事業承継・引継ぎはいま

少子高齢化の進展で中小企業の後継者不足が深刻だ。放置すれば廃業が急増して雇用が失われ、地域経済や産業のサプライチェーンが崩壊してしまう。
一方で、自分の会社が事業承継の必要な局面にあることに気付いていない経営者も少なくない。他社はいつ、どのように事業を引き継いだのか、事業承継を経験した企業を連載で紹介する。自社の取り組みの参考にしてほしい。

第2回:震災乗り越え、事業承継を一気に加速【株式会社ささ圭】

目次

震災の記憶を風化させないため新本社工場に石碑を立てた

震災の記憶を風化させないため新本社工場に石碑を立てた

2011年3月11日に発生した東日本大震災による大津波で甚大な被害を受けた宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区。この地で宮城名物の笹かまぼこを製造・販売する株式会社ささ圭は、3つの工場すべてが流され、従業員55人のうち3人が犠牲になった。「事業承継」どころか「事業継続」も危うい状況に陥った中、起死回生のごとく事業を復活。結果として事業承継も一気に加速することになった。

金串3000本が事業再開を後押し

佐々木圭亮社長

佐々木圭亮社長

震災当日、仙台市内の姉の家に避難した佐々木圭亮(けいすけ)社長(68歳)は「廃業するしかない」と考えた。かまぼこの製造設備も改良を重ねたレシピも顧客・取引先情報もすべて流され、一旦は従業員全員に解雇を通告した。社会保険労務士の助言で撤回し、休業扱いに変えたものの、しばらくは事業を再開させる気力もなかった。

一方、長男の佐々木堯(ぎょう)常務(27歳)は当時、東京の大学に通う1年生。東京・渋谷の家電量販店のテレビで偶然、故郷が流されるシーンを見て言葉を失った。一刻も早く帰りたかったが、実家も流されたため、しばらくは母親の故郷の徳島県に身を寄せた。

事業を再開するキッカケは、工場跡地から出てきた笹かまぼこ製造に使う金串である。残った従業員と何日もかけて掘り起こし、集まった約3000本を丁寧に磨いた。そのうち、もう一度笹かまぼこを作りたいという思いが湧き出した。創業者で圭亮社長の父である佐々木圭司会長(17年に死去)に相談したところ、石臼で魚を摺って、金串に手付けして焼くという昔ながらの製法ならば設備がなくても可能だと分かった。

名取市増田地区に唯一残った店舗を改造し、手作り工房を開店したのは7月1日。製法を知る当時89歳の会長が製造を指揮し、100%手作りの笹かまぼこを発売した。2012年9月には、笹かまぼこと揚げかまぼこの製造ラインを備えた新本社工場を竣工。19年4月には創業の地である閖上地区に「閖上かわまちテラス店」を開業した。震災前の年商約7億円には届かないが、18年11月期は約5億円まで復活した。

中小企業大学校に入校、株式を生前贈与

佐々木堯常務

佐々木堯常務

堯さんは中学・高校生の頃から仕事を手伝い、家業を継ぐことに違和感はなかった。「小さい頃から自宅隣の工場で過ごし、他の選択肢は考えられなかった」。モノを売ることが大好きで「めったに人をほめない父から販売だけはほめられた」と振り返る。実際、震災半年後の9月に東京・恵比寿で開かれたビール祭りで、笹かまぼこを2000枚販売。大学生でありながら「東京出張所」の名刺を持ち、首都圏で行われる展示即売会で活躍した。

堯さんは大学を卒業後、即座に入社した。しかし社長は「他社で社会人経験を数年した上で入社した方がいい」と主張した。堯さんも震災前はそう思っていた。だが「被災を乗り越えて事業を復興させている今こそ、この会社に関わっていきたい」と押し切った。

圭亮社長には事業承継にある思いがあった。京都の大学を卒業後、父の会社でがむしゃらに働いた。しかし1993年になって突然、手形と小切手帳を出して「後は任せる」と言われた。何の準備もなく、いきなり経営者となり苦労した。自分が経営を譲る際はもう少し時間をかけたいと思った。25歳で大学の後輩と結婚したものの、堯さんが生まれたのは40歳の時であり、「30代の時は跡継ぎがいなくて不安だった」とも明かす。

堯さんは入社1年半後の2016年10月、中小企業大学校東京校の「経営後継者研修」に参加した。全国から集まった後継候補者とともに約10カ月間、泊りがけで経営者に必要な知識と経験を学ぶ。26人の同期生とは卒業後も定期的に再会する。「経営上の悩みなど何でも相談できる仲間を得られたことは大きい」と語る。

印象深かったのは「会社は潰してもいい」と敢えて講師が発言したことだ。「余裕がないと経営者は厳しい」ということを実感した。選択肢を増やす重要性も学んだ。ただ「もう少し会社経験を積んでから入校したほうが良かった」と話す。人事や労務、経理部門などは未経験だったため、研修当初は「何が分からないかが分からない悩みに直面した」という。

事業承継に際して圭亮社長が気を配ったのは、株式の円滑な移転だ。震災後数年して圭司会長と孫の堯さんを養子縁組させた。震災で事実上、株価が暴落したのを逆に好機と捉え、会長、社長、社長の姉らに分散していた株式を堯さんに生前贈与した。「懇意にしている税理士が自ら行った方法で、当社にも勧められた」。結果として節税に貢献したという。

新たな存在意義示し、市場開拓へ

工場内で出来上がった笹かまぼこを梱包する

工場内で出来上がった笹かまぼこを梱包する

事業承継に向けて着々と準備を進めている同社だが、堯さんは「課題は山積している」と言い切る。その一つは財務体質の改善だ。新工場建設に伴う借金をどう返していくのか「お金の回し方を学ぶ必要がある」という。第2は会社の未来を担う若手社員の採用と育成である。各部門を任せられる人材を育てるための社内制度を整備する計画で「残業をさせないなど仕事のスタイルを変えていきたい」と話す。

さらに重要なのが、市場をどう広げるかという点だ。国内のかまぼこ市場は安価な製品と高級品の二極化が進み、人口減少により少ないパイを取り合う形だ。このため海外進出も視野に東南アジアなどを視察する。「海外にはフィッシュボールという練り物があり、受け入れられる素地は十分にある」と語るが、日本流の味付けでは売れず、アルコールを含んだミリンを使えない国もあり「現時点では正直、進出は難しい」という。

冷凍冷蔵技術がなかった頃、かまぼこは日本中どこでも手軽に魚の栄養を摂取できる食品として存在意義があった。しかし今はどこでも鮮魚が食べられる時代。堯さんは「かまぼこでなければならない新たな存在意義を見いだし、パイを増やしたい」と力を込める。

笹かまぼこの詰め合わせ商品

笹かまぼこの詰め合わせ商品

「後を継ぐ人の気持ちが最も大事。息子がいやだと言えば無理だった」と圭亮社長。一方の堯さんは、事業を承継する最大のモチベーションとして「笹かまぼこは宮城の名産品。地域社会から評価され、誇りが持てる仕事だ」と強調する。

圭亮社長は自身が70歳を迎え、堯さんが30歳となる3年後に社長を譲る考えだ。ただし「それまでに(堯さんが)結婚するのが条件」と笑いながら釘を刺す。家庭を持つことが経営者として極めて重要と信じているからだ。「しっかりと利益を出せる体質にしたい」と語る堯さんだが、これには「事業承継の最大の課題は結婚かも」と冗談半分で返した。

●企業データ●

所在地:宮城県名取市植松字入生48-1
電話:022-784-1239
代表取締役:佐々木圭亮氏
創業:1966年2月(個人商店)
設立:1976年12月
資本金:1000万円
従業員:50人
事業概要:かまぼこの製造・販売
URL:https://sasakei.co.jp/