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悠久散歩―史実にみるビジネスのヒント


人の心を知り尽くした軍師・孔明の人間学

軍師・孔明の人間学

中国が群雄割拠し戦乱に明け暮れていた時代の人間像を活き活き描き、いまなお人気が高い三国志。物語後半で大活躍する諸葛亮孔明からは、現代にも通じる人間学が学ぶことができる。

クライマックスとなる「赤壁の戦い」

三国志といえば、中国の後漢末期から三国時代にかけて群雄割拠していた時代(180年頃〜280年頃)の興亡史。古来さまざま作者の書物が世に出ているが、日本においては、こと小説として有名なのは吉川英治の「三国志」(講談社文庫/全8巻)だろう。

物語前半のクライマックスとなる「赤壁(せきへき)の戦い」は、群雄相打つ血湧き肉踊る活劇とともに、智謀策謀の限りを使った頭脳戦が展開される。中国大陸中央から南下し、劉備玄徳の軍を討とうとする承相曹操。それに対し玄徳は諸葛亮孔明の指揮のもと長江沿岸を支配する孫権と共同し、曹操に対峙する。

ここで敵をあざむき、あざむき返されるという水面下の戦いを繰り広げられるのであるが、結果は孔明の策により、水戦に慣れない曹操軍は火攻めにされ大惨敗。逃げる曹操は近くでは孫権の軍、遠くでは玄徳の軍に徹底的に追われることになる。

赤壁の戦いでは、敵をあざむく情報戦が活発に繰り広げられた赤壁の戦いでは、敵をあざむく情報戦が活発に繰り広げられた

旧恩にしばられた関羽の苦悩

そこで問題となるのが玄徳の義弟であり、豪勇かつ信義を重んじることで有名な関羽だ。孔明は、曹操が逃げ落ちる道々に諸将を配し、曹操を追いつめようとする。ところが関羽は、その追討軍の一員には加えられない。

というのもかつて玄徳軍が敗れ去り、臣下散り散りになったとき、関羽は玄徳の家族とともに曹操軍に身を寄せていたことがあった。関羽を自らの家臣の陣列に加えたい曹操は、心を砕いて歓待し、優遇する。義に厚い関羽はそのときのことを恩に感じ、たとえ曹操と相まみえたときもその首を上げられないに違いない。孔明はそれを知っていたのである。

関羽は誓紙をしたためて曹操の首を上げることを誓い追討軍に加わるのであるが、案の定最後の最後、逃げ落ちてくる曹操とその一党に遭遇したときに、恩を思い出し、曹操はおろか配下の諸将までも見逃してしまうのである。

大戦勝の凱歌に沸く玄徳軍であったが、関羽の顔だけすぐれない。聞けば己の無能により曹操はおろか諸将の首も上げられなかったという。孔明は激怒し、関羽の首をはねようとする。あわてた玄徳が身を挺して止めたからその場においては事なきを得、処分がされることはなかった。

ただただ絶妙な孔明の人間学

さて、孔明のすごいところが2つある。
 関羽を追討軍に加えるとき、その性格を知り尽くした玄徳は、関羽は曹操を見逃すやも知れず、やはり陣列にくわえないほうがよかったかと孔明に心情を吐露する。そこで孔明、「星を見たところ、曹操の命運はこのいくさでは尽きない。それならば関羽に曹操の恩を返させ、楽にさせたほうがよい」と。そのうえでたとえ武勇にすぐれ玄徳の義弟であろうとも、誓紙を反故にし軍紀に背いた関羽を処断しようとしたところだ。

つまり関羽の性格を知り尽くしているがゆえに、曹操を見逃すことはわかっていたが、逆に旧恩の呪縛から一刻も早く解き放とうとし、かつ兵がいる前ではたとえ関羽であろうとも信賞必罰を明らかにしたのである。

横山光輝の劇画「三国志」によれば、孔明は関羽の首を斬ろうとしたときに玄徳が、もし玄徳が止めに入らなければ周囲の諸将が止めるであろうことは計算済みで、あえて厳しい言葉を浴びせたとしている。言葉で言い尽くせない孔明の絶妙な人間学といったところだ。

その後三国志は、孔明の天下三分の計という戦略とおりに玄徳の濁、曹操の魏、孫権の呉という3つの国が覇権を争い、さまざまな戦いが繰り広げてられていく。義に生き信義を貫く者もいれば、自らの保身のために主を裏切る輩も出てくる。その清濁併せ呑む人間模様こそが三国志の真骨頂であり、人気の秘密となっているのだろう。


掲載日:2010年3月 8日

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