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川崎市経済労働局

取材・文:園田 晋平(中小企業診断士)

【第1回】地域産業空洞化の危機感が「川崎モデル」の原点

取材日:2013年8月1日

全国に先駆けて行った画期的な支援スキームと徹底的な現場主義により、いまや「川崎モデル」とも称され、他都市からのベンチマークにもなっているのが、川崎市の中小製造業支援。今回は、川崎市経済労働局のトップである伊藤和良局長と、キーマンである企画課の木村佳司課長補佐にご登場いただき、川崎モデルの特徴や行政の立場から見た中小企業診断士のあるべき姿などをうかがいます。第1回目は、川崎モデルが誕生した経緯を中心にうかがいました。

川崎モデルのルーツ

― 伊藤局長は、川崎モデルのルーツに深くかかわっているとうかがっております。その経緯を教えてください。

伊藤和良局長
伊藤 和良 局長

伊藤:川崎モデルは、ひと言で表現すると「現場主義」です。その原点は、20年以上も前にさかのぼります。それまで、京浜工業地帯の中核である川崎市の工業は順調に成長し、潤っていましたので、経済労働局から市内製造業に積極的に働きかけることもなく、何かあったら対応するという受身的な姿勢がありました。しかし、1990年代のバブル経済崩壊、引き続く円高不況によって、市内大手企業の多くが生産拠点をアジアや中国へと移転させ、川崎臨海部の空洞化が現実のものとなり、市内中小製造業の廃業や移転も相次ぎました。苦しむ中小製造業の状況を耳にするも、これまで実際に現場へ出向く機会が少なく、実情を知らなかったこと、また、経済労働局内で情報の共有を図ることができていなかったこともあり、どうしたらよいか暗中模索の状況でした。

― 当時は、伊藤局長もまだ若手職員だったのですね。

伊藤:はい。30代、当時係長だった私は、大きな時代の変化を感じざるを得ませんでした。円高不況の中、臨海部の空洞化の危機が真顔で語られた時代です。ある中小製造業の経営者は、親企業の要請を受け、「出るも地獄、残るも地獄」との言葉を残して、中国広東省東莞の地へ旅立っていきました。

「中国に建設する新たな生産拠点とは、どのような場所なのだろう?」―私は、何人かの仲間と語り合い、そうした企業さんの現場を見るため、有給休暇を使って自費で後を追いました。「今日の飯、明日の飯」、そんな言葉を教えられたのも、当時のことです。

「伊藤さん、わかるか。今日の飯、明日の飯のこと。経営者として、いつも思う。従業員に今月の給料を支払うことができるのか。従業員とその家族を路頭に迷わせないために、銀行に頭を下げるのは、今日の飯を稼ぐため。今回の中国行きもそうだ。行かなければ仕事がもらえず、行けば仕事はもらえるが、経営がうまくいくかどうかはわからない。英語も中国語もできない自分が、本当にやりきれるのか。それでも、親会社の要請なら行かざるを得ない。会社を存続させるため、明日の飯を得るために」

経営者の孤独と困惑に触れた東莞の夜、1人で街を歩いていると、三輪車に乗る子どもに出会います。街路灯もない漆黒の闇の中で、子どもが三輪車に乗って遊んでいる。ふと見ると、昼間訪問した企業で働いていた、中国人の労働者がやってきます。彼は、私に深々とお辞儀をすると、子どもの手を引いて家に入ります。おそらく、子どもは父の帰りを待っていたのでしょう。私は、ここが彼の自宅前であることに気づきました。灯りがつくとそこだけが明るく、生活の音や匂い、人の営みを感じる。

そのとき、ふと思いました。川崎臨海部空洞化の危機を感じて、私たちは東莞に来た。しかし反面、それは新たな生活がこの地に生まれることでもあったのです。父と子、家族の生活を支える新たな工場がこの地に建設され、彼は従業員として採用され、子を養う糧を得る。世界中の一番安いところでモノを作り、一番高いところで売ることが資本の論理なら、私たちが食べていくためにも、日本で、川崎の地で、ものづくり技術の高度化を図り、どこにも負けない付加価値の高い生産を続けるしかない。そんな思いを強くしたものです。

― 強烈な体験ですね。それが、現場主義の原点なのでしょうか。

伊藤:自分にとっていまだに忘れられない思い出で、原点だと思っています。帰国後、私たちは思いを新たにし、1994年に当時の三浦主査(現・副市長)が立ち上げた職員の自主的な勉強会「ものづくり機能空洞化対策研究会」を、三浦主査が異動した1995年以降も継続的に実施していきました。これは、毎週金曜の朝7時に集まり、情報交換を行うものです。

この勉強会はその後、私が部長職に就くまで15年、約800回続けてきました。市内企業の皆さんに、勉強会を行っている旨を説明した折、ある企業さんから、「若い皆さんの熱い思いはわかるけれど、たいていの市の職員は、2~3年経つと異動でいなくなってしまう。でも、自分たちはずっとここ川崎で仕事を続けていく。もし君たちが10年、500回続けるなら、本物と認めてやる」と言われたのを契機に、長く続けてきたものです。

毎回、川崎市産業振興財団の若手職員も含めて情報交換を重ねるうちに、担当ごとに分断していた情報や問題点が共有化されるとともに、職員の目線が現場を向くようになりました。こうして、「待ち」の姿勢から「現場に出向く」姿勢へと、職員の意識が大きく変化していきます。また、これら経済労働局の取組みが、しだいに地元の中小製造業を刺激する形となり、1996年には共同受注・情報発信・新製品開発を目的に、若手経営者によって、強みを持つ中小製造業9社による「ものづくり共和国」が建国されるなど、地域内での企業間連携も芽生えてくるようになりました。

自治体のミッションは常に高い理想を持ち、現場で汗をかき続けることにほかならない。そして、現場にこそ真実があり、その中から組み立てられる施策のみが本物となる。私は、いつもそう思っています。そうした現場めぐりの実践を通じ、私たちはこの間、『川崎元気企業』という本を3回にわたって上梓してきました。1冊目(1998年)、2冊目(2006年)は日本評論社、3冊目(2013年)は神奈川新聞社からの出版です。いずれも、職員が市内企業を回り、お話を直接うかがってまとめたものです。私たちは、大きく変動する時代の中、常に明日を求め、今日を精一杯生き抜こうとする多くの企業と人に出会い、さまざまなことを学んできました。

自ら現場主義を実践して

― 伊藤局長自らも、さまざまな現場に足を運ばれたのですね。

伊藤:そうですね。行政の立場ではわからないことも多かったのですが、個々の中小製造業や工業団体などに積極的に出向きました。おかげで、そのときに培った人的ネットワークが、いまも脈々と生きています。エピソードを挙げればキリがありませんが、産業空洞化とともに地球環境問題がクローズアップされる中、川崎市では臨海部で「川崎ゼロ・エミッション工業団地」のプロジェクトがスタートしました。2004年のことです。

プロジェクトに参加する企業間の調整などを任されたのですが、「ゼロ・エミッション」という高い旗を掲げた割には、人員も予算もなく、その中で自分に何ができるかを考えました。そして、とにかく現場へ出向いてお話をうかがううちに、市と企業の皆さんとの信頼関係が構築されていないことがわかります。そこで、団地全体で行っている清掃活動や植栽活動に参加して草むしりをしたり、花壇を作ったりしました。担当してから3ヵ月が過ぎた6月のある日、木の剪定をしている間に、突然の雨でずぶ濡れになってしまったのですが、事務所で体を拭いている間に、自然と一体感が生まれました。このような姿勢をくり返し続けることで、企業さんが行政を見る目が明らかに変わってくるのを感じ、いっそう現場主義への思いを強くしました。すべての基本は、人と人との信頼に尽きると感じました。

― このような伊藤局長の努力が、いまや市を代表する観光スポットにもなりました。

伊藤:川崎臨海部を対象にした「工場夜景ツアー」は、おかげさまで好評をいただいています。川崎の臨海部と言えば、かつては公害問題を抱えていて、決して良いイメージはなく、まして観光とは無縁の地域でした。私たちはそうした川崎のイメージを変えるために、工場地帯そのものを観光として売り込みました。試行錯誤の連続でしたが、私たち自身が川崎臨海部の美しさを再発見する中で、事業は成功に至ります。

「観光」とは何か。それは文字どおり、「光を観る」ことで、自分たちが臨海部の意味、京浜工業地帯の発する「光」に気づいたことから、それは始まります。公害を克服する努力を続ける中で培われた環境技術の集積、先端産業の集積地域を観光として売り込む。まさに逆転の発想で、これまでのイメージを逆手にとる中で、新たな観光は生まれました。その意味でも、川崎ゼロ・エミッション工業団地のプロジェクトは非常に思い入れが深いものです。

― 最後に、中小企業診断士に求めることを教えてください。

伊藤:現場に入っていくうちに私自身、企業からは「人と人をつなげる」、「企業と企業をつなげる」ことを求められているとわかりました。これは、中小企業診断士にも求められる大事な資質かと思います。私は社会保険労務士資格を保持していますが、社労士は労務管理や年金制度などの専門家で、企業経営を管理する側面が強いと思います。専門性はともに大事ですが、今後はコーディネート力がいっそう求められてくると思います。その意味で、私が求める中小企業診断士像としては、「実践を大事にする」、「フットワークが軽い」、「現場の声をよく聴く」、「企業や行政職員と一緒に汗をかける」というイメージが浮かんできます。

― ありがとうございます。次回は、川崎モデルの推進役で、自らも中小企業診断士である木村課長補佐に、川崎モデルの真髄や普段の取組みで心がけていることをうかがいます。

(つづく)

機関名 川崎市経済労働局
所在地 川崎市川崎区宮本町1番地
TEL 044-200-2111(代表)
ホームページ http://www.city.kawasaki.jp/280/soshiki_list.html