HOME > 事業を広げる > 地域資源活用チャンネル

地域資源活用チャンネル

いきいき活用事例

福井県

繊維産地・福井の再生に息吹き目指す

三澤機業場・三澤繁幸社長

三澤機業場・三澤繁幸社長

賃加工からの脱却、自立へ

 福井は日本でも代表的な繊維産地だ。大手原糸メーカーや産元商社からの生産指示で主に合繊の委託加工(賃加工)を行ってきた。しかし、内需低迷や中国などの繊維産業の発展で、国内メーカーの多くは生産拠点を中国など海外に移転してきた。このため9人以下の事業所が約75%を占める福井産地は、受注量激減でリストラや廃業、倒産企業が続出した。

 事業所数や従業員数、製造品出荷額が年々、減少。05年と戦後ピーク時の比較では、事業所数はピーク時73年の67・8%減、従業員数は同70年の67・9%減、製造品出荷額は同92年の48・3%減と大幅に減少した。福井県繊維協会の三田村庄一会長は「産地の死を座して待つわけにはいかない」と復活策に必死だ。

 この危機的状況下で「原糸メーカーや産元商社に頼らず自立、一本立ち」に挑戦、成功しているのが三澤機業場(福井県あわら市)。同社は52年に現社長の三澤繁幸社長の父親が創業し、三澤社長は2代目。「父親は賃加工の機織り屋だったが、94年に亡くなってから『このままでは未来はない。賃加工からの脱皮、自立』を決断。自分で糸を買って染め、産元を通さずアパレル問屋などに売りに歩いた」。

 その苦労は並大抵ではなかった。原糸を零細企業に簡単に売る原糸メーカーはなかったためだ。やっと探しても現金の振り込み確認後の納入。「あの時ほど苦労したことはない。『三澤はダメだろう』と言われていた話が聞こえていた」。

 ただ三澤社長は「あの時があったから、ここでこれまでやってこられた」と振り返る。新商品開発は父親の手伝いの時から自分で企画、提案してメーカーに持ち込んだり、工場の隅で父親に分からないよう挑戦していた。企画には自信があったが、販売は全くの素人。三澤社長は繊維の展示会などで名刺交換した企業を菓子箱をもって足を棒にして回った。ようやく3年目で製品の良さを理解し、購入してくれた。

 三澤社長が開発した新商品は"光り物"の複合織物。軽く光沢感があり、見栄えが良い。軽さは以前の製品と比較すると3分の1から約半分だ。ジャケットやパンツ、コートなど用途は広い。以前の光り物の織物は糸がねじれ、触るとザラザラした。しかし三澤が開発したのは糸がねじれないで真っすぐのまま織れる独自商品だった。

異業種グループ・布のえき 産地再生の先駆けに

テキスタイルグループ「布のえき」商談会展示風景

テキスタイルグループ「布のえき」商談会展示風景

 97年に女性の繊維評論家の「企業が組めば、さらに海外でも売れる商品が開発できる」とアドバイスを受け、設立したのがテキスタイルグループ「布のえき」。機屋、ビロード、染色など繊維関連異業種5社で発足した。目的は技術交流で各社がより自立の道を探ることだった。

 現在、会員は三澤機業場、山崎ビロード(越前市)、坪由織物(坂井市)、中嶋機業場(福井市)、双葉レース(同)、ウエマツ(同)、漆崎機業場(同)の7社。中小零細企業で、「人まねは絶対にしない」がグループのモットーだ。

 布のえきでは春、秋の2回、東京で新商品の商談会を開催する。またジャパン・クリエーション(JC)に出展するなど、「自立」を目指した新商品開発の地道な活動を行っている。国内外の多くのデザイナーにも注目される存在だ。

 布のえきの二代目会長の三澤社長は、「将来、イタリアかフランスで展示会を開催したい。また国内の展示会は福井で開催し、国内各地や世界から商談に来てくれるようになるのが夢だ」と力強く語る。

【コメント】三澤繁幸社長
自立のプライドを持って挑戦

 繊維業だけでなく、いかなる事業、商売でも自分の事業、商売を好きになり、プライドを持つことが大事だ。好きになるには、まず金もうけを先に考えたらいけない。それは後から付いてくる。

 私は今まで中国、韓国、台湾などを怖いと思ったことはない。それは昔から常に自社独自の商品開発に挑戦し続け、開発している自信があるからだ。中国などと一緒のことをやっていてはダメだ。

 長い歴史と伝統のある福井の繊維業界。しかしこのままではあと10年で福井の繊維業界は完全に駄目になる。人のまねは絶対にせず、他社が追随できない商品づくりに命がけで取り組む。中小零細企業でもグループを組んで技術力をアップしたり、開発の感性を磨けば必ず生き残れる。日々、挑戦だ。日本の繊維産業は決して斜陽産業ではない。

会社概要

会社名:有限会社三澤機業場
住所:福井県あわら市田中々30の8
業種:繊維業
電話:0776-77-2367