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悠久散歩―史実にみるビジネスのヒント


日本の運命をも切り開く

歴史を回天させた「長州男児の肝っ玉」

長州藩で活躍した高杉晋作。29歳で夭折した天才革命家として後世から高く評価されている。なかでも「長州男児の肝っ玉をお見せする」と出陣した藩内クーデターは、幕末史を回天させる出来事だった。

迷走した幕末の長州藩

幕末における長州藩の迷走ぶりは、それひとつとっても大河ドラマができあがる。攘夷派の総本山として、関門海峡における外国船への砲撃、御所警備から追い落とされた禁門の政変、藩内過激派が暴発し、武力をもって御所突入をはかった禁門の変など、火薬庫のように誘爆を重ねていく。

結局のところ、すべて西郷隆盛を中心とする薩摩藩、会津藩の邪魔にあい、その迷走に終止符が打たれてしまう。長州藩を牛耳っていた攘夷派は凋落。そこで今度は、幕府が牙をむく。禁門の変で御所に向かって発砲したことは許しがたいと、諸藩の兵3万人を動員して、長州征伐に乗り出したのだ。

もはや抗する勢いがなかった長州藩は、藩政中枢を占めた恭順派(=俗論派)が家老3人を切腹、4人の参謀格を斬首して、幕府の攻めをまぬがれる。これが第一次長州征伐である。

決死の覚悟で運命を開く

「長州男児の肝っ玉をお見せする」−晋作は功山寺でそう叫び、勇んで出陣した(功山寺にある高杉晋作馬上像)「長州男児の肝っ玉をお見せする」−晋作は功山寺でそう叫び、勇んで出陣した(功山寺にある高杉晋作馬上像)

そこで高杉晋作である。俗論派が中枢を占める限り、長州藩は滅亡するという危機感をもった高杉は、自らが創設した奇兵隊に挙兵を申し出る。藩内クーデターを企てたのだ。だが俗論派のうしろには強大な幕府の征長軍が控えている。

高杉に賛同して戦おうという者はほとんどおらず、従ったのはわずか80人足らず。一方、藩の主力軍は約2000人。とうてい勝ち目のない戦いであったが、高杉晋作は出陣する。有名な「これよりは長州男児の肝っ玉をお目にかけ申す」という言葉を残して。

この決死の気迫が藩内に伝播し、奇跡をおこすこととなる。逡巡していた奇兵隊をはじめ、農兵隊などが参戦し、決起軍は8000人という大勢力となり俗論派軍を圧倒したのだ。まさに高杉の肝っ玉を、世に知らしめた痛快事となった。

このあと長州藩は攘夷派によって藩論が統一され結束。一気に倒幕の道を走り出す。司令官に迎えられた大村益次郎は軍制を整備し、第二次長州征伐で国境に迫った幕府軍を圧倒するのである。わずかな兵のみで、死すら覚悟して挑んだ戦いで勝利を得た高杉晋作。ギリギリのところでみせた肝っ玉こそが、長州の、さらにいえば日本の運命を切り開いたのである。


掲載日:2008年12月 8日

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