本文とサイドメニューへジャンプするためのナビゲーションスキップです。

スタートアップガイド

J-Net21 中小企業ビジネス支援サイト

  • J-Net21とは
  • スタートアップガイド
中小機構
  • メルマガ登録
  • RSS一覧
  • お問い合わせ

HOME > 経営をよくする > 元気印中小企業

元気印中小企業


自動車と建機が成長の両輪[しげる工業]

正田寛会長

正田寛会長

会社名 しげる工業(株)
代表者 正田雅惠社長
業種 自動車部品
所在地 群馬県太田市由良町330
電話 0276-31-3913

主要建機メーカーへの全方位戦

 「モノづくりの会社だから、会長といえども働いている人たちと一緒の服装をし、一緒の弁当を食べるようでなければならないと思っている。昔からその考えは変わらない」。取引先から贈られた表彰プレートが数多く並ぶしげる工業本社応接室に笑顔で現れた正田寛会長は、作業着に身を包んだ自身の姿について、そう説明する。
 しげる工業は富士重工業の1次下請けメーカーで、地場の有力3社「御三家」の一角として知られる。主にスバル、ダイハツ車向けのインスツルメントパネル(スピードメーターなどの計器類を収めたパネル)やシート(座席)、ドアパネルなどの内装部品の設計開発、成形、組み立てを行っている。
 70年代には自動車シート製造で培った技術力を生かし、建設機械用シート事業に参入した。現在では中国を中心とする旺盛な建機需要により、全社売上高約300億円の約20%を占めるまでになった。今や自動車内装部品事業と並ぶ、経営の柱の一つに成長している。「建機シートは今後も拡大が見込める分野ながら、国内に競合する会社はない」(正田会長)という。
 建機事業は自動車向けと比べ取引するメーカー数が多い。日立建機、新キャタピラー三菱、コマツをはじめとする「主要建機メーカー全社」(正田会長)への全方位とも言える戦略を採っている。複数企業との取引により、経営の安定性を高める考えのようだ。

スバルの発展とともに成長

 しげる工業の創業は1960年。富士重工業のバス車両用三方シートを受注生産していた京和装備(群馬県伊勢崎市、その後太田市に移転)から分社するかたちで設立された。  1959年に京和装備に入社した正田会長は、しげる工業の設立に参画。しげる工業は2次下請け会社として、1958年に発売された「スバル360」のドアガラス、タイヤハウス部品の組み付けなどを始めた。やがてドアの内張、天井、サンバイザーなど自動車室内製品の取り扱いを増やしていった。
 1966年に「スバル1000」が発売されると、「早くから狙っていた」(同)シート製造を請け負うようになった。正田会長の記憶によると、このころの従業員数は150人ほど。約30人で立ち上げた会社が、わずか5年程度で5倍に拡大したことになる。
 しげる工業の沿革を読み解くと、同社の発展は富士重工業の発展と符合する。さらに車の内装が飛躍的に充実化していった時代とも重なる。成長路線にあった顧客に対し、高需要かつ先鋭の製品を供給し続けたのが同社黎明(れいめい)期の姿だ。顧客の要望にかなった製品を作る姿は今日も変わっていない。それこそが同社が「元気印企業」たるゆえんだろう。

しげる工業が拡大する転機となった「スバル360」と正田社長

しげる工業が拡大する転機となった「スバル360」と正田社長

Onepoint

スピードと本質追求

  正田会長が常に社員に呼びかけている言葉が二つある。一つは自身の経営理念でもある「スピード」だ。インスツルメントパネルは自動車1シリーズにつき「400−500種類あるが、在庫の保持時間が2−3時間」(正田会長)という。まさに多品種、短工期の現場から生まれたような言葉だ。
 もうひとつが「人から聞いたことではなく、自分で見たこと、したことを報告せよ」(同)。汗をかき、手を汚して、判断してこそ物事の本質が理解できるという。自身の言葉を率先垂範する意気込みが、会長の作業着姿から感じられた。


掲載日:2007年8月22日

群馬県自動車部品製造業

最近の記事


このページの先頭へ