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活躍中の独立診断士へインタビュー

最前線の診断士

診断士×社会活動 信州アルプス大学学長 中村 剣さん

文:福島 正人(中小企業診断士)

【第1回】このまま会社に勤めていて良いのだろうか?

2016年4月21日更新(取材日:2016年3月11日)

中小企業診断士には、地域における社会活動で活躍する人もいます。今回は、2016年1月にソーシャル系市民大学「信州アルプス大学」を立ち上げた中村剣さん(中小企業診断士)にお話を伺います。

自分の人生を自分でマネジメントする

―現在は長野県でご活躍ですが、もともとは九州出身だそうですね。


福岡県久留米市の出身です。1990年に九州工業大学情報工学科を卒業し、福岡を本拠地にしている西日本銀行(現・西日本シティ銀行)に就職しました。最初の2年間は支店勤務です。融資係として、住宅ローンやカードローン業務に携わっていました。その後、システム部門へ異動になり、為替の画面設計などを担当しました。

―銀行のシステム部門で働いていたのですね。

徹夜をしたり、土日出勤になったりすることが多い部署でした。システムエラーで夜間処理がうまくいかないと、影響がどんどん連鎖してしまいます。お客様の口座が資金不足になり、手形が不渡りになったら大変ですから、徹夜で作業する場合があるわけです。新しいプログラムのテストは、銀行業務が行われていない金曜夜~土日に行います。

―現在の社交的な中村さんの活動とは、異なる分野でのお仕事ですね。長野県に引っ越したのは、いつ頃ですか。

30歳の頃です。セイコーエプソンに転職し、本社のある長野県に引っ越しました。情報システム部門に配属となり、最初はプリンター事業部のホームページを作るプロジェクトに携わりました。それからずっと社内の情報システム部門で働いていたのですが、40歳代になって、「このまま会社に勤めていて良いのだろうか?」と感じるようになりました。

―それはどういった思いからですか。

会社に勤めていると、自分の生活が会社に左右されてしまいます。会社の景気が良いときは自分もハッピーだけれど、会社の景気が悪ければどうなるかわからない。まるで大企業1社に依存した下請け企業と同じだなと感じました。自分の人生を自分でマネジメントできていないなと思ったんです。

そこで、中小企業診断士資格を取得して独立しようと考えました。もともと銀行員でしたので、資格自体は知っていましたが、難関試験で20歳代の頃は受ける気もしなかった資格にチャレンジすることにしました。

会社と家の往復だけの生活ではダメだ

―資格の勉強は、どのように行ったのですか。

講演風景
講演風景

通信教育で勉強を始めました。12月に始めて翌年8月の1次試験まで、月1科目くらいのペースで勉強をしましたが、残念ながら1点足りずに1次試験は不合格になってしまいました。翌年の1次試験まで約1年間ありますので、その期間はどうしようかと思っていたのですが、そんな頃、地元の塩尻市(長野県)に「えんぱーく」という施設ができました。図書館のほか、市民活動支援やビジネス支援を行う施設です。「えんぱーくらぶ」という施設運営のボランティア募集があって、そこに応募したんです。

―ボランティアに応募したのですね。

中小企業診断士を目指しているのに、自分が勤めている会社のことしか知らない。会社と家の往復だけの生活ではダメで、もっと地元のことを知らなければいけない。そんな気持ちで参加したのですが、メンバーのほとんどがシニア世代の方で、そんな中に現役会社員の私が1人加わった形です。荷物を運んだり、クリスマス会を実施したりと、ビジネスの世界とはまたく異なる環境の中で物事が進んでいきます。多数決というわけではありませんし、論理的でもない。これが、私の市民活動のスタートでした。

(つづく)

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プロフィール

中村 剣さん

中村 剣(なかむら けん)
1967年生まれ。西日本銀行・セイコーエプソン勤務を経て、2015年に ちえてらすコンサルティングを創業。2016年1月に信州アルプス大学を立ち上げ、学長に就任。