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活躍中の独立診断士へインタビュー

最前線の診断士

自身の経験を活かし、後継者が真の経営者になることをお手伝い

大石 幸紀(中小企業診断士)

【第1回】中小企業診断士の勉強で学んだ知識が経営に活きている

取材日:2014年4月8日

自身が後継者として、つらい時期を過ごしたときに、こんな相談相手がいてくれたら...。そんな思いから、コンサルタントになることを志した中小企業診断士がいます。「アシスト2代目」の屋号を掲げ、事業承継・後継者育成コンサルタントとして活動している高橋秀仁さんです。自ら、親から事業承継した婦人服のセレクトショップ社長との二足のわらじを履き、コンサルタントとして全国の後継者の悩みを解決しています。今回から3回にわたり、高橋さんに伺います。

出社拒否に陥った自らの後継者時代

― 高橋さんは、中小企業診断士としての活動のほかに、自らも会社を経営されているとお伺いしましたが。

高橋秀仁さん
アシスト2代目を名乗る
高橋秀仁さん

現在は中小企業診断士として活動すると同時に、三宮(兵庫県)にある婦人服のセレクトショップを営む株式会社高橋の社長を務めています。私の親が20年前に始めた会社を3年前に事業承継しました。現在、アルバイトさんも入れて8名の会社です。

― 社長に就任されるまでの経緯を教えてください。

平成8(1996)年に大学の経済学部を卒業し、高級寝具の営業職に就きました。その後、居酒屋チェーンに転職して、4年が経った頃でしょうか。すでに結婚して2人の子どもがいたのですが、拘束時間が長いため、家族とほとんど顔を合わせられないライフスタイルに疑問を感じ始めたのですね。そこで、妻に「仕事を変えようか」と相談し始めたところ、父親から「だったら、うちを手伝えば」と依頼され、入社することになったのです。平成12(2000)年の話です。

当時、株式会社高橋はセレクトショップのほかに、西宮(兵庫県)でイタリアンレストランを経営していましたが、赤字続きのその店の運営を私に任せたい、という話でした。飲食店なら前職の経験が活かせると、張り切って働き始めたのですが、いま思えばその店は、店舗コンセプトも顧客ターゲットも曖昧で、全体的なバランスがとれていませんでした。そんな根本的なことにも気づかず、チェーン店で学んだやり方を強引に導入したり、小手先の集客方法を学ぼうとさまざまなセミナーに参加しては店舗で実践し、成果が出ないとあきらめてしまったり、といったことのくり返しでした。

成果を出せない私に、しだいに父親も注文をつけるようになりました。当時の私は、「知識もないのに口出しするな」と親に反発し、だんだんと口も聞かなくなっていきましたが、父親が社長で私は店長ですから、レストランの従業員は私のことを無視するようになり、30坪の店内に居場所がない。針のムシロ状態で、ついには出社できなくなってしまいました。本当に苦しかったです。

当時頭にあったのは、相談できる相手がほしい、という思いでした。どうしたら経営がうまくいくのか、知識や理論に基づいて話せるコンサルタントがいてくれれば、と求めていました。店の前まで行き、顔だけ出して、営業と称して1日外に出ている――そんな生活を2ヵ月ほど続けました。実際、公園にぽつんと座っていた時間もあります。その後、「問題から逃げても何も変わらない」と気づき、心に鞭を打ちながら、何とか出社できるようにはなりましたが、ついに赤字は解消されず、私が入社して3年目に飲食事業から撤退することになりました。

失敗を糧に中小企業診断士を志す

― それは大変な経験をされましたね。飲食店事業の撤退後はどうされたのですか。

株式会社高橋が運営するadesso神戸
株式会社高橋が運営するadesso神戸

株式会社高橋は、父が経営する病院の子会社のような形でスタートした会社です。早い時期に兄が医学部に合格していたため、病院は兄が継ぐだろうと思い、自分はビジネスの世界で活躍しようと、高校生の頃から「社長になりたい」という夢を持っていました。大学の学部も経営学を選びましたが、いま考えると、それは医学部へ行くための猛勉強をしない口実だったのかもしれません。当時の私は、世間で言うところの「ドラ息子」だったと思います。

そんな私が30歳手前で、まったく未経験の洋服業界一本で生きていくことになってしまい、正直自信がありませんでした。幸い、経営にはまだ親もいましたので、「いまのうちにもう一本、自分が生きていくうえでの柱がほしい。そうだ、コンサルタントになろう。自分が苦しかった時期のように、きっと相談相手を求めている経営者がたくさんいるはずだ」と思い、自分がセミナーに通っている際に存在を知った中小企業診断士になろうと、勉強を始めたのです。

イタリアンレストランがあのままうまくいっていたら、私は中小企業診断士になっていなかったでしょうね。店舗では孤立したりもしましたが、飲食店は好きな仕事でした。うまくいかないから、経営を学ぶ必要性を感じ、それが中小企業診断士の勉強につながったのだと思います。そして、昼間はセレクトショップの仕入業務などをしながら、土日と夜を中心に勉強を進め、1年目は敗退、2年目に1次試験に受かり、3年目に2次試験に合格しました。

― 中小企業診断士の勉強をして、何か変化がありましたか。

勉強しながら、学んだ知識をセレクトショップで実践してみました。決してうまくはいかないのですが、勉強する前と違うことは、そこであきらめてしまうのではなく、現場で試行錯誤するようになったのです。基本となる考えや理論がわかっていますので、うまくいかなかったとしても、部分的な改善を加えて再度試してみるようになりました。チラシの反応が薄いときなど、何がいけなかったのかを落ち着いて見られるようになったのは、中小企業診断士の勉強過程で土台となる知識がついたからでしょう。表面的なことではなく、仕組みやそこにある意味を理解できるようなったことは、とても大きいです。

どんな商売でも、良いときとダメなときがありますが、コンセプトとお客様のターゲットを明確にし、理論に基づく経営をしていけば、大きな失敗はかなりの確率で防げます。中小企業診断士の勉強で学んだことを実践して、大きな成功を収めるということはそれほど多くないかもしれませんが、大きく失敗することはなくなります。失敗しなければ、悪い状態でもギリギリやっていけて、ときどき何かがうまくいければ、プラスになる。それを前提に計画を立てていけば、最悪の事態にはなりません。私の会社も現在は、そういった状態です。失敗したらどうしよう、という漠然とした不安はありません。

現在、店とのかかわりは、週に一度の経営会議と店舗視察だけです。商品や売り出し方が、店舗のコンセプトとずれていないかを確認したり、現場での相談に応えたりしていますが、基本的な運営はスタッフに責任を持たせて任せています。

【お役立ち情報】

(つづく)

【関連情報】

高橋 秀仁(たかはし しゅうじん)
(株)高橋代表取締役。アシスト2代目代表、事業承継・後継者育成コンサルタント。昭和47(1972)年兵庫県芦屋市生まれ。自らの事業承継時の親子間軋轢や社内外失敗などの苦い経験から、後継者に共通の悩みを知り、後継者ならではの問題や潜在ニーズに合ったコンサルティングを行う。承継後に、後継者が真の経営者になるための総合的な経営支援と後継者育成を実践し、後継者は良い経営者になる「DNA」を必ず持っているという信念の下、多くの後継者を育成、幸せな後継経営者を多数、世の中に輩出している。これまでに300名の後継者と面談し、その悩みを解決してきた。

商号 アシスト2代目
代表 高橋 秀仁
所在地 兵庫県西宮市和上町6-22-1105
ホームページ http://asisst-2daime.com/
TEL 0798-34-0761
FAX 0798-34-0761