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株式会社パール技研 代表取締役 小嶋 大介さん

取材・文:平井 彩子(中小企業診断士)

【第1回】4代にわたるユニークな社長が支えてきた創業60年

2016年5月10日更新(取材日:2016年3月10日)

昭和31(1956)年に創業した株式会社パール技研(千葉県)は、主に自動車、バイクなどの金属部品の試作開発を行っています。自動車業界の技術開発の最前線である、トップカテゴリー向けレース部門で使用されるエンジン・ミッション・駆動部品などを手掛けており、高い品質水準が強みの企業です。本連載の第1回は、企業の成り立ちと小嶋大介社長ご自身への事業承継、さらには江戸っ子1号プロジェクトへの参画についてお話しいただきました。

パール技研の成り立ち

― 創業60周年、おめでとうございます。パール技研の成り立ちについてお聞かせください。

ありがとうございます。当社は、私の祖父の代の設立から60年となりました。厳密な記録はないのですが、実際はその前に曾祖父が「小嶋製作所」を創業しており、戦時中の薬きょうの製造を行っていました。戦争で会社が焼けてしまったときに曾祖父は、「うちが燃えたから日本は負けたんだ」と言うくらいの豪気な人だったそうです。

その後、カミソリの刃や鉛筆削りの製造などを経て、金属の板をプレスで抜いて処理して研磨して...とやっているうちに、先代である父が、高度成長期真っ只中に自動車部品製造を受注してくるようになりました。現在は量産はせず、試作部品、レース部品が中心です。当社は、本田技術研究所との取引によって大きくなってきました。以前は「有限会社パール」という会社名でしたが、昭和55(1980)年に株式会社化し、「パール技研」としました。よく本田さんを意識してかと思われますが、実は当時、研磨が中心だったため、"技術研磨"と"技術研究"のダブルミーニングでつけたそうです。ものづくり屋らしさも出た社名になったと思います。

小嶋 大介さん

ユニークな父からの事業承継

― 小嶋社長は平成12(2000)年に入社されたそうですが、どのようなことを担当されたのですか。

事務や検査、営業など、とにかく浅く広く携わりました。現場に関しては、学生の頃にさまざまな経験はしましたが、特段加工技術は持っていません。ですから、ちょっと何かを作りたくても自分では作れない。最近はコマ大戦に出場しているのですが、自分では作れないため、職人に「頼む、作ってくれよ」としか言えません。製造業の社長さんは、職人上がりの方が多いのですが、私は幅広くいろいろなことを見る部署にいたということですね。

― 先代であるお父様の狙いなのでしょうね。

狙いはあったと思います。入社して10年くらい経って、後継者は私だと皆の前で発表があり、平成23年に代表を交代することが決まりました。世間で聞いている事業承継の中では、かなりスムーズで恵まれているほうだと思います。

ただ、先代が派手な人でしたので、その後はやりにくいという思いは少しありました。父親は、とにかく声もパフォーマンスも大きいんです。そんな父親と比較されるのが嫌な時期ももちろんありました。学生時代は、"あの人がなぜ、うちの父親なんだろう"くらいに思っていました。ある程度経ってからは、父親はあまり世の中にいない珍しいタイプなので、あの人と勝負しても仕方がない。比べずに自分のスタイルでいこうと割り切れるようになりました。とはいえ、最近では、昔から知っている友人から「親父に似てきたね」と言われるのですが...。

― 何となくわかります。

血が半分入っていますので、仕方ありませんね(笑)。

平成23(2011)年1月1日に社長交代となったのですが、その理由も「忘れないだろ、1ばかりだから」ということで決まりました。ただ、1月に就任し、3月に東日本大震災が起きるわけですが、3月3日に父が入院してしまったのです。結果、そのまま病院から出てこられず、7月に他界しました。大震災のときは、ベッドの上で意識もまだ戻ってない状態でしたから、社長に就任したばかりの私には相談できる相手がいなくて大変だったことを覚えています。

江戸っ子1号プロジェクトへの参画

― 中小企業5社等が共同で開発した海洋探査機「江戸っ子1号」のプロジェクトには、どのような経緯で参画されたのですか。

平成21年のときです。父が、リーマンショックの翌年で落ち込んでいるときに、葛飾墨田の企業が集まった江戸っ子1号の取組みを新聞で見て、「この取組みは面白い。俺は上野生まれの千住育ちで、江戸っ子だ! 技術に自信があるから参画させてほしい」と連絡を取ったのがきっかけです。ただ、打診したのはいいのですが、「あとはうちの息子がやるから」と一度も顔を出さず、私にバトンタッチされました。はなから私にやらせる気だったのでしょう。

― 江戸っ子1号では、どの部分を担当されたのでしょうか。

海に沈んだ後のおもりの切り離し装置と、カメラの制御システム部分です。当社は電気屋ではありませんので、制御と言われてもわかりませんが、「メンバーの中で一番若い」という理由で任されてしまいました。結果的に、芝浦工業大学の学生さんと大企業の有志の方々の協力により、不具合を解消することができました。このプロジェクトが多くのメディアに取り上げられたことで、社員の家族が会社の取組みを知ることにつながり、私自身も改めて自分の仕事に誇りを持つきっかけになりました。

― プロジェクト完遂まではかなり大変だったことでしょう。

体力的にもっともきつかったのは、江戸っ子1号の航海前です。絶対に間に合わせなければいけないと、会社にも2週間出社せずにいました。ですが、すでに体調は悪くなっており、船に乗る前日に帯状疱疹を発症してしまいましたから、薬を服用して、体調と相談しながらの乗船でした。体に疱疹ができて、心臓あたりが痛いが、プロジェクトメンバーには弱音が言えない中、この状況を妻に話したところ、「それは帯状疱疹じゃないの?すぐ病院に行かないと大変なことになるわよ」と言われたため助かりました。こればかりは妻に助けられました。船で発症していたら、どうなっていたことかと思います。

― 江戸っ子1号プロジェクトは、さまざまな表彰もいただきましたね。

「海洋立国推進功労者表彰(内閣総理大臣賞)」、「素形材連携経営賞(中小企業庁長官賞)」をはじめ、各種表彰を頂戴することができました。

表彰や感謝状は、先代時代にもらったものを含めてかなりの量があるんです。父は「お前は絶対に俺を抜けないことがある。感謝状の量だ」と言っていました。ですから、こうして1つ賞状をいただくたびに、仏壇の前で報告をしています。江戸っ子1号も父が参画を決めましたが、無事に賞状を持って報告することができて嬉しいです。

表彰状
江戸っ子1号プロジェクト表彰状

【お役立ち情報】

(つづく)

【関連情報】

プロフィール

小嶋 大介(さん

小嶋 大介(こじま だいすけ)
1974年千葉県生まれ。大学院在学中の2000年に株式会社パール技研入社。2011年代表取締役就任。金属の精密加工を得意とし、主に、自動車やバイクの金属部品の試作開発を行っている。江戸っ子1号プロジェクトへの参加や全日本製造業コマ大戦への出場などで活動の幅を広げ、その知名度は全国レベルである。