経営コンサルタントの国家資格”中小企業診断士”の情報が満載です。 中小企業診断士の広場

中小企業診断士の広場

メディアを診る

マニュアルを超える要因

文:加藤 毅(中小企業診断士)

伊集院静著『冬のはなびら』にみる精神伝承の重要性

経師屋の和平

「冬のはなびら」は普通の人の生活を綴った短編集です。一貫して仕事とは何か、という視点で描かれている点が文学作品としてやや珍しいと思います。

その中の一編に、「雨上がり」があります。鎌倉の経師屋和平のもとで修行する青年寛作の成長を描いた小品です。

寛作は不器用で要領も悪い男です。ただし和平の言いつけを守り、まじめにこつこつと仕事をしていました。

寛作は同じ年の職人仲間である龍也に対してコンプレックスを抱いています。地味な下働きしかやらせてもらない寛作と違い、手先が器用で如才なく振舞える龍也は一人前の職人として仕事を任されています。やがて龍也はコンクールに入賞し、さらに条件のいい東京の店に移ってしまいます。

人が人に教えられるものは精神しかないんだよ

残された寛作は「俺は、ここでしかやっていけない」と自信を一層失ってしまいます。自分ひとりが取り残されたように感じているなかで、20年前に師匠である和平が仕立てた襖を上得意客から見せてもらう機会を得ます。派手さはなく地味な襖だが、歳月が経つほどに和平の仕事の確かさを感じさせると上得意客は寛作に語ります。地道な作業を丁寧にやることを大事にする和平ならではの仕事ぶりが、寛作にも伝わってきます。

上得意客は襖を前にしながら、寛作に「職人としての精神」の継承を説きます。

「手本は手本の域を出ない。教えられたものも教えられた域を出ない。だとしたら目に見えるものには限度があるということだ。そう考えると、人が人に教えられるものは精神しかないんだよ。」

寛作はその話を聞き、上手く立ち回る龍也をうらやましがることをやめようと決めます。手先が不器用でも地道な作業をしっかりやろう、地味な下働き仕事を丁寧にやる今までの姿勢を大事にしよう。焦る気持ちは消え、時間をかけて師匠和平の精神を継ごうと思いを新たにします。

クレドは憲法

この話を読んだときに、名門ホテルでありホスピタリティで有名なリッツ・カールトンを思い出しました。同社の従業員が、理念・信条などが書かれているクレドカードを常時携帯しているのは有名です。このクレドの内容は全ての規定やマニュアルに優先する憲法と位置づけられ、新入社員研修でもこの規定の説明を第一に行います。マニュアルなどは二の次なのです。

マニュアルは従業員の即戦力化や標準化を図る意味で不可欠です。しかしマニュアルを教え表面的な仕事を教えるだけでは、社員は成長しません。仕事の意義、経営の理念といった精神部分を伝えていく努力も必要なのです。時間も手間もかかりますがリッツ・カールトンはそこを怠らず、マニュアル+αのサービスができるように従業員を教育しているのです。

『冬のはなびら』

『冬のはなびら』

伊集院静[著]
文庫・244ページ
定価470円(税込)
文藝春秋刊(文春文庫) http://www.bunshun.co.jp/