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地元に根付いた活動報告

地産地診

(4)栃木県編

取材・文:大石 幸紀(中小企業診断士)

【第3回】栃木県内で企業の「志」を支援する[1]

取材日:2011年8月4日

「地産地診」コーナー・栃木県編の最終回は、(株)UI志援コンサルティング代表取締役の伊藤一嘉さんに、お話を伺いました。

良い影響を与えてくれた会計事務所の所長との出会い

― 中小企業診断士になった経緯を教えてください。

伊藤一嘉さん

大学を卒業して、父親が経営する食品機械製造業の会社に就職しました。当時、「リストラをした結果、人が足りないので帰ってきてほしい」と懇願されたためです。学生気分が抜けないまま親の会社に就職したので、社員の皆さんに比べて技術もなく、だからといって勉強することもなく、言われた仕事だけをやっていました。頭の中は遊びのことばかりでした。

平成10年(1998年)、私が27歳の時に父が病に倒れ、数ヵ月間仕事に従事できなくなりました。すると、会社の業務がぴたっと止まるんですね。1ヵ月間仕事が全く進まない。自分は肩書きこそ専務でしたが、何もできないのです。業績も落ち込み、翌年3月に不渡りを出して倒産してしまいました。自分は専務であったにもかかわらず、自分の会社の決算書を理解することもないままに、倒産させてしまったのです。

そして無職になり、ハローワーク通いが始まりました。そこで、会計事務所の求人をみつけます。電話をすると、すぐに面接に来いとのこと。そこで出会った所長が、私の人生を変えてくれました。財務コンサルタントの募集だったのですが、簿記のボの字も知らない私を採用してくれたのです。

入所すると、所長から仕事とはどういうことなのかを、徹底的に教えていただきました。だんだんと、私の遊び中心の生活は、仕事中心の生活に変わっていきました。

簿記を勉強しながら、いくつかの顧問先を担当し、経営者と話をする機会も増えてきました。なかには、業績のあまり良くない会社もあります。私は「自分の父と同じ思いをしてほしくない」との思いから、経営に対してアドバイスをするようになりました。しかし、アドバイスの内容は、経費削減が中心になってしまいます。なにか、しっくりきません。経営を改善するには、粗利を増やす必要があります。しかし、粗利を増やすノウハウは、会計事務所にはなかったのです。自分で勉強するしかないと思い、中小企業診断士の勉強を始めました。平成13年に合格し、平成15年に中小企業診断士として登録しました。

― 中小企業診断士に合格した後の活動は、どのようなものでしたか。

伊藤一嘉さん

私が中小企業診断士に登録した当時、(社)中小企業診断協会栃木県支部には、30代の会員は私1人しかいませんでした。その年の秋に、足利銀行が経営破綻します。栃木経済は混乱し、なんとかしなければという機運が高まりました。その混乱の収拾を現場で担っていたのが、栃木県支部の先輩診断士の皆さんでした。県内で中小企業診断士の存在感が、急拡大していた時期でした。

そのような状況で、私も栃木県支部からたくさんの仕事の機会をいただきました。会計事務所に籍を置きながら、商工会議所などの窓口相談員や、再生企業の改善計画策定を支援する役割を任されたのです。

そんな時、矢口支部長からM&A研究会の幹事役を任されます。そこでの活動が認められたのでしょうか、次に、中小企業診断士養成塾の幹事も任せてもらいました。この養成塾の幹事を任せてもらったことが、私のその後の診断士活動に大きな影響を与えました。

先輩診断士の方々から働きぶりを認めていただき、お仕事をいただく機会が増えました。また、養成塾の受講生には、栃木県経済をさまざまな分野で担っている方が、多くいらっしゃいました。こうした方々とのご縁によって、お仕事をいただく機会が増えたのです。

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