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診断士カレイドスコープ

演劇とコンサルティングのシナジー効果

取材・文:稲垣 桃子(中小企業診断士)

【第1回】会社員から劇団員への"転身"

取材日:2010年9月22日

今回は、2008年中小企業診断士登録の櫻田登紀子さんにご登場いただきました。櫻田さんは中小企業診断士として活躍される一方で、演劇プロデューサーという肩書きもお持ちです。インタビューでは、演劇とコンサルティングという2つの顔を持つにいたった理由と、そのシナジー効果について伺いました。

会社員としてのキャリア

櫻田登紀子さん

― 櫻田さんは、筑波大学第1学群人文学類を卒業された後、(株)バンダイに入社されたんですよね。入社の動機を、教えていただけますか。

私は言語学を学んでいたこともあって、商品のネーミングに興味があり、玩具と製菓会社を中心に就職活動をしました。希望していたバンダイに入社できたのはよかったのですが、ネーミングができる商品開発部門ではなく、宣伝部に配属されました。宣伝部は、男女の区別なく仕事をさせてもらえる部署でした。そこでは主に、おもちゃショーや店頭販促物の企画、業界紙への新商品の情報発信などをやらせていただきました。

― バンダイは、2年ほどで退職していますね。

はい。結婚をきっかけに、退職しました。当時は、結婚したら主婦となり、子どもを産んで幸せな生活を送るのが普通のことだと思っていました。まさか、こんなに真逆の人生になるとは思っていませんでしたね(笑)。

結婚して、しばらくの間は専業主婦でしたが、「やり残したことがある」という感覚が残ってしまったんですね。もう少し仕事をしたかったな、と。「周りの友人はバリバリ働いているのに、自分は...」と焦ってしまった。そこで転職活動を始め、当時の好景気もあって、大日本印刷(株)に転職が決まりました。

― 転職に成功されたんですね。こちらでは主に、どのような仕事をされていたのですか。

ビジネスフォームといって、帳票やキャッシュカード、クレジットカードなどのカード類を企画する部署に配属されました。ここは、最新技術を使った新製品を企画する部署だったため、社員は理系の一流大学や大学院出身の人ばかりで、ほとんどが男性でした。その中で、私だけが文系で女性でしたので、自分がどうすれば役に立てるかを考えていましたね。

入社してすぐに、コーティングされた複写用紙の技術が開発されたんですが、私は4色刷りの製品を企画・提案し、念願だったネーミングもすることができました。印刷会社が製品にネーミングをすること自体、当時としては珍しいことで、内外で話題となりました。

とにかく、男性と同じ土俵では戦えないので、文系の強みを活かしたり、女性の感性で何かしら工夫したりしなくては、という気持ちが強かったですね。他人と同じことをしていては、認められない。そのときの気持ちが、いまの仕事のやり方にもつながっていると思います。

その後、キャッシュカードやクレジットカード、ポイントカードの企画を担当し、最後はICカードのソリューション企画に携わりました。やりたいことを何でもやらせてくれる会社でしたね。能動的に動けば動くほど、面白い仕事ができたので、やりがいがあり、とても楽しかった。それが、15年間勤め続けられた理由だと思います。

劇団員への転身

櫻田登紀子さん

― かなり長い間、ビジネスの世界でキャリアを積まれていたんですね。でもなぜ、2003年に退職されて、人形劇団に入団されたのでしょう。

私の手をみてほしいんですが、大きなペンダコができていますよね。これは、勉強じゃなくて、幼い頃から文章を書いたり、絵を描いたりするのが好きだったんです。結構、夢想家(笑)で、趣味で絵本を描いたり、童話をつくったりしていて...。高校時代も美術部に入って、美大を目指していたんですよ。

― えっ、そうなんですか。意外ですね。

でもだんだん、どちらも自分には才能がないことがわかってきて、言語学を志すことにしたんですが、筑波大学には芸術系の学部やサークルがあって...。私はまだ、芸術に対する未練もありましたし、児童文学にも興味があったので、人形劇団「NEU(ノイ)」に入ったんです。学生時代から脚本や演出をして、卒業してからも数人のOBと一緒に、アマチュア劇団「UEN(ウェン)」を旗揚げしました。その後も、2年に1回くらいの割合で上演し、活動を続けていました。

そんな中、大日本印刷を退職し、次の人生をどうしようかと思ったとき、たまたま私が住んでいた商店街に空き店舗が出たんです。このときもまた、「ここに小さい劇場をつくったら、面白いだろうな。子どもも大人も、喜ぶだろうな」って夢想していたんですね(笑)。

でも、本当に行動に移そうとしたときに夫から、「その前に、プロの劇場運営をちゃんとみて、勉強しておいたほうがいい」と現実的なアドバイスをされました。それで、都内に劇場を持つ、創立80年を超える老舗劇団の門を叩いたんです。そこでは10ヵ月間、無給で働きました。

― 10ヵ月間、無給ですか...。そこでは、どのようなことをされていたのですか。

最初は、劇場の掃除や電話番、チラシ配りといったことからでした。

日本の現代の人形劇は、子ども向けがほとんどだと思われていますが、大学で入っていた人形劇サークルでは、大人向けの作品をつくっていました。調べてみると、ヨーロッパでは子どもや大人のどちら向けでもないんです。

人形劇にはもともと、風刺により政権批判を行ってきた歴史的背景がありますが、日本では、戦後の人口増加の波に乗り、劇団が食べていくために子ども向け作品を多くつくるようになり、それが定着してしまいました。一方、ヨーロッパでは、小学校に人形劇の授業があったり、大学の専攻科目になったりもしているんですね。そのため、現在でも芸術性が高く評価されています。

ヨーロッパの人形劇で特に影響を受けたのが、フィリップ・ジャンティ(Philippe Genty)というフランスの演出家です。彼は日本の文楽の影響を受け、人形とそれを操る人間の関係に関心を持って、演出のヒントにしました。文楽では、人間が人形に命を吹き込みますが、彼は、舞台では人形が人間に命を吹き込むと語っています。人形が不意に人間らしく動き出し、人間がいつの間にか人形へ戻るといった、どれが現実でどれが虚像かわからない、虚実の間をさまようような幻想的な世界です。

― どちらが人間で、どちらが人形かわからないような舞台、と...。

俳優と人形が登場する台詞のない舞台で、音楽と視覚によるイメージだけの世界をつくり上げています。俳優と人形のほかには、布や紙などが出てきて、1枚の布が海になったりスクリーンになったりと、自在に変わっていくんですね。このように、人形だけでなく、俳優や仮面、モノが絡み合い、イメージの世界をつくり上げる舞台のことを、日本ではオブジェクトシアター、ヨーロッパではフィギュアシアターと呼んでいますが、私は、このような舞台から大きな影響を受けました。

― 大人向けの人形劇にかかわることはできたのでしょうか。

修業のために入った劇団も、子ども向けの人形劇が中心でしたが、年に1回、大人向けの人形劇を公演していました。まだ入って間もない中、いままでの会社での経験を活かせることは何かと考えて、広報の仕事をやらせてほしいとお願いしたんです。新聞社や出版社を回った結果、かなり記事に取り上げていただき、たくさんのお客様に来ていただくことができました。

この劇団に入るまでに私がみてきたお芝居は、大きな劇場で行われるエンターテインメント性の高いものが多かったんです。でもここでは、100席程度の小さな劇場で、派手な大道具や仕掛けも使わず、人形の操作と演技だけで、感動的な舞台をつくり上げていました。劇場を出てくるお客様から、「とても面白かった。ありがとう」と感謝していただける経験を初めてして、「これが、プロの世界だ」と実感しました。

同時に、日本の舞台芸術レベルが非常に高いこともわかってきました。歌舞伎などの伝統芸術だけでなく、現代劇にも、海外から高く評価されているものがたくさんあることがわかってきたんです。「この素晴らしさを、もっと世の中の人に知ってほしい」と思いました。

― このように、劇団で活躍していた櫻田さんですが、劇団の実情を知るにつれ、ある思いが芽生え始めます。続きは、次回をお楽しみに。

(つづく)

櫻田 登紀子(さくらだ ときこ)
中小企業診断士。筑波大学卒後、(株)バンダイ、大日本印刷(株)を経て、2008年独立開業。得意分野は、新製品・新事業立案支援、国際化を含む販路拡大支援。演劇制作者でもあり、2011年の上演に向けて舞台『明日はお詣り』をプロデュース中。著書『決断と再生~中小企業をどん底から救った男たち』(2010年/同友館)。月刊『企業診断ニュース』連載「広がれ、企業内診断士の輪」2代目インタビュアー。