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悠久散歩―史実にみるビジネスのヒント


歴史にみる外食産業

江戸時代、盗人たちも押し入るのを避けた飲食業

時代小説に出てくる盗人たちが押し入るのは、問屋などの大店ばかり。飲食店は、サブアイテムでしかない。産業化されにくい業種、それが飲食業だったのだ!?

盗人に押し入られたと聞かない

藤沢周平、池波正太郎、平岩弓枝などなど、江戸時代の市井の姿を描いた時代小説、捕り物噺を読んでいて思うことがある。盗人、悪党に入られる大店は、たいていの場合が両替屋(金融)、かんざしや履物などの製造(製造)、呉服、綿などの販売(小売り)であり、とくに多いのが木材・小間物・薬種などの問屋(流通)なのだ。

現代において数兆円産業へとのし上がっている飲食(外食)が登場するケースといえば、盗人たちが打ち合わせをするか、目星をつけた大店近くで事前に様子をうかがうためにソバを売るか、悪人に取り込まれる女性が働く場所(連れあい茶屋もあったか)程度にしか登場してこない。

鬼平こと長谷川平蔵が活躍する作品においても、作者の嗜好も合わさって軍鶏鍋屋など飲食店が頻繁に出てくるものの、盗人に押し入られたとはついぞ聞かない。江戸時代の盗人たちも避ける業種、それが飲食業だったのだ。この現象、つねづね江戸期における飲食店の位置が見てとれて、おもしろいと思っている。要は金がたまらない職種、産業化しにくい業種なのだろう。

商業・流通の要でもあった問屋業

白土三平が描く劇画『カムイ伝』のなかで、重要な登場人物である正助が、その仲間たちと綿花栽培に取り組み、成功させるシーンがでてくる。農業技術の進歩が農作物の生産高を高め、多くの農民は食べるためだけではなく「商品」としての作物を植えはじめた。正助たちの綿花栽培はまさにその場面である。

このことが手工業の発達につながり、町や近在に住む人々にも貨幣経済が浸透することにつながっていくわけだが、それら商品は街道や舟を通じて地域から別の地域へと運ばれた。そのなかで問屋とは江戸期の商業・流通の川上と川下をつなぐ重要な位置にあったのである。回船業と並んで、江戸期貨幣経済の花形産業といってもいいかもしれない。そうなれば身代が肥える、金がたまる、盗人が目をつける、捕物噺が生まれる、というわけだ。

「江戸期創業」という老舗の飲食店も世にはあるが、はたしてそれがどれほどのものであったのか。日本における本格的な外食産業の幕明けは、江戸期からはるかに後となる昭和の時代、1970年代のマクドナルド上陸、ファミリーレストラン開業まで待たなければならない。

数年前に、ある外食チェーンのオーナーが「ようやく外食の社会的地位が高まってきた」とうれしそうに話す場面に遭遇したことがあるが、産業の歴史とすれば 少なくとも卸業とは200年以上の開きがあるのだ。100年単位の計算でいけば、外食産業自体はまだまだ青年期であることは間違いない。


掲載日:2008年5月12日

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