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元気印中小企業


救急絆創膏のパイオニア [リバテープ製薬]

杉山宏治社長

杉山宏治社長

会社名 リバテープ製薬(株)
代表者 杉山宏治社長
業種 医薬品・医薬衛生品製造業
所在地 熊本県熊本市植木町岩野45
電話 096-272-0631

きっかけは西南戦争

 西南戦争(1877年)が、救急絆創膏「リバテープ」誕生のきっかけだった―。絆創膏の呼び方は地域によって変わるが、九州・山口地域、特に熊本県ではリバテープが救急絆創膏を意味する一般名称になっている。1950年後半にフィルム上に膏薬(こうやく)をぬったガーゼを載せた救急絆創膏を開発したのが、星子旭光堂(現リバテープ製薬)だった。
 明治維新の立役者、西郷隆盛率いる薩摩軍と明治政府軍は田原坂(現在の熊本県植木町)で激戦を繰り広げ、ゲガを負ってた負傷兵が民家に次々と担ぎ込まれた。負傷兵の世話をしていた住民の中に、地元の旧家、星子家があった。
 ある日、薩摩軍の軍医を務めていた有馬某が星子家に担ぎ込まれた。深い傷を負った有馬某は、死を目前にして「負傷した兵士のために役立てて欲しい」と、薩摩軍秘伝の膏薬調合法を星子亀次郎に伝えた。「材料は松ヤニやごま油だった」(杉山宏治社長)という。伝えられた調合法を使い、亀次郎が製造したのが、リバテープ製薬創業のきっかけとなる膏薬「ほねつぎ膏」だった。
 その後、戦時中に薬剤武官だった3代目となる義法は、傷口を保護しながら消毒し簡単にはがせる膏薬の研究を重ねていた。同研究を基に、第二次大戦中に米軍が使っていた救急用の包帯にヒントを得て、救急絆創膏を開発した。「リバテープ」の商品名で販売を開始したのは1960年のことだった。

外部の知恵を借りる

 現在のリバテープ製薬の売上高は約39億円で、部門別で見ると消毒剤などの病院向けが40%を占める。次いで救急絆創膏が30%弱、化粧品・健康食品が20%と続く。救急絆創膏にかつてのような勢いはない。
 救急絆創膏の利用方法の70%はケガをした子どもの手当てに使用される。少子化が進むにつれて、売上構成比率に占める割合が相対的に低下していった。
 経営方針の転換を迫られた同社は1975年以降、創業事業であった救急絆創膏事業から軸を移し、健康関連商品や化粧品などの新商品に力を入れるようになった。「少子化とセットになって進んでいるのが高齢化」(同)と考え、“若い・きれい・元気”をコンセプトに開発を進めた。
 馬油(ばーゆ)や酢、青汁などの健康関連品やスキンケア商品などを矢継ぎ早に製品化していった。大学や工業技術センター、病院などと連携し研究開発を進めたことで、各機関がもつ先端技術を活用できたほか、信頼性の高い製品開発が可能となった。
 リバテープ製薬は現在、星子家によるオーナー経営から離れた。新体制に移行後、杉山社長は、経営情報を可能な限りオープンにし、従業員全員が経営に参加できる体制を整えている。経営に参加しているという意識を植え付けることで、従業員に安心感と信頼感を与える効果を狙った。「従業員の意見を参考にしながら、全員で会社を盛り上げ、スピードと小回りが効く中小企業でありたい」(同)と抱負を語る。
 今後は、新規事業の健康関連品や化粧品事業に経営資源を投入する。「健康とケガについての商品以外は何もやらん」(同)と、商品開発に対する確固たる姿勢を見せた。

ヒット商品の綿棒型消毒剤「スワブスティック」

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Onepoint

第3の創業期

 リバテープ製薬の現状を歴史的に見ると、第三の創業期といえる。創業期はもちろん星子亀次郎が始めた膏薬の製造販売。第二期は星子義法によるリバテープの開発と普及。そして第三期は現在の病院向けや高齢者向け商品の開発だ。それぞれの期に共通するのは外部の知恵を生かすこと。亀次郎は薩軍の軍医・有馬某から調合法を教わり、義法は米軍の救急用包帯からヒントを得た。現在は産学官連携を推進する。これまでと一つ違うのは、オーナー不在の全員参加型経営を目指すところだ。


掲載日:2011年9月16日

医薬品医薬衛生品熊本県

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