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悠久散歩―史実にみるビジネスのヒント


仏教の教え

最澄、空海にみる発想の転換

山上でひとり悟りを開き現世を終えることは求道者として道のひとつであろう。ビジネスの世界でも画期的な技術をごく一部の人々で独占することもまたひとつのビジネスモデルであろうが、利他業(他を利する業)もまた社会の公器たる企業の本質のひとつではないだろうか。仏教の世界、南都六宗の戒律から離れ、大乗仏教を広めた最澄、空海に同様のケースを見た。

特定階級独占文化から、国民ひとりひとりの仏教へ

仏教を大雑把に大別すると3つになる。ブッダの教えの原点に忠実とされ、厳しい専門的修行を生涯続け、修行者本人の悟りを追い求める小乗仏教。その後の発展系であるひろく遍く大衆を救うことこそ本来の道(利他行)とする大乗仏教。ブッダの生地チベットが有名な密教である。

小乗仏教は南伝ともいわれ、東南アジア諸国などに伝播した。大乗仏教は北伝ともいわれ、中国、日本などに伝わり発展したものだ。密教はチベット密教が有名だが、中国や日本にも伝わり発展を遂げている。

さて、タイトルの最澄と空海。やや強引ではあるが、最澄は大乗仏教の代表的な経典である法華経を大事とする大乗仏教の代表。空海は、密教(真言)の代表選手でありこれもまた大乗の教えである。

このふたり発想の転換は、当時最先端であり特定階級の独占的な文化であった仏教(小乗仏教)が権威を持っていた時代に、ひろく大衆の救済を目的とする大乗仏教を導入した点だ。当時の状況について歴史をおさらいしてみる。

律令体制(官僚的制度)の崩壊

仏教の公式な伝来は、538年。伝来当初、仏教は病気を治すとか、災害を除く厄除けとかのご利益を仰ぐ実利的な呪術として受けとられた。それが聖徳太子の時代になると、宗教的、学問的・内面的な体裁を整えてくる。一七条憲法には要旨次のように、「篤く三宝(仏・法・僧)を信仰するように。仏教はあらゆる生きものの最后のよりどころ、すべての国の究極のよりどころである。」と記されている。仏教は次第に国内に広がり、天武天皇の時にいたって諸国の家ごとに仏舎を作り、仏像、経典を安置して礼拝供養すべしとの勅命が発せられた。

日本史上最初の本格的律令法典である「大宝律令」が制定・施行されたのは701年。これにより日本の律令制が確立することとなった。現代社会の政治理念は、自由、平等、民主主義などを基調とするものだが、聖徳太子の時代から律令国家にかけての政治思想は儒教の政治哲学と仏教の慈悲の精神を基調とする仁政である。

しかしこの律令制度は大宝律令制定後100年もたたないうちに制度疲労を起こし、機能不全に陥る。もはや制度改革は、一刻の猶予もならないものとなり、律令国家に対して財政改革と公務員制度改革が強く求められた。そのため、当時の桓武天皇はこうした制度を廃止し(規制緩和があったかどうかは知らないが)、ぶっこわして簡素で効率的な制度に切り替える大規模な行政改革を行なった。


この改革は、じつは律令制の再興を意図したものだったのであるが、意図したようにはいかない。これにより律令制は大きく変質することとなった。同時に律令国家のもとで公務員的な役割も持っていた僧侶による政治的な弊害が生じ、宗教界においても改革が迫られる。そこに最澄と空海が唐から帰国し日本の仏教に新たな動きをもたらしたのである。

当時隆盛であった、南都六宗の奈良仏教は律令体制下の仏教で国家の庇護を受けて仏教の研究を行ない、律令国家の立場から僧尼の生活・修行に規制を加えた法である「僧尼令」を準拠として官僧は必ず寺院に定住して仏教活動に従事しなければならないことと、寺院外で自由に布教することが厳重に禁制されたことなどにより、寺院教団中心の教学は大いにすすみ、南都六宗は学問仏教として多くの成果を生んだ。

企業にも利他の業を

しかしその反面、この成果はほぼ庶民には無縁のものであった。そうしたなか、大衆の救済(利他行)を学び、唐から帰国した最澄の天台宗、空海の真言宗は画期的だった。

律令制下特定の人たちのものだった小乗仏教にかわり、最澄、空海らが大乗仏教を広めた。最澄が「道弘人、人弘道。」(すべての人は、道を歩き、道を行なうために生まれてきた)という時、すべての人を対象にしている。

空海も各地を訪れ、庶民教育のために綜芸種智院を建てるなど様々な事業を行なっている。そのあと、天台宗の僧である源信(恵心ともいう)は日本における仏教の発展の特徴である浄土教の普及に大きな役割を果たした。

最澄の思想の中心は、法華経の絶対平等の立場であり、これは奈良六宗の一派、法相宗の徳一と対立し、教理をめぐって激しい論争があった。最澄の天台宗思想を学んだ源信は非凡な博学多識でこの論争に終止符を打ったとされる。

この特徴は、平易でわかりやすいこと、そして何よりも出家しなくても在俗のままで救われると説いたことである。自分自身で他力念仏や自力坐禅によって悟りを開くことができると説いたので、一般庶民や武士の間に急速に広まった。

ここに祈るという行為自体が特定の僧侶や貴族から解かれ、一般庶民に広がったのである。貴族社会の退廃と没落から、そこに生ずる無常観、末法思想、その背景にある社会的な不安の中から新しい宗教が起こってきた。律令制国家から武家社会の鎌倉時代に移ると大衆救済の仏教はますます盛んになる。

自由主義社会の現代においては企業が社会の主役となった。長年培った技術やノウハウをいかに社会に役立てるのか、それによって企業の価値が決まるという点では、企業は、大乗仏教の利他行に学ぶ点が多いのではないかと思う。


掲載日:2010年5月31日

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