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オリックス・バファローズ執行役員 球団本部長補佐/千葉商科大学大学院客員教授・瀬戸山隆三さんに聞く

取材・文:秋田 舞美(中小企業診断士)

【第1回】球団経営の難しさは中小企業の課題に近い

取材日:2012年9月8日、10月27日

プロ野球の球団経営という分野で、華々しい実績を残されてきた瀬戸山さん。2011年からは、千葉商科大学大学院修士課程経済学研究科の客員教授に就任し、中小企業診断士養成コースでも教鞭をとられました。そんな瀬戸山さんのご経歴を振り返りつつ、中小企業診断士に期待することをうかがいました。

パ・リーグ3球団への経営参画

― 2012年11月から、オリックス・バファローズの執行役員 球団本部長補佐に就任されたそうですね。ご手腕を買われてのことでしょうが、福岡ダイエーホークスの球団代表、千葉ロッテマリーンズの球団代表・球団社長に引き続き、同一リーグ3球団のフロントを経験する方は、なかなかいらっしゃらないのではないでしょうか。

瀬戸山隆三さん

シーズン終了後の就任でしたので、オリックスについてはまだこれからの状態ですが、たしかに3球団目になりますね。社会人としてのスタートは、スーパーのダイエーに入社したのですが、まったく畑違いの福岡ダイエーホークスに出向してから、野球業界でのフロント歴が長くなりました。

― いまでこそ優勝争いの常連となっているホークスですが、瀬戸山さんが立ち上げにかかわられた当時は、大きく様子が違ったとか。

1993年には「16年連続シーズン負け越し(プロ野球日本記録)」、1997年には「20年連続Bクラスかつ4位以下(プロ野球ワースト)」という不名誉な記録を更新し続けていました。そして、試合に勝てないだけではありませんでした。南海ホークスから球団買収を行い、かつ福岡に移転した直後は、完全なアウェーでのスタートだったんです。

と言うのも、福岡は1979年まで西鉄をはじめ、ライオンズの本拠地でして...。西武ライオンズとなり、埼玉に移転したとはいえ、ライオンズ戦などは、とてもホームゲームとは思えない状況でした。

また当時は、スーパーのダイエーが破竹の勢いで成長していた時期で、福岡経済界の中にも、ダイエーの本業での進出を快く思っていない企業も少なくなかったようです。ご挨拶も兼ねて、ダイエーの生鮮品を持って行っても、文字どおり門前払いされたことも、一度や二度ではありませんでした。成績、ファン、そして球団経営と、すべての面で悩みましたね。

― 転機はいつからですか。

やはり、王貞治監督に来ていただけたのは大きかったです。当時を知る方であれば想像できるでしょうが、王選手と言えば巨人の大スター。まさか、パ・リーグの地方球団にいらしていただけるなんて、当初はファンもご本人も思っていなかったと思います。万全の状況でお迎えできたわけでもありませんからね。当初の成績はまだ惨憺たるもので、かなりのご苦労をしていただきました。

しかし、王監督の就任が契機になったこともあり、1999年には、南海ホークス時代から通算して26年ぶりのリーグ優勝、35年ぶりの日本一となることができました。そして2000年には、連続リーグ優勝だけでなく、日本シリーズで長嶋茂雄監督率いる巨人とのON監督対決を実現できたのです。勝利ももちろんですが、観客動員数やファンの方たちの反応から、「地域に溶け込めた」と感じられたときには、本当に嬉しかったですね。

― ホームゲーム観客動員数は、いまもパ・リーグトップが続いていますね。私が取材でうかがった際も、アイドルグループのHKT48が「福岡ソフトバンクホークス応援隊」として活動し、毎年テーマカラーを決めて行う「鷹の日」や、女子高生とコラボして応援用の限定ユニフォームを作るなどイベントも盛んで、地域との距離が非常に近い気がしました。

瀬戸山隆三さん

そうですね。それが、地方都市での球団経営の特長でもあると思います。

マーケットの規模として、3大都市圏以外での野球経営は難しいと言われた時期もありますが、地方では他球団が近くにないだけに、個人の方が熱意を持ってくれるのに加えて、企業の協力も得やすいようです。

― 法人を中心とした年間シートの販売数は群を抜いているそうですが、それが観客動員数にも貢献しているんですね。地方での球団経営は、ターゲットの数を狭めつつも、深さを増して業績を伸ばせるという、現代のマーケティングの基本かもしれません。
 ダイエーの後にも、球団フロントに就任されたそうですね。

一度は野球界からの引退も考えたのですが、縁あって、2004年に千葉ロッテマリーンズの球団代表、2006年より同球団社長に就任しました。

ロッテも成績が振るわなかった時期ではありましたが、このときも最初にぶつかったのは、ファンとの心の壁でした。ダイエー時代と違って、ライバルがいたり、嫌われていたりするわけではないんですが、何と言うんでしょうか、存在に対する無関心。球団に関心のない市民が多かったんです。ある意味、否定より無関心のほうが難しいと感じましたね。

ただ、営業も歩いて5分の企業だけを回るという完全地域密着戦略や、チアガールなど野球場でのイベント、ボビー・バレンタイン監督というファンへのサービス精神に深い方にも恵まれ、こちらでも31年ぶりの日本一を達成することができました。

― 「対ライバル」よりも、「対無関心」。こちらも、品質など製品で勝負する前に、認知されること、気づいていただけるまでが困難という、現代の中小企業が直面している課題そのものではないかと思います。
 さて、瀬戸山さんは野球球団という稀な業態ではありますが、中小企業の経営をされ、さらにダイエーの中内功(漢字:工+刀)オーナー、ロッテの重光武雄オーナーと、どちらも一代で球団を保有できるまでの大企業を立ち上げたオーナーたちと、一緒に経営を考えられたご経験をお持ちです。球団経営で難しいと感じたところは、どのようなところでしょうか。

野球業界の特徴としては、何と言っても勝つことと経営のさじ加減が難しいですね。人気、たとえば勝率とファンとの関係などは、球団経営にとってはどれも相関関係はあるけれど、イコールではない。この球団をどのようにしたいのか。球団はどう進んで行きたいのか。この指針というものが、非常に難しいと感じていました。

― たしかに、球団独特の「指針」の多様性は難しそうですね。次回は、その指針についてお聞かせください。

(つづく)

瀬戸山 隆三(せとやま りゅうぞう)
ダイエー入社後、福岡ダイエーホークスに出向し、1996年より球団本部長、1999年には球団代表に就任。下位低迷を続けていた球団を、南海ホークス時代以来、26年ぶりのリーグ優勝、35年ぶりの日本一へと導いた。また、王貞治監督をダイエーホークスに招へいし、日本シリーズでのON監督対決への功労者となる。2004年に千葉ロッテマリーンズの球団代表、2006年より同球団社長に就任し、こちらでも31年ぶりの日本一を達成。2011年より千葉商科大学大学院客員教授となり、中小企業診断士養成コースで教鞭をとる。2012年11月より、オリックス・バファローズ執行役員 球団本部長補佐に就任。