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株式会社パール技研 代表取締役 小嶋 大介さん

取材・文:平井 彩子(中小企業診断士)

【第2回】窮境に陥ったリーマンショックの波、そして再生

2016年5月17日更新(取材日:2016年3月10日)

第2回は、窮地に立たされた会社を再生すべく再生支援協議会へ足を運び、中小企業診断士と二人三脚で再生計画を立案され、さらには驚きのV字回復までを果たされた軌跡をお話しいただきました。

再生支援協議会での中小企業診断士との出会い

― リーマンショックの余波は想像以上だったようですね。

当社は、リーマンショックの波が他社よりも遅く、平成20年12月頃にやってきました。「うちは大したことがないな」と言っていたら、ガクっときたのです。そのとき私は、統括本部長という肩書きで、経理以外の部門をすべて見ていました。当時、父は倒れていましたし、自分でどうにかしなければいけないと、銀行対応も自分で行うことになりました。メインバンクから返済をリスケする話が出たのですが、その頃は「リスケ」が何かもわからずに一人で銀行を訪問していました。そしてそのうちに、「再生支援協議会(協議会)へ行って来い」と言われてしまったのです。

実は、この1年ほど前に、父が単身協議会へ乗り込んで行ったことがあったのですが、けんもほろろで、「おたくの会社はもうダメだ」と言われていました。しかし、父は言うことを聞かない人と相手にも見抜かれていたのでしょう。その後、自助努力で改善を行い、多少明るさが出てきた1年後に、「息子さんがやるなら支援します」と話がまとまりました。そこで、事業のデューデリジェンスを行うにあたって担当してくれた方が中小企業診断士だったのです。

― どのように計画立案を進めていかれましたか。

私がやりたいことと現状のヒアリングを、中小企業診断士の方にしてもらいました。自分の中のモヤモヤした思いを上手に引っ張り上げてくれる人だったんです。アウトプットをちゃんと出して説明していただきました。実務的な数字はこれまでも自分で作っていましたが、きちんと計画を立てたのは初めてでしたし、経営の勉強ができたことは良い機会になりました。これは、中小企業診断士の方の引き出し方が上手だったからというのが大きいと思います。

それよりもずいぶん前に、経営革新を取得する際、中小企業診断士の方にご支援いただいたのですが、そのときは補助金の支援だけでしたので、中小企業診断士は補助金の支援を行う人くらいにしか思っていませんでした。そのため、事業デューデリジェンスを通じて、親身になって話を聞いて計画を立ててくださる中小企業診断士の方なら、今後も経営についていろいろと相談してみたいなと思うようになりました。

その方は、たとえ話もとても上手な方でした。「パール技研さんは、たとえばカローラの注文を受けているのに、クラウンを作ってカローラの値段で納めていませんか? 技術に自信がありすぎて、ムダに高いものを作っています。カローラのオーダーにムダなコストをかけているなら、クラウンの受注をちゃんと取りに行けばいい。その管理をきちんとしなければいけませんよ」という具合です。わかりやすいですよね。結局その方の話に応えるために、自分も一生懸命に勉強をしました。

協議会では、本来は10年計画を立てなければいけないところ、どうしても組めずに夢物語の数字を書くしかない状態でしたから、「仕方がないので、暫定計画へ移行しよう」と言われました。その暫定計画の意味もよくわからず、後々になって聞くと、「3年間はとりあえず会社を生かしてあげましょう。その間に皆さん、準備をしておいてくださいね」という意味でした。それが、何と3年計画を立てて、計画第1期のときには、計画の7割増しくらいまで売上を上げることができたんです。今思えば、ここで暫定計画の意味がわからなかったからこそ、落ち込まず前向きにやってこられたのかもしれません(笑)。

小嶋 大介さん

― 170パーセントとはすごいですね。どのような取組みをされたのですか。

その後も右肩上がりを維持し、現在は売上が10年前と同じレベルまで戻りました。何より、利益率が桁違いに良くなりました。それまでの社内の体制が相当甘かったということです。具体的には、ザルで管理していたところを正すことをしていきました。それこそ「電気を消せ」などと細かいことも言っていました。いまにしてみれば、電気を消す・消さないの問題ではなく、こうした活動を通じて社員の仕事の進め方、考え方が変化していったように思います。コスト計算に関しても、以前は、「1つ大きい受注が取れれば食えるだろう」といったノリで、かなりのどんぶり勘定でした。どんぶりと言っても、下に穴が大きく空いてるようなレベルですね。ですから、利益率が非常に高いものもあれば、大赤字のものもあり、売上が上がっても、儲かっているかどうかが自分ではよくわかりませんでした。それが、いまは少しずつ変化し、多少の付加価値を意識したりもしています。当社は材料比率も低いですから、そういった意味では割と付加価値をつけることができてきたと思います。当時は、そのような数字を気にすることもなかったですからね。

祖父と父が残した言葉と再生支援協議会からの卒業

― どんぶりとは言いながらも、試算表はかなり早く出るようで素晴らしいですね。

はい。月の試算表が翌月の10日過ぎ頃に出ます。月の第3火曜日には社内で発表します。請求書の発行については、かなりあおられているメーカーもあると思いますが、これは先代の頃からの速度で、どこで話しても驚かれます。先代の頃は、そういった数字は社内で開示をしなかったようですが、いまは自分1人でもやもやと考えるのではなく、皆でやろうと思っています。ですから、P/Lをもう少しざっくりまとめた形にして会議で報告していますし、その分、主任クラスでも数字を意識しています。直前月の結果がすぐにわかるため、モチベーション向上にもつながりますし、悪い時は危機感を覚えて考えて行動してくれるようになりました。数字は、それを活かすことが重要ですね。

― 銀行とのお付き合いに関しては、先代たちが遺された言葉があるそうですね。

金融機関の担当者も身近なところには手厚いですので、試算表が出るたびに全行を回っていますよ。父の遺言で、「銀行には良いときは良い、悪いときは悪いと素直に話せ」と言われました。ちなみに祖父は「銀行は、昔でいう都市銀行、地方銀行、信用金庫の1行ずつと付き合え」という言葉を遺しています。

とはいえ、再生までの道のりは本当に大変でした。先代たちが遺した言葉、従業員の頑張り、周囲の支援者のおかげで、再生支援協議会は無事、平成28年2月に過去にここまで復活したところは見たことがないと言われるほどの状況で卒業することができました。卒業した今だからこそ言える過去ですね(笑)。

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(つづく)

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プロフィール

小嶋 大介(さん

小嶋 大介(こじま だいすけ)
1974年千葉県生まれ。大学院在学中の2000年に株式会社パール技研入社。2011年代表取締役就任。金属の精密加工を得意とし、主に、自動車やバイクの金属部品の試作開発を行っている。江戸っ子1号プロジェクトへの参加や全日本製造業コマ大戦への出場などで活動の幅を広げ、その知名度は全国レベルである。