HOME > 事業を広げる > 地域資源活用チャンネル

地域資源活用チャンネル

コラム

●郷土を知り、自分を知る

 地域がどれだけ独立心や郷土愛を宿しているか。地域資源活性への取り組みはバロメーターになる。山梨県・甲府と沖縄県・那覇を訪れ、そう実感した。各地で古城などの歴史資産を掘り起こし、モノづくりや観光の活性化につなげる取り組みが盛んだが、歴史資産に対する感度や固有文化の訴求力という点では、甲府と那覇は対極に位置しているように見える。

 2月の連休初日、甲府市街を散策した。武田信玄館跡の武田神社は、NHK大河ドラマ「風林火山」の影響だろうか、午前中から駐車場はいっぱいだった。ところが名物のほうとうを食しにJR甲府駅前へゆくと観光客はまばら。甲州印伝や水晶を扱った土産物店は、どこも閑古鳥が鳴いている。甲府駅前の軍配をかざした信玄像はどこか寂しげだった。

 甲府市街は北に武田神社、南に徳川幕藩体制の拠点となった甲府城がある。中世と近世の城下町が重なり合う全国でも珍しい歴史資産がありながら、甲州人はかくも文化財保護に冷めた目でいられるのか。甲府の歴史文化に詳しい山梨県教育委員会のスタッフは、その特異な県民性に注目する。

 幕藩体制下、甲府は天領として城主が居城しない時代が長く続き、「政(まつりごと)は顔の見えないお上が仕切るもの」という体質が根付く。ゆえに甲州人は甲府城にあまり親近感をもてないのだという。明治期に入ると市民から「お濠は水が臭いから埋めてほしい」という苦情が役所に寄せられたほど。甲府城の掘り割りは埋められ、曲輪の内側には葡萄酒醸造所や県庁、中央線甲府駅が建設された。

 江戸期は歌舞伎、明治期は西洋建築と、中央の先進文化を摂取することには意欲的な半面、地元固有の文化は内にこもり、発信力を伴わない。現在、JR甲府駅の北側では甲府城の搦め手にあたる山手門の復元工事が進められているが、観光やモノづくりに結びつけるという発想は乏しい。

 翌週、那覇へ飛んだ。首里城正殿は復元から15年が経過し、職人が傷んだ漆の修復に追われていた。復元では漆塗りを本土の業者に発注したため、技術は沖縄に残らなかった。その教訓から、修復作業はすべて県内の業者に頼んだ。椀や茶托など漆器の需要は頭打ち。このままでは王朝時代の技法とともに、沖縄の伝統産業が廃れてしまうとの危機感から始まった。

 戦中、沖縄は米軍の進行を遅らせるため、本土の「捨て石」になった。陸軍司令部が置かれた首里城は米軍の標的となり、守礼門など歴史建造物は壊滅した。モノづくりの定着まで視野に入れた保存活動からは、苦難と忍耐の歴史の中で沖縄が蓄えた胆力のようなものを感じる。

 首里城正殿は、下地に漆のノリをよくする揮油が塗られている。揮油は温度により粘り具合が変わる。漆がのりやすい最適な温度を割り出し、数値化する作業も修復と並行して進められている。

 「首里城の復元により、伝統技能の伝承を頭の片隅に置くようになりました」と、保存に携わる若い研究員が沖縄なまりで誇らしげに話していたのが印象的だった。地域資源活性とは、詰まるところ地域とともに生き、生活してきた自分とは何かを突きとめる「自分探し」のための発露なのかもしれない。

(日刊工業新聞社 岡田 直樹)