|
■ 人生を賭けた脱サラ、そば屋で一国一城の主をめざす
佐賀地域中小企業支援センター(佐賀商工会議所)
| そば処いち |
| 業 種 | : |
飲食業(手打ちそば屋)
|
 |
まったく商売を知らなかった私たちにとって、支援センターは大きな支えでした。妻が参加した「創業塾」は経営を知る大きな手がかりになり、その後の創業交流会での講義も実践的で役立ちました。また開業準備段階でも、資金調達その他で支援していただきました。 開業後も当店のことを宣伝していただき、わざわざ食べに来ていただいています。本当に心から感謝し、みなさんのお気持ちに応えるためにも、日々努力して、おいしいそばを出しつづけていこうと思っています。
|
| 本社所在地 | : | 佐賀県佐賀郡大和町 |
| 資 本 金 | : | |
| 創 業 | : | 平成14年12月3日 |
| 売 上 高 | : | 月額130万〜150万円 |
店主 |
| 従業員数 | : | 5名(パート含む) |
副島 一夫
|
■恵まれたサラリーマン生活を捨て人生の後半戦を「そば」に賭ける
「そば処いち」の主人、副島一夫氏が独立を決意したのは、「自分で商売をやりたい」という思いが日増しに膨れ上がり、もう自分を抑えきれなくなったからだ。会社の業績が悪かったわけではない。会社員として出世の道が閉ざされていたわけでもない。会社の業績は順調、副島氏も将来を嘱望される存在であった。それでも創業の夢は捨てられなかった。
勤務の合い間に、何をもって人生の後半戦を築いていこうかと調査を開始。約1年をかけて「そば」に辿り着いた。飲食店に絞り込んだのは、ガス販売の仕事を通して業界の事情に明るかったから。そのなかで、そばを選択した最大の理由は、健康によいという点だった。老いも若きも男も女も、すべての人の身体によいもの、つまり「健康」こそが時代のキーワードだと判断したのである。
そばを一生の仕事にしようと決心したものの、まったくの素人。まずは調理の基本を身につけようと調理師学校に1年間通い、調理士免許を取得。そのかたわら東京の蕎麦スクールにも通い、そばの基本を学んだ。
■理想を追い求めた過大な事業計画
こうして調理技術の習得ということで独立への第一歩を踏み出した副島氏だったが、創業するとなれば、経営についても学ぶ必要性がある。サラリーマンとして頑張ってはきたが、経営についての知識は不足している。そこで「創業塾」に夫婦で参加した。妻のみどりさんも勤め人であったが、どういう形態になろうと妻の協力なくして店は成り立たない。そこで夫婦2人での参加を決めた。ここから当センターとの付き合いがはじまったのである。
そば修行は、東京のスクールを出ただけでは独自性が出ない、もっと納得できるそばを打ちたいと、探し当てた2つ目の修行先が出雲の地「そば処神門」。ここの主人は、副島氏と同じ脱サラ組で、仕事に対する姿勢や生き方に大いに共感したのだった。
佐賀市の北側に隣接する大和町に石井桶(いしいび)という、祝祭日には多くの家族連れで賑わう市民公園がある。夫婦はこの地で勝負することを決心する。そこは家族連れが集う健康的な場所であり、それは夫婦がめざしていた「健康を提供する」コンセプトにぴったりだった。そこに、ゆったりと憩える場を提供したいという思いから、古い農村の民家を彷彿とさせる建物を建てたいと思いはじめる。器もできれば地元有田のよいものを使いたい。しかしそんな理想を実現するにはいくつかの障害があった。
それは資金不足の一語に集約されるのだが、それにしても当初の計画を大きく上回る資金が必要なことが徐々にわかってきた。事業資金はどう切り詰めても、締めて2000万円。夫婦は数年前に自宅を新築、しかも一人娘は大学進学を目前にしており、これからお金が必要である。
■フィールドワークもいとわない想いを共有した支援がスタート
「創業塾」受講後も、夫婦で何度も当センターに来られた。いく度も顔を合わせ、細かい事情がわかるにつれて、センターとしては事業資金が大き過ぎるので何とか削るところはないのかと動き出した。まずは夫婦がそこまでこだわる出店地の問題である。あの場所にこだわるから事業資金が過剰になるのである。立地条件は決して抜群ではない。インターチェンジにつながる路線沿いではあるが、メイン道路の1本外側にある川沿いの側道である。いってみれば、地元の人たちがメイン道路の渋滞を避けて使う田舎道である。
至近距離にショッピングセンターがあり、そこに人は集まるものの、この場所の認知度は低い。否定的な条件がいくつも浮かぶ。
しかし、よいのである。何しろ憩うのである。なんともいえず心が安らぐ。右のほうに山並みもほどよく見える。
あまり認知されていない場所というのは、かえってよいのではないか。贔屓客をジワジワ増やしていくには絶好のロケーションではないか。
こうした考えから、「ここでやる!」という夫婦の想いにセンター側も添うことを決心する。少しでも経費を削る工夫ができるようにと、中古厨房設備を扱う専門店に渡りをつけ、交渉に同行したこともある。
最も注力したのは創業計画書の作成支援である。事業資金の借入に関しては、佐賀県の起業家支援(独立開業資金)に狙いを定める。提出書類に関しては、所轄の地元商工会が徹底協力。ついに1000万円の借入を実現した。自己資金は1000万円である。この自己資金については、夫婦とセンターのあいだで何度かのやり取りがあった。実はみどり夫人は安定した職場に永年勤務しており、ある程度の収入を得ていた。したがって、常識的に考えれば、夫人は勤務を継続し、土日に店の手伝いに入るという形がベストであろう。この形のほうが、先々運転資金が必要になった場合に有利なのは明らかであるし、万が一、店が立ち行かなくなった時の収入源にもある。しかし自己資金の不足を補うには、夫人の退職金の一部を補填せざるを得ない。さまざまな角度から検討した結果、退職することを決意。
常識的には無謀とも思える独立開業であったが、とにかく「そば」で新たな人生を切り拓くのだという強い意思で次々と困難を乗り越えていった。
平成14年12月創業。慣れない仕事で毎日がパニックだったが、夫婦ニ人三脚で頑張り、何とか年内の目標をぎりぎり達成。しかしここで予想だにしていなかった出来事に襲われる。夫人が1月に体調を崩し入院。幸いなことに大事には至らず2月に復帰。そこからは快進撃がはじまる。
春の訪れとともに石井桶公園に多くの市民が訪れ、「そば処いち」を知り、馴染みになっていく。そして1年を経過したこの時点で、当初の計画を上回る業績をあげている。
夫婦揃っての「創業塾」受講、その後毎月センター主催で実施している「創業交流」への出席。そのなかで知り合った創業を志す仲間たち。これらが土台となって現在がある。
開業後も、そばや出汁の研究は怠らない。土日は晴れて大学生となった一人娘も帰省し、店の手伝いに入る。三人家族の歩みがつづく。
|