営業している。 |
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企業概要書 |
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当社は、中小企業創造活動促進法の認定を受けた平成11年に大きな転換点を迎えていた。ビジネスモデル特許を出願したWEBでCADデータベースと連動する自動見積システム(以下WEBシステムと略する)の開発を始め、関東への営業拠点も開設し、大きく成長戦略を描き始めた。平成12年にはWEBシステム運用も始まり、関東営業拠点での営業活動も開始し、受注も順調に上がりだした。
しかし、一方でトラブルも続出するようになった。WEBシステムは運用開始翌年の平成13年にコードレッドの被害に遭い、自社サーバが壊滅状態になった。いったんWEBシステムを閉鎖せざるを得ない状況になった。また、関東営業拠点も当初の販売計画に見合う売上を達成できずに伸び悩んでいた。関東営業拠点開設当初は、社長自らが関東に単身移転してスタートさせたが、その後、後任者がなかなか育たない。関東と本社の二股をかけて活動していたが、今度は本社工場の生産管理能力が低下し始めるという悪循環に陥った。この頃は売上が増えているのに、収益が悪化するという増収減益の状況だった。
当社は、ITや新ビジネス等の新たに取り組みを始める変革能力が高い。一方、その先進的な取り組みを持続するためのしくみづくりや組織化する能力が少し弱かった。そのため、せっかくの価値ある新ビジネスの取り組みが有効に機能しなかったのだ。
浅井社長は、この困難に直面してから、経営のパートナーが必要だと感じるようになった。経営戦略とITの両方に強く、親身になって相談にのってくれる中小企業診断士を探すことにした。筆者は、ネット上で電子会議室運営やインターネットビジネスに関するフォーラム運営などを行っていた。もともと筆者と浅井社長は知り合いであったため、そのことを知った浅井社長から診断依頼があった。 |
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(1)IT化提案
当社の現状から早急に改善すべきだったのは、販売戦略の再構築であった。具体的には、1)得意先や地域ごとの販売データ分析を行い、そのうえで、2)営業受注など組織体制の見直し、3)販売管理システム再構築、4)WEBシステム再構築、という手順を提案した。 |
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メイク・ア・ボックス社 システム概要図 |
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(2)企画支援
企画立案は、浅井社長と筆者の二人で行った。ただし、月1回の定期的な幹部会議を行い、その場で工場長、設計部門責任者、受注担当責任者等と意見交換した。この幹部会議の場を活用して業務分析を行い、データフローダイヤグラム(DFD)に図示化していくことにより、業務の現状を客観的に見ることができた。この繰り返しにより、業務改革も同時に図ることができ、大幅な手順改善もできた。
(3)開発支援
開発は自社ではなく委託とした。開発委託先は、当社の設計業務等を深く理解してくれていたN社とした。N社にWEBシステム、販売管理システムの両方を一括して委託した。ただし、緊急性の面から段階的な開発とし、WEBシステム、販売管理システムの順に開発することとした。
WEBシステムについては、セキュリティとコストの両面からレンタルサーバでの運用に決めた。既存のCGIファイルの動作確認をした上でアパッチサーバをホスティングできるサービス会社を選定した。htmlファイルの絶対番地訂正やCGIの動作確認などを行い、ホスティングサービスへの引越が完了した。これで専用線を引いて自社運用していたころに比べ、セキュリティ対策が格段に強化された。この後のホームページ更新は、FTPで行うことになったが、総体的な作業は大幅に軽減された。
販売管理システムについては、N社の業務向けパッケージソフトをカスタマイズして使用することにした。
これまでは一般的な販売管理ソフトを使用していたが、受注や会計など各業務とのつながりが悪く、一部手入力で行わざるを得なかった。また販売管理データとして、県別売上高や得意先別売上累計などの分析系で柔軟性がほとんどなかった。そのため、これら分析はいったんCSV形式に出力し、エクセルのビボットテーブルで再集計した上でクロス集計などをおこなった。これらの作業によって、販売業務の課題なども抽出した。
N社パッケージソフトは、見積管理⇒受注管理⇒生産管理⇒出荷管理⇒原価管理の業務全てが統合的に管理できる優れたものであった。POPシステムも標準で装備しており、バーコードリーダーをなぞるだけで作業の進捗管理もでき、同時に生産原価データとして収集することもできる機能があった。
しかし、当社の管理レベルにあわせ段階的な開発とした。まず、第一段階は、見積⇒受注⇒出荷⇒請求までの販売系のデータ一元化である。この段階を完全にクリアしてから、生産管理の方を第二段階として着手することにした。
(4)運用支援
企画から開発完了までは、WEBで約2ヶ月、販売管理で約半年程度だった。運用責任者について、WEBシステムは引き続き浅井社長にお願いしたが、販売管理システムは本社工場長とした。確実に業務が回るようにするためには、不在がちな社長ではなく社内に運用責任者をおく必要があるからだ。毎月1度の幹部会議の際に、運用状況についても意見交換をし、その都度フォローし対策を打っている。
運用支援の具体例を1つ挙げておく。システム運用後のことだが、日々の生産計画表を手書きで作成しており、この業務に多くの時間を割いていた。将来、生産管理システムと連携するようになれば、システム化できる業務ではあるが、現在はまだシステム化されていなかった。しかしだからといって繰り返し性が高く、改善効果の大きい業務を手書きで続けるのは合理性に欠ける。そこで、エクセルの関数とマクロで、販売システムの受注データから必要なデータを抽出し、日計表作成を支援する表を作成した。この表には副次的な効果もあった。本日の生産計画が記されているため、他の営業拠点でも見たい情報である。これを電子メールで送ることにより、必要な情報を営業拠点とも共有することができた。
このように手直ししながら運用し、その過程を記録しておき、次期開発にはその機能を組み入れていくことを検討しようというものである。運用しながら改善し、次期開発も意識させることができた。
(5)効果測定(事業評価)
WEBシステムの効果は、新規顧客の獲得件数で評価されるであろう。ここ3年で、新規顧客は100件近く増加した。無論、WEBシステムだけの成果ではなく、営業努力の賜物である。しかし、WEBシステムが少なからずその後押しをしたことは容易に推測できるだろう。
販売管理システム改善の効果は、事務処理作業時間の短縮にあげられる。ここ3年で受注件数が3割増えているが、事務処理の残業時間はむしろ減っている。また、人員も増やしていないので、実質的なコストダウンが図られたといえよう。さらに、必要な情報がタイムリーに取り出せるようになったことにより、営業支援効果も高まったといえる。 |
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営業拠点が平成16年には静岡にもでき、本社とあわせて3拠点となった。情報の共有がこれまで以上に重要になる。そこで、いまはインターネットグループウェアの導入を検討しているところだ。単なるメールや掲示板だけではなく、カメラも取り付け互いの事務所内の動画のやり取りもできるようにしたい。そうすれば、複雑な木型やサンプルも見せながら説明することができる。
また、社内の業務システムとしては、前段で挙げた第二段階の生産管理システムとの統合が課題になる。現在は販売系情報を中心に活用しているが、進捗管理データや生産原価データなどを入れることができる先進的なパッケージソフトを使用している。しかし、現状のシステムでアップグレードできるのは、あくまで本社内のみでの一元化である。営業拠点の2拠点からインターネット等を使って本社のデータにアクセスできるしくみが求められているが、このしかけをどうするかが課題だ。
さて、ここ3年で3割の業績向上を図ることができた。今後、さらなる業績向上のためには生産現場の見直しが必要となるだろう。劇的な生産性の向上がない限りは、生産現場の拡充が避けられない。販売面では着々と課題解決してきただけに、今後の課題は生産面になりそうだ。 |
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調査担当者:遠田 幹雄 |
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