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まちを変える動きを作る

文:上田 恵美子

『まち歩きが観光を変える 長崎さるく博プロデューサー・ノート』

さるくることで動き出す

「イベントをきっかけに、住民自身に地域を見直してほしい」、「活発な交流が生まれる地域になるよう、仕掛けを作りたい」、「一過性のイベントはもういらない」、同じ思いのイベント仕掛け人はたくさんいるでしょう。この本は、そんな思いから、「まち歩き」イベントで勝負に出た長崎市の話です。

長崎市は04年と05年にプレイベント、2006年に本イベント「長崎さるく博」を開催しました。「さるく」とは「ぶらぶら歩く」という意味です。そこで、疑問がわいてきます。「ぶらぶら歩く」って、ほんとにそんな地味なことが博覧会のテーマなのか?

「さるく博」には、大企業の最新技術を駆使したパビリオンやマンモスの化石などはありませんでした。余所から持ち込まれたエンターテイメントでなく、地元の資源を最大限に活かしたツアーとまち歩きコースが中心です。「さるく」として、コースが示されたマップ片手に自分で自由に歩く「遊さるく」、長崎名物のガイドツアー「通さるく」、軍艦島巡遊や地元メニューの食べ歩き、専門家による長崎くんちの講座など、長崎ならではのテーマを掘下げる「学さるく」、この3つのメニューが用意されました。こうしたコースは、「市民プロデューサー」と呼ばれる人達の参画で作られました。そう、「さるく博」がこれまでのイベントと違っている決定的な点は、市民主体のイベントということです。

ツアーのためのガイドも必要です。長崎市にはすでに観光ガイドもいたのですが、イベント用に新しくガイドを養成し、市民による「さるくガイド」が誕生しました。「さるくガイド」は簡単な研修を受けただけの市民で、歴史の知識よりも、自分が育ったまちの自分の経験を語るガイドで、まちの顔のような存在です。老若男女さまざまな市民が「さるくガイド」として参加しました。さらに、市民文化に関わって、伝統産業の職人、料亭の女将、住職、研究者などが協力しました。

「まち歩きの博覧会」ということで、最初は何が始まるのかよくわからなかった市民にも、徐々にどんなイベントかが伝わって行きました。「わからなければ、とにかく参加すればわかる」、そう説明することが一番というイベントでした。その結果、「自分たちのまちにはこんな価値があったんだ」という市民の意識の変化や、「こんな風にガイドしてもらったら長崎っておもしろい」という観光客側にも新たな発見がありました。

イベントはスタートライン

従来の大規模イベントは、イベント開催中はにぎやかに盛り上がっても、イベントが終わると跡には何も残らないのが当たり前でした。経済効果はというと、開催中はそれなりの効果があっても、大手イベント会社によって多くが域外に流出します。イベントのおかげで観光地の知名度が上がったとは言うけれど、イベントの翌年は例年よりも観光客数が落ち込んでしまうことも多いようで、知名度が上がっても、その効果は明らかではありません。こうした課題について、やる側の関係者は気がついていないわけではありません。それでも、行政のトップがやると言い出して、決まってしまっているイベントだからやるしかない、イベント会社に頼んで無難に終えてしまおう、どこの地域もそうなってしまうのでした。

長崎市が目指したのは、市民主体でした。市民によるイベントで、長崎を歩き尽くすための仕掛け作りでした。このイベントのプロデューサーとなったのが、著者の茶谷氏でした。「どうやって市民を巻き込むか」、それまで数々のイベントをプロデュースしながらも達成できなかったことに、著者は長崎市で挑戦することになりました。

思いがたぎる だから動く 続く

この本は、茶谷氏ご自身の体験をもとに綴られています。本編は、熱い思いを持った長崎市観光振興課の職員からのメールで始まります。その職員は茶谷氏の目指してきた市民主体のイベントの本質を理解し、茶谷氏に長崎市のイベント・プロデューサーを依頼してきました。「なぜまち歩きを考えるのか」、「どういうイベントをしたいのか」、職員のメールは茶谷氏の心にしっかりと伝えました。

市民主体のイベントは、行政の本気の協力なしで、プロデューサーに頼りっぱなしでは達成できません。茶谷氏と長崎市職員は、「市民主体のイベント」というリスクに挑み、二人で「心中する覚悟」で「血判状」まで交わします。

茶谷氏は市長との面接を経て、正式にプロデューサーとして動き出します。長崎市民とはどんな人達なのか、面接では長崎市民に「のぼせもん」(長崎で「市民事業に一肌脱ぐ市民」のことを言うそうです)が多いとわかり、市民主体のイベントへの手応えを強めます。イベントの内容が徐々に決まり、市民主体の仕掛け作りいよいよ本格的に進んでいきます。

担当職員の突然の異動による肩透かし、イベントが近づくに連れて高まる不安、きりきりと痛む胃、そんな茶谷プロデューサーの苦闘は、プロデューサーを経験された方なら痛いほど伝わると思います。いよいよさるく博が開幕、しかし、思わしくない出だし。そして、大逆転。

イベント終了後、「長崎さるく」の継続が決定しました。そんな折に、2007年4月、予期せぬ大事件が起こりました。長崎市長が銃弾に倒れました。しかし、突然の訃報を乗り越え、新しい展開が起こります。この結末は是非読んでいただきたいです。

長崎さるく博とほぼ同時期に行われたのが2005年の「愛知万博」です。もちろん、愛知万博の集客数はさるく博の比ではありませんでした。でも、あれだけたくさんのボランティアが集まり、ボランティアで支えたと言われる愛知万博でさえ、終了後の観光に結びつくものはほとんど残らなかったと聞きます。それを考えれば、多くの市民がまちの価値について見直し、観光都市として新たなスタートを切ることができた長崎さるく博は、着実に実績を残したと言えるのではないかと思います。

この本でいう「観光」は、一般の人がイメージするこれまでの「観光」とはまったく違います。観光政策と言えば、行政の観光の主管課と観光産業だけで事業を展開してきました。一般市民はほとんど関係ありません。そんな中、「長崎さるく博」は、市民主体の観光事業を達成し、国内観光のあり方に一石を投じました。さらに今後は観光を含めた地域振興策にも影響を与えると考えられます。九州ではすでに各地で「さるく」を模索する動きもあるようで、今後が楽しみです。

『まち歩きが観光を変える 長崎さるく博プロデューサー・ノート』

『まち歩きが観光を変える 長崎さるく博プロデューサー・ノート』

茶谷 幸治[著]
191ページ
定価:1,680円(税込)
学芸出版社刊 http://www.gakugei-pub.jp/