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独立直後の診断士をレポート

駆け出し診断士の奮闘記

<駆け出し診断士の奮闘記(7)>

文:大森 渚(中小企業診断士)

【第1回】「人と比較されたくない」から始まった受験生活[2]

試験勉強中は新しい発見の連続だった

中小企業診断士試験の最初の2年間は、テキストや問題集を書店で買い、独学で勉強していました。勉強時間は、通勤時間、昼休み、会社が終わった後に近所のカフェで、といったように、少しずつ確保していました。当時、経営についてもマーケティングについても無知だった私には、勉強の中で気づくことがたくさんありました。

まず、仕事で接している仕入先のこと。その会社は、靴や鞄のメーカーとの取引が多かったのですが、彼らの苦しい現状を聞き、どのような業界構造で、どのような要因で経営が苦しくなっているのかを考えるようになりました。また、彼らのような中小のメーカーのために、自分に何かできないかという気持ちも抱くようになりました。

そして、自分自身の親族のこと。当時、祖母の経営する婦人服店が廃業の危機に追い込まれていました。私は、根本的な解決は難しいと知りながら、店舗改善の方法や在庫軽減化の方法を提案するようになりました。

最後に、神戸でできた友人たちのこと。平日は仕事の合間を縫って勉強していた私ですが、土日は海外の友人や語学仲間と遊ぶ生活を送っていました。サルサやバーベキュー、ライブなど、独身生活を満喫していたのです。その語学仲間には会社経営者が多く、話を聞いているうちに、彼らの前向きな考え方や勇気、決断力に共感するようになりました。

私は、そうした日々の発見が楽しく、しだいに「比較されるのを避けたい」という当初の目的さえも忘れるようになったのでした。

結婚、退職、そして父の突然の死

大学の後輩のミュージシャンと結婚
大学の後輩のミュージシャンと結婚

そんな私も30歳目前になり、大学時代の後輩でミュージシャンの男性と結婚することになりました。彼が住んでいるのは東京。仕事は続けるつもりでしたが、神戸が本社の会社で、東京の事業所の規模は小さく、キャパシティの問題で異動はかないませんでした。そうした中、2008年10月に入籍、同年12月付で退職した私は、学生時代を過ごした東京に戻ったのです。

ちょうどその頃、私の人生を変える出来事が起きました。私の上京と同時に、それまでバリバリと働いていた父が倒れ、緊急入院をしたのです。上京して会ったとき、父はすでに病院の中でした。しばらくは朗らかに笑っていた父でしたが、病状は日に日に悪化し、しばらくして帰らぬ人となってしまいました。

父の突然の死に呆然としながらも、慌ただしく葬儀を済ませ、実家で遺品の整理をしていたときのことです。父の机の引き出しから、思わぬ物が見つかりました。中小企業診断士のテキストが、そっくりひと揃い入っていたのです。

「お父さん、こういうのに通ってたみたい。定年退職したら、そういう仕事がしたいって。忙しくてなかなか行けなかったみたいだけど...」と母。結婚、退職、父の突然の死...急激な人生の変化に、その頃の私は、中小企業診断士の受験勉強のことをすっかり忘れていました。

父は、化学会社の研究者でした。理系のDNAを受け継ぐ...はずだった私は、何と高校時代の化学で学年最下位という劣等生。生前、何ひとつ父の期待に応えられなかった私は、中小企業診断士の資格を取ることで、1つだけ父の夢を叶える決意をしました。そしてその日、父が遺したずっしりと重いテキストを実家から持って帰り、受験勉強を再開したのでした。

その後2年間は、昼は飲食店でホール係と近隣への営業のアルバイト、夜は進学塾講師のアルバイトをしながら、1日5~6時間勉強をする日々を続けました。土日は資格予備校に通い、勉強会にも複数参加しました。

受験当日は、父が中小企業診断士講座に持って行った受講票を持参しました。集中力が切れそうになったときや途中で投げ出したくなったときは、そのお守り代わりの受講票を思い出しました。

こうして、会社員時代の2年間と、退職してからの2年間、平均より長い合計4年間をかけて、私は中小企業診断士資格を取得したのでした。

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(つづく)