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企業内診断士座談会 -診断士としてのもうひとつの活躍の仕方

司会:村橋 保春

【第2回】診断士として勤めている会社(2)

司会:村橋 保春
参加者:大津 武宮沢 勲原田 洋一

取材日:2009年2月2日

司会:それでは、宮沢さんにも改めて自己紹介していただきましょう。

宮沢さん・大津さん

診断士を目指したきっかけと今の仕事

宮沢氏:私は今スタージュエリーという、ジュエリーを取り扱う会社に勤めています。スタージュエリーでは営業本部長をしています。お店は全国で43店舗出店しております。戦後1946年に横浜元町商店街で開業しました。

ジュエリーは平和産業といわれ、戦争の時代には成り立ちにくい業種です。

戦後すぐは日本人ではなく外国の方が主なお客様でした。横浜元町商店街は英語が通じる商店街として、外国人の間で評価されていました。

当初は輸入商品も多く扱っていましたが、早くからオリジナル性にも注目し店舗内に工房を設けていました。当社は日本で初めて本格的なピアスを扱う店として米国の新聞に紹介されたこともありました。ジュエリーが高価な宝飾品か安いアクセサリーしかない時代に、ファッション性を取り入れファッションジュエリーとして女性がジュエリーを楽しむ市場をつくってきました。

日本のファッションがヨーロッパテイストからアメリカンテイストに移る時代に横浜ではハマトラブームが起こり、当社もその流れと時期を同じくしてオリジナルジュエリーを中心とした事業を進めていくことになりました。

司会:なるほど、ジュエリーに関し興味深い話ですね。

宮沢氏:中小企業診断士の資格を取りたいと思ったきっかけを話したいと思います。

前職の仕事柄、地方での仕事を多く経験しました。地方でのクライアントは、本当に中小零細企業が多く、もし今回投資をしたお店がうまくいかなかったら、クライアントの人生は終わってしまうのではないかと思えることが多くありました。仕事としては施工により多くお金をかけてもらうことが大切ですが、かぎられた予算の中でいい物を作ることが求められている、そんな考えが湧いてきました。中小企業診断士に関しても関心を持ち始めていました。20代前半の頃です。

その後、札幌で仕事をする際にご一緒した建築士の方と知り合いました。大学で教鞭をとり、すでに大変優秀な方なのに努力をし続ける姿勢を近くで見聞きして、私も強く触発されました。自分を高めるために資格取得を考えましたが、サラリーマンを続けながら資格を取るのは結構難しい。そんな中で、中小企業診断士という資格は努力すれば達成可能であり、取得すれば十分な達成感を得られる、そんな資格だと考えてチャレンジし、取得しました。

司会:確かに、サラリーマンが自分の実力を確認するにはいい資格ですね。

宮沢氏:転職に際しては、小さな企業、100人ぐらいで100億円位の売上の会社に行きたいと考えていました。企業としての成長の場面を見ることができ、株式上場に関わる業務も経験してみたい。そんな思いです。

診断士を取って一番に変わったのは人間関係ですね。

企業の営業マンであれば、クライアントとは発注する側と受注する側の関係しかなく、この関係はどこに行っても同じだと思います。名刺交換する人がお客さんになるかどうかをついつい考えてします。

しかし診断士になると、お互いに同じ努力をしてきたということでレスペクト(尊敬)し合える関係にあり、対等に話し合うことができる。資格を取得したのは30代前半でしたが、訪問先の部長クラスの方でも、診断士ということで対等な立場でお話してくださるようになる。得られるものが格段大きくなります。

診断士を取って少しの間講師もしておりました。その際、新規事業という科目を担当しました。このために勉強する中でベンチャー企業が、成功に至る確率は数パーセントであっても、生き生きと前に向かって働いている様子を見ることができました。こうした経験が転職に進んだ大きな理由です。

大津氏:宮沢さんと私はほぼ同じ時期に転職しましたので、当時の勤務先は少し困っていたようです。

司会:力のあるお二人ですから、相当困られたと思いますよ。

(つづく)