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独立直後の診断士をレポート

駆け出し診断士の奮闘記

<駆け出し診断士の奮闘記(14)>

文:夏原 馨(中小企業診断士)

【第1回】どう働くかは、どう生きるか。ライフステージの荒波を、ご縁の船で進む

2017年10月24日更新

どうしたら、もっと無理なく自分らしく生きられるだろう?
市況感や、いわゆる「ライフステージの変化」に合わせて働き方を模索してきた私の、“全力で楽しい今”に至る道のりとこれからを、2回にわたって記します。

「山の神様が怒るから、採用できません」から始まった社会人生活

就職氷河期の真っ只中、やっとの思いで最終まで残った企業の面接でのこと。ある役員の方から、「女の子が現場に行くと、山の神様が怒るから」という理由で、その場で不採用を言い渡されました。ダイバーシティの「ダ」の字もない時代、「えーーー、マジで?!」と心の中で叫ぶだけでどうすることもできず。結局、別業界に方向転換してご縁をいただき、システムエンジニアとして会社員生活をスタートさせました。
“親ブロック”ならぬ“山の神様ブロック”は、4年間どっぷりと土木工学(都市交通工学)を学び、何の迷いもなく土木・建設業界を志望した私にとって、初めての「社会の荒波」でした。

「あなたはトイレの100W電球なのよ」の一言で決意した会社員生活の卒業

システムエンジニア時代は、製造業のお客様向けにPLMシステムの導入と、連結会計システムのコンサルティング・研修を担当しました。どちらも企業の基幹に近いシステムだったからか、はたまたマネジメントの問題なのか、いずれにしても労働基準法を学んだ今では失笑してしまうような働き方。これも、私にとっては体力の限界と向き合った2つ目の「社会の荒波」でした。
結婚を機に「このままではいかん」と思い立ち、転職エージェントに相談。「じゃあ、うちに来たら」と声をかけていただき、そのまま転職を果たします。その職場では、電車のあるうちに帰ることができるようになった反面、仕事のゴールが見つけられずにもがく日々を過ごしていました。
そんなある日、「あなたはトイレの100W電球なのよ」と言われたことで転機を迎えます。その人曰く、私が会社組織にいるのは、狭いトイレに明るすぎる電球が適さないのと同じだと。その言葉で目からうろこが落ち、会社員生活にピリオドを打つことを決めました。

優秀な人材が埋もれているのは、社会的損失だ

子育てをしながらフリーランスのITコンサルタントとして仕事をする中で、多くの地域に埋もれている優秀な人材に出会いました。「乳幼児がいるから働きたくても働けない」という子育て中の人たちと、人手が足りずに困っている企業を何とかつなぐことはできないかと奔走する日々。しかし、大企業の看板もコネもない「イチお母さん」の言葉に耳を貸す経営者など、ほとんどいません。
そんな中で私は、「中小企業診断士」という資格に出会いました。この資格を持つと、企業に助言できるような仕事ができる、使い方によっては、社会を変えられるような力があるかもしれない、と。しかし、当時の自分にはまだ遠い存在でした。

「診断士を受ければ? 受かるって」×3のワナ

その後、3人の中小企業診断士の方とのご縁から、2つ目の転機を迎えます。1人目、2人目、3人目と、それぞれ全く別のプロジェクトで面識のない方にもかかわらず、皆さん口々に「診断士を受ければ? 受かるって」というではありませんか。単純な私は、3人目の方に言われた時にはすっかりその気になって、予備校に申し込みに行ったのを覚えています。
そして、実際に講義を受け始めて、「…うそつき! 難しいじゃん!!!」と思ったのは言うまでもありません。しかし、受講料という大きな投資はどうしても回収したい。結局、家族に協力を仰いで「生後間もない子どもの世話」と「仕事」、「中小企業診断士の勉強」という3足の草鞋を履き倒す生活をスタートさせました。

仲間のおかげで開いた中小企業診断士への扉

当時はまだ授乳中の小さな子どもがいたため、講義の休憩中に搾乳しながら予備校に通う日々で、想像以上に厳しい受験環境に何度も挫折しそうになりました。それでも中小企業診断士への扉を開けられたのは、かけがえのない仲間とのご縁に恵まれたことに尽きます。LINEで問題を出し合い、わからないところを教え合い、模試の不出来をともに飲んで流す…。一緒に頑張った仲間がいなければ、今の自分はいません。
中小企業診断士として仕事ができるようになった今も、変わらないご縁に助けられて自分があります。子育てと仕事、+αの両立。同世代を悩ませる「社会の荒波」を解決してくれたのは、ここでも人のご縁でした。

(つづく)

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