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地元に根付いた活動報告

地産地診

(11)富山県編

取材・文:大石 幸紀(中小企業診断士)

【第1回】県内の中小企業診断士は仕事を進めていく仲間

取材日:2014年4月21日

地域に根づいて活動する中小企業診断士の方々をご紹介する「地産地診」。今回は、富山県の皆様をご紹介します。
 中小企業支援には、企業再生という分野があります。国では中小企業の再生支援を推進するために、経営改善計画策定支援事業を行っていますが、富山県はこの制度を活用した再生計画の申請数が全国で4番目に多いのです。中小企業数では全国33位の富山県が、なぜこれほどまでの成果を出せているのか――そこには、(一社)富山県中小企業診断協会(以下、富山県協会)が展開するスキーム「富山県方式」がありました。今回は、富山県協会独自の活動内容を中心に、会長の羽田野正博さんと理事の丸亀徹さん、専務理事兼事務局長の藤井忠良さんに伺いました。

政府系金融機関勤務から書店経営者、そして中小企業診断士に

― 羽田野会長が、中小企業診断士になられた経緯を教えてください。

羽田野会長
富山県中小企業診断協会の
方針を語る羽田野会長

診断士資格は26歳のときに取得しましたが、実際に中小企業診断士らしい活動を始めたのは40歳近くになってからです。それからすでに、25年が経ちました。

大学を出て国民金融公庫、現在の日本政策金融公庫に入庫しました。入庫4年目の頃、当時は愛知県一宮支店に勤めていたのですが、仕事は毎日17時に終わっていました。まだ若かったこともあり、時間とやる気を持て余していたのですね。「何か勉強できることはないか」と探し始めたちょうどその頃、名古屋で初めて民間の中小企業診断士受験通学コースがスタートしました。大学時代から中小企業診断士の存在は知っていましたので、今後何かの役に立つかもしれないと、自主的に通学を始めたのです。

― 職場から診断士資格を取るように言われたわけではないのですか。

いえ、あくまで自分のための勉強でした。勉強を始めたら、たまたま1年で受かりまして。当時、受験科目は大きく商業と工業とに分かれていましたが、私は商業を選択しました。

― やはり、普段から中小企業と接する機会が多かったことが勉強のきっかけですか。

多少は影響があったかもしれませんが、公庫に勤務していた6年間は、貸出の管理と回収を担当していました。つまり、不良債権の回収を担当していたのです。ですから、企業さんにも行きましたが、法務局や裁判所に行くことのほうが多かったかもしれません。不良債権先の動産を差し押さえに、裁判所の方と同行するなど、あまり良い思いをしないこともありました。「経験も少ない若いのが、こんな修羅場に何をしに来たのか」と場違いの目で見られることもあって、嫌でしたね。

― その後、どのような経緯で独立されたのですか。

6年間で公庫を退職して富山に戻り、地元の商工会議所に転職しました。それから4年ほど経った32歳の頃、父親が当時の富山県では初となる郊外型の大型書店を始めました。私は一人っ子でしたので、父親に呼ばれて手伝うことになったのです。商工会議所を辞めたときには、将来、中小企業診断士を職業とするなどとは、考えてもいませんでした。

― それが、どのように現在の中小企業診断士としての活動につながるのでしょうか。

書店で働いていた頃、商工会議所から「販売士の3級取得の研修講師をやってほしい」という依頼がありました。診断士資格を持っており、実際に小売業にも携わっているため、適任と思われたのでしょう。しかし、人に教えるには、教わる人の少なくとも3倍以上は勉強しなければなりません。そこで、小売業や経営について、あらためて真剣に勉強しました。それが、中小企業診断士という肩書きで仕事をするようになった直接のきっかけですね。

その後、中小企業の教育訓練・能力開発を、国が積極的に支援していく狙いで、全国に職業能力開発サービスセンターが開設されました。その富山県センターの立ち上げに、私は当初からかかわらせてもらいました。そこでは、おもに人材育成計画や能力開発計画の作成を支援しました。経営計画と人材育成の目的の整合性を図りつつ、具体的にどのようなステップを踏んで人を育てるか、ということです。

作成過程では、自社の求める人材像をどのように設計すれば良いのか、職業要件書やジョブマップをどのように作れば良いのか、などを話し合うために、企業の経営者や人事担当、経営幹部と接する機会が増えましたが、私にとっては大きな経験となりました。

― 書店経営者と中小企業診断士の二足のわらじを履くことになったのですね。

平成に入ると、書店でも規模の拡大競争が始まり、CD・ビデオレンタルを兼業する400坪クラスの巨大書店が登場し始めます。それに対抗するには膨大な資本が必要で、個人企業が太刀打ちできるレベルではありません。そこで、業績が悪化する前に店をたたむことにしました。こうして、私は中小企業診断士専業となり、現在のヒューマックス経営考房を立ち上げたのです。平成6(1994)年頃のことです。

― この屋号は、どのような思いでつけられたのでしょうか。

職業能力開発サービスセンターでの経験を通して、「企業は人なり」という思いを強く持つようになりました。そこで、「人間力を最大に」という思いから、「ヒューマン」と「マックス」の造語で「ヒューマックス」と名づけたのです。

それ以降、私の仕事は人材育成が大半を占めるようになりました。研修に講師として呼んでいただく機会も多くあります。具体的には、階層別研修のほか、モチベーションを上げる方法や、職場活性化、コミュニケーションに関するテーマが多いですね。社員の立場での「個人別キャリア開発」と、会社の立場での「必要な人材をいかに確保・育成するか」という間に立って、双方の要求に対応するコンサルティングを依頼される機会が増えました。

富山県は、「1%経済」という言い方をよくされます。どの産業も業種もそろっていて、だいたい市場規模は日本経済の1%程度、つまり「日本経済の縮図」ということです。もともと、県としては「ものづくり立県」を方針としていましたので、製造業や建設業の仕事が多かったのですが、最近では特に製造業の仕事が増えてきました。もう1つは世の中の流れで、経営改善計画の策定や創業支援の仕事が増えています。

仲間の中小企業診断士とともに仕事を進めていく

― 続いて、富山県協会の特徴をお聞かせください。

羽田野会長
人材育成の研修を多く
手がける羽田野会長

富山県では、経営改善支援や、国や県の補助金申請の支援、アベノミクスによる景気の上向きの影響で、中小企業診断士の仕事が年々増えています。現在、富山県協会には90数名のメンバーがいますが、独立して活動しているのは25名ほどです。企業内診断士が多いので、県内でお客さんを奪い合うというよりは、独立診断士で分担する、というスタンスです。

また、県や中小企業支援センターである(公財)富山県新世紀産業機構さんとのつながりが強いことも特徴です。協会が窓口として仕事を受けてから、会員一人ひとりの得意分野や能力を把握している事務局長の藤井先生が、担当を割り振ります。また、成果物を協会としてチェックし、品質を担保してから提出する仕組みもできています。

協会として受けた仕事は、どの会員に担当してもらっても、最終的な成果物は一定のレベル以上にあることに、協会が責任を持たなければなりません。「このフォーマットで、このような内容を盛り込んでやりましょう。最終的にはこのような記述が求められるので、気をつけましょう」といった依頼者とのすり合わせや、個々の中小企業診断士のレベル合わせは、藤井先生にやっていただいています。

この方式は、商工会や金融機関にも広がっており、協会が窓口となって事務局が仕事を割り振っています。そのため、富山県の中小企業診断士は、もちろんライバルとしての側面もあるのでしょうが、それ以上に一緒に仕事を進めていく仲間、という意識が強いのではないかと思います。

― それは素晴らしいですね。一方で、協会としての課題にはどのようなことが挙げられますか。

1つは、世代交代の必要性です。その点では、40代の会員の方々が中堅としてしっかりと育ってきてくれていますが、さらに能力レベルを上げていただくために、協会としてよりレベルの高い仕事を任せていく必要があります。

また、難関試験を突破したにもかかわらず、能力を発揮する場がない方々のために、中小企業診断士としての専門的能力アップの機会を提供していかなければなりません。協会が窓口にならず、各支援機関さんとの対応を個々の会員に任せると、実力のある特定の会員に業務が集中してしまいます。そうすると、経験の浅い会員診断士には仕事が回りません。誰しもが、仕事の経験を通じて成長するものですから、その機会を与えることも協会の使命の1つと考えています。

そのために、たとえばベテランの方と新人の方で組んで、経営改善計画策定を担当してもらったり、企業内診断士に実務従事ポイントを取得してもらうために、独立診断士と企業内診断士で組んで、協会でお願いした企業様の診断をしてもらったりもしています。そのような活動を続けることで、企業内診断士からも、「私も独立したい」という方が出てくるのではないかと期待しています。

スキルアップできる機会を提供したい

― 先生ご自身の人材育成支援のスキルが、協会の方針にも大きく影響しているようですね。協会としての、今後の方針をお聞かせください。

協会での研修会の様子
協会での研修会の様子

私個人の方針としては、やはり世代交代ですかね(笑)。協会の方針としては、さらに積極的に中小企業診断士の活躍の場を増やしたいと考えています。

職域拡大としては、県や中小企業支援機関のさまざまな部署に働きかけて、中小企業診断士が活躍できる場を確保していくのが1つです。

もう1つは、若手の育成と確保です。東京や大阪のような都市圏と違い、学びたいと思ったときにその手段が近くにないことが地方の悩みです。学ぶ機会を得るには、お金も時間もより余計にかかります。協会として、そのような学びの機会を増やせるかどうかが、重大な関心事ですね。研究会レベルを高め、能力アップの機会を作れれば、と思っています。

現在は専業診断士、企業内診断士、指導機関診断士、女性診断士という4つの部会を作り、5~10名程度で相互啓発をする機会を提供しています。企業内診断士を含め、各自が望んだスキルを開発でき、自分の強みを発見し、伸ばす機会を与えられれば、と考えています。

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(つづく)

羽田野 正博(はたの まさひろ)
ヒューマックス経営考房代表。(株)フォーワン、および(有)丸満代表取締役。経営品質協議会認定セルフアセッサー、日本産業カウンセラー協会認定キャリアコンサルタント。富山県よろず支援拠点のコーディネーターを務める。

会社名 ヒューマックス経営考房
代表取締役 羽田野 正博
所在地 〒939-8271 富山県富山市太郎丸西町1-12-8 1F
TEL 076-422-9714