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6度の受験を通して得たもの―三上康一さんに聞く

取材・文:田中 聡子(中小企業診断士)

【第1回】受験生時代~合格まで

取材日:2010年4月9日

今回、ご登場いただいたのは、「熱血感動型が【ナイスな】中小企業診断士になるまで。」のブロガー、三上康一さんです。
中小企業診断士第1次試験の知識がまったくないまま、学習を始めた平成13年。その後、6度の受験を経て、平成19年に合格した際の心境を綴った『受験生最後の日 3つのドキュメント』(同友館)は、共著として出版されました。中小企業診断士合格を通じて、ご自身にはどのような変化が起きたのでしょうか。

学習時間のつくり方

― 三上さんとは、合格年度が同じで、同じ研究会にも所属しているので、一緒に活動する機会が多いですよね。本日は、受験時代のご苦労や、現在の心境などをお伺いしたいと思います。
さっそくですが、中小企業診断士を目指したときは、ガソリンスタンドにお勤めでしたよね。休日も就業時間も不規則で、学習時間の捻出に苦労されたのではないでしょうか。

そうですね。私が勤めていたのは、規模の大きなガソリンスタンドでした。営業時間は7~23時で、700坪ある店舗の開店準備のためには、朝5時半前に家を出なければならない。平日夜に受験校で講義を受けた翌日は、出勤がつらかったですね。それに、店長だったので、土日は休めない状態だったんです。勤務中も、事務所にこもって勉強したりしていましたが(笑)、平成14年の1次試験受験のときは、受験後に店舗へ戻ったほどでした。

でも、この環境で受験するのには無理があると感じて、自分がいなくても店舗が回るように職場の改善を始めたんですね。権限委譲を行ったり、シフトを工夫したり。もともと人不足の職場だったので、売上を高めて、それを原資に適正要員となるよう、人員を確保しました。その結果、平成16年の受験前には、ある程度学習時間を確保しやすい環境が整って。学習時間の確保が当初の目的だったのに、結果的には業績向上にもつながったんです。店長だからできた部分もあるでしょうが、大局からの環境改善が必要なことって、受験勉強でも仕事でもありますよね。まずはマクロの視点でみる、というか。この考え方は、中小企業診断士になってからも役立っています。

「一歩引いてみる」ことの大切さ

― 私もそうですが、三上さんも受験歴は長いですよね。どうやってモチベーションを維持されたのでしょうか。

受験をくり返す中で大きかったのは、冷却期間をつくったことと、コーチの方に出会えたことですね。

私は、1次試験合格までが5年間と長かったんです。1年目も勉強しなかったわけではないんですが、まったく歯が立たなかった。そこで、翌年は徹底的にやったつもりでしたが、結果はダメで...。私は高卒なので、大卒の受験生とは競えないのかと悩む一方、2年間これだけ勉強したのだから3年目は合格できるだろう、と気持ちを切り替えて再受験を決めました。職場の環境改善も軌道に乗り、学習時間の確保もできつつありましたからね。平成16年は、受験校でも上位にランクインし、合格がみえてきていました。ところが当日、解けると思った問題に固執してしまい、ペースを崩して、またも不合格になってしまった。

悩みに悩みました。根本的に何かが違うのではないか、とも考えました。でも、合格して転職したい、と思っていたので、学習は続けたかったんです。それで、まず1ヵ月間、まったく勉強しない時期をつくり、自分を見つめ直すことにしました。習慣になっていたことをやらないのは、はじめは違和感がありましたが、あるとき、「あぁ、今までずいぶんあくせくしていたな。余裕がなくて、視野も狭くなっていたな」と気づいて。自分なりの方法を試してみたくなり、翌年は独学にしました。「熱血勉強会」を立ち上げ、2次試験対策も独自に考えたんです。

また、この時期に、コーチにも出会いました。自分の考えが違っているのか、違うならそれをどうすべきなのか。そんなことを一歩引いて、客観的に見つめ直したかった。当時は、1次試験に助言理論という科目があり、そこで学んだ「コーチング」という言葉を頼りに、メールでコーチングをしてくださる方を探したんです。このコーチングによって、相手の話を受け止めることの大切さを学びました。職場改善にも取り入れたところ、職場のモチベーションも上がりましたね。従業員の言うことを受け入れていくと、彼らから新しい提案が生まれたり、細かな指示なしでも自ら動いてくれたりするようになったんです。こうして、徐々に作業にとらわれず、店長として業績拡大策に注力できるようになり、売上もさらに上がっていきました。

― 仕事と受験勉強が、よいサイクルで回っていったんですね。でも、平成17年の1次試験は、合格まで6点足りなかった...。

三上康一さん

当時は1,000点満点で、600点が合格点でした。自己採点をしたら、594点。もう4回目だったので、さすがに受験を継続しようかどうか、迷いました。でも、思い直したんです。あと、たった6点だ、と。594点の人と600点の人の実力は、そう変わらないはず、自分の方法は間違っていないだろうと考えて、同じ学習方法を継続することにしました。

1次試験に合格した平成18年とそれまでの違いは、過去問を重視したことですね。この年、過去問の重要性を書いた中村俊基さんのブログ(Yahoo!ブログ - 中小企業診断士 中村俊基)に出会ったんですが、内容がすんなり自分の中に入ってきて、その年は徹底的に過去問を解きました。たとえば、企業経営理論なら組織、人事・労務管理、マーケティング、と細かく分けて、それぞれを徹底的に回しました。受験校のテキストを辞書代わりに位置づけて、過去3年分を回しているうちに、同じことを問われていると徐々にわかってきたんです。

また、試験案内の突き合わせも行いました。平成17年と18年の試験案内に記載されている試験科目内容をマーカーでチェックしていくと、内容が変更になった箇所がいくつもありました。財務の限界利益も、新たに加わった論点でした。これは出るだろう、と考えて学習していましたが、結局1次試験にも2次試験にも出題されました。

― 2次試験の前は、1週間学習をお休みしたと伺いましたが...。

1次試験の合格がわかった瞬間、へなへなと全身の力が抜けてしまって(笑)。それで、気持ちを切り替えてテンションを上げるには、休むことも必要だろう、と考えたんです。1次試験合格に5年もかかったのだから、普通にやったら2次試験は何年かかるかわかりません。合格できるとすれば、勢いのある今年だろう、と思ったんですね。そのためにエネルギーをためよう、と決めました(笑)。

もちろん、休んだ後は、徹底的にやりました。しかし、本番2日前、机に突っ伏して寝ていて、風邪をひいてしまって。医者で薬を処方してもらいましたが、試験当日も具合が悪かった。昼食後、迷ったんですが薬を飲み、事例IIIではこともあろうに眠ってしまいました。でも、この年は、おそらく体調がよくても不合格だったと思っています。1年に1回しかない本試験で体調を崩した時点で、中小企業診断士失格ですよね。

ただ、翌年の受験時には、大きな気づきがいくつもありました。そういう意味では、この年に合格しなくてよかったのだと思います。

― 翌平成19年の合格の要因は、何だったのでしょうか。

一歩引いて、客観視できるようになったのが大きいですね。その年は、8月に1週間夏休みをとって、実家に帰省したんです。テキストも何も、持っていきませんでしたね。

と言うのも、丸6年の受験期間中、一度もお墓参りをしていなかったことに気づいたんです。それは人としてどうなのだろう、たまには先祖を敬ったり、親孝行をしたりしよう、と考えました。

この1週間が、本当に大きかった。その後から、自分の視点が変わって、今まで煮詰まっていた問題も解けるようになりました。「合格できる解答を書かなくては...」などといった気負いがなくなり、「どうしたらA社社長の期待に応えられるか」という視点で、自然と捉えられるようになったんですね。一度受験生の立場を離れたことで、両親や家族をはじめ、さまざまな人の立場に立てたんだと思います。それまではずっと、「オレ志向」だったのでしょう。

「今年ダメでも、合格するまで受け続けよう」と腹をくくったのも、この年でした。野球にたとえると、延長戦に入っただけだ、と。

昭和44年夏の甲子園決勝で、伝説的な試合がありました。名門・松山商業を相手に、延長18回を投げ切ったのが、私の出身地・青森県立三沢高校の選手でした。太田幸司さんというピッチャーで、私の親戚にあたるのですが、控え投手もいない中、翌日の再試合でも9回を投げ切った話を、帰省先の青森から埼玉の自宅に戻る車の中で、思い出したんです。「試験がなくなるわけではないし、腰を据えてじっくり取り組もう」という気持ちになりました。自分を客観的にみることができるようになって、肩の力が抜けたんでしょうね。

もちろん、急にこんなふうに考えられるようになったわけではなく、自分の中に蓄積されてきたものがあふれてきた感じです。自分を客観的にみることについては、コーチに習ったことがようやくできるようになったのでしょう。合格までの6年間は、私にとって必要な時間だったんだと思います。ストレート合格できる方は、今までの人生の中で、中小企業診断士になるために必要なことを蓄積してきた方で、私はたまたま受験生活が長かったけれど、合格に必要な期間は皆さん、そんなに変わりはないのだろう、と理解しています。あの6年間がなかったら、自分はとても器の小さい人間で終わっていたと思います。

(つづく)

プロフィール・会社概要

三上 康一(みかみ こういち)
1965年青森県青森市生まれ。ガソリンスタンド運営会社に通算20年勤務し、退職後、2009年に三上中小企業診断士事務所を開業。高齢者・フリーターの雇用を主としたコンサルティングのほか、各種セミナー講師、受験生に対するコーチング・指導を中心に活躍中。『受験生最後の日 3つのドキュメント』(共著・同友館)等、著書3冊。

会社名 三上中小企業診断士事務所
代表 三上 康一
所在地 埼玉県川越市小仙波町2-44-11-205
TEL/FAX: 049-226-1867
E-mail: bbb3850@ybb.ne.jp
ブログ: 熱血感動型が【ナイスな】中小企業診断士になるまで。