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悠久散歩―史実にみるビジネスのヒント


ある秀才の生涯

日本海海戦勝利の淵源を作った小栗上野介

幕末から維新へと歴史の扉を回天させた戊辰の役。錦の御旗を掲げ、薩摩藩・長州藩を中心とする官軍は江戸へと東上を続けた。恭順を示していた徳川慶喜以下幕僚群たちであったが、唯一主戦論を唱えていたのが、小栗上野介(おぐりこうずけのすけ)だ。

「その案だったら私の首はなかった」

彼は箱根の関内に官軍を呼び込んだあとに、関を閉じ、一気に反撃。さらに物量ともに圧倒していた幕府海軍を駿河湾に侵入させ、東上する官軍に艦砲射撃を実施するよう主張した。当然、慶喜に忌み嫌われその意見は排除されたが、官軍の総司令官、大村益次郎にして、「その案が取り入れられていたら、私の首はなかった」と言わしめた妙案であった。

東海道を東上する官軍を駿河湾から艦砲射撃をする。この案が取り入れられていたら官軍の命運はどうなっていたか東海道を東上する官軍を駿河湾から艦砲射撃をする。この案が取り入れられていたら官軍の命運はどうなっていたか

小栗は、幕臣中の秀才と目されていた。33歳のときには、時の大老・井伊直弼に認められ、日米修好通商条約の批准書交換のため遣米使節の目付に抜擢されている(ちなみにそのときの護衛艦が咸臨丸であり、艦長が勝海舟である)。

しかもワシントンで条約批准書の交換をしたのちに海軍造船所、金貨鋳造所などを見学。帰路は大西洋を横断、喜望峰をまわり、インド洋を経て、じつに8カ月かかって日本へ帰ってきた。日本で最初に地球一周をしたひとりなのだ。

当時の開明派といえば、坂本竜馬が真っ先にあげられるが、小栗も幕臣でありながら、アメリカの文明の先進さを説明し、日本も欧米を模範として近代化をはからなければならないと訴え続けた。

衝撃と感動から日本の近代化の道を開く

帰国後、36歳で勘定奉行に任じられる。その後歩兵・陸軍・軍艦・海軍の各奉行を歴任し、幕府軍の軍制・軍装をフランス式に一新した。また西洋文明に直接触れた衝撃と感動から日本の近代化の道を開いた。横須賀造船所の建設、フランス語学校の設立、滝野反射炉による大砲製造などの業績を残し、そのほか郵便制度の設立、鉄道建設、新聞発行、株式会社設立などを提唱している。

明治政府樹立後、領地である上野国に隠棲帰農した小栗を、新政府は許さなかった。彼を無実の罪で刑死にしたのである。

小栗の業績のうち、とくに横須賀造船所の建設は日本の工業化の礎となった。明治45年には東郷平八郎が「日本海海戦で完全勝利を得ることができたのは、小栗さんの作られた造船所のおかげ」と礼をいったという逸話がある。また株式会社といえば坂本竜馬の亀山社中が先駆けと思われがちだが、じつは小栗の建議書提出のほうが早かったという。

これらの逸話は、歴史のおける勝者と敗者の微妙な立場を醸しだし興味深い。ただ敗者においても、正義については歴史が正しく評価を下すことを忘れてはならない。


掲載日:2009年1月26日

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