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中小企業診断士トップランナー訪問

(株)あきない総合研究所 代表取締役 吉田雅紀さん

取材・文:平村 一紀(中小企業診断士)

【第2回】 今を一生懸命生きるから認められる

開業当時、年商200億円以上の企業でないとコンサルフィーはとれないといわれた

吉田雅紀さん― コンサルタントとしての方向性を決めてから、どのようにお仕事を開拓されたのでしょうか。

その後、株式公開を提案したベンチャー企業の中から2件の企業と顧問契約を結ぶことができました。残念ながら1社は2年後に倒産してしまいました。けれどももう1社については、株式公開はできなかったのですが、会社そのものを他社に売却することができました。EXIT(出口戦略)としてはベターな選択肢のひとつだと思います。

― 企業を取り巻く環境はどのようなものでしたか。

企業のPR活動がパンフレットなどの紙媒体に加えて、ホームページやCD-ROMといったウェブや映像媒体による販促物に注力しはじめたのもこの頃です。ウェブサイトが経営戦略に組み込まれる時代がやってきたことを感じていました。

でもコンサルタントとして起業したばかりのころは、人によっては『年商200億円以上の企業でないとコンサルフィーはとれない』とか『小規模企業ではギャラを確保できない』といった意見もありました。

― 現実は本当にそうだったんでしょうか。

その後、時代が変わっていったのです。1999年から2000年にかけて、ネットバブルがはじけて、起業してから3~4年で株式公開できる時代がやってきました。それによって、コンサルティングフィーについても成功報酬型の契約が成り立つようになりました。

この時期に、たまたま大阪商工会議所から『マルチメディアとマーケティング』というテーマで講演をしてほしいという依頼がきたのです。正直にいってとてもうれしかったですね。当時、マーケティングの専門家は数多くいたのですが、マルチメディアとマーケティングの両テーマについて、同時に語ることのできるコンサルタントは皆無だったように思います。"URL"とか"メーリングリスト"といった言葉の意味さえ分からないといったコンサルタントが大半だったという時代背景もあり、ネットベンチャーを志す若者からは、本当にいろいろな相談を受けました。

そのような流れで相談を受けていた企業のうちから1社が株式公開しました。現在、監査役を務めている株式会社エルゴ・ブレインズ(ヘラクレス上場企業)です。

こうして戦略コンサルティング・インターネット・ベンチャー支援といったキーワードをベースとした現在のコンサルティングスタイルになりました。

― 個別の企業を支援される以外にはどのような活動をされていましたか。

起業した1996年から1997年にかけては、ちょうどIT分野でSOHOというスタイルで起業する若者が急激に増加していました。そうした起業家を集めて、関西デジタルコンテンツ事業協同組合という組合を立ち上げました。その事業協同組合が大阪市からイメディオというインキュベーションセンターの立ち上げに向けた年間12回のセミナープロデュースの委託事業を受注しました。

インキュベーションセンターは1999年4月に無事にオープンしました。そのセミナープロデュースの仕事が認められたことから、その夏に大阪市から起業・創業に特化した委託事業の全体プロデュースを任せていただくことになりました。1999年秋に準備をはじめて、2000年2月にスタートした支援センターです。テスト段階としてのスタートアップ期の活動がうまくいき、2001年に大阪産業創造館として本格的にスタートしました。

今を一生懸命生きるから認められる

― 支援先が株式公開して、行政の委託業務も受託、コンサルタントとしては理想的なキャリアと思えますが、その点はいかがでしょうか。

30代で事業に失敗して、40代でコンサルタントとして起業、50代で官公庁の業務を請け負うという流れでやってきました。ときどき『とても戦略的に人生を組み立てていますね』といわれますが、全くそのようなことはなくて、たまたまそうなっただけなんです。ただし、ただひとつだけいえることがあります。それは"今を一生懸命に生きる"ことが大切だということです。

起業した当時、インターネット業界でベンチャーを立ち上げる若者たちをたくさん支援してきました。それがきっかけとなり、大阪市のインキュベーションセンターであるイメディオの立ち上げに携わり、大阪市にも認められた。ひとつひとつが連続しているんです。共通して言えることは、今を一生懸命生きているということ、そして、その中で自分自身の持論を持っていたことです。

― そのように公的なお仕事を受託されるときに心がけていることはありますか。

当社では、公的な業務のことをパブリックビジネスとよんでいます。パブリックビジネスについては私自身は3年間で卒業すると決めています。1年目で立ち上げる、2年目はシステムづくりを行う、そして3年目で動き出すという3つのステップを踏むと考えています。

30歳のときに事業を立ち上げて大きな失敗をして"ドン"と落ち込みました。失敗経験をしているからこそ、感じるのですが、ものごとがうまくいくとリスク感性がにぶる。さらに、うまくいくと新しいチャレンジもしなくなる。それでは、世間では通用しない中小企業診断士になってしまいます。刀も抜いたら錆びていたということになってしまう。

本来もっているべき機能ではなく、立場でリードするようになってしまうことになりかねないと思うのです。だからこそ、3年でやめることをきめていました。(この項続く)

吉田 雅紀(よしだ まさき)/大学卒業後、就職した会社にて社内ベンチャー「ポムアレー」発足。1993年分社化、代表取締役社長に就任。1999年有限会社ベンチャー・サポート・ネットワークを設立、代表取締役社長に就任。2006年株式会社あきない総合研究所に社名変更。大阪産業創造館 「あきない・えーど」所長、経済産業省後援プロジェクト起ち上がれニッポンDREAMGATE総合プロデューサーなど歴任。関西学院大学専門職大学院でも教鞭をとる。中小企業診断士。

会社名 株式会社あきない総合研究所
設立 1999年7月
資本金 5,500万円
社員数 4名
所在地 大阪府箕面市粟生新家3丁目1番16号
TEL 072-728-0002
FAX 072-729-0008
ホームページ http://www.akinaisouken.jp