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第62回 ものを大切にする日本の精神を世界へ[ビック・ママ]

2016年2月 8日海外進出

ビック・ママは、東京オリンピックが開催された1964年に同社の先代社長が衣服のサイズ直しの会社「守井加工所」を創業したのが始まりである。創業当時は、大手スーパーなどの法人を主な取引先としていた。しかし、現在の守井嘉朗社長の代に移り、ターゲットを法人から一般消費者の個人に切り替え、また対象品目やサービスの幅を広げ、衣服だけでなく靴やバッグ、アクセサリー等の修繕やメンテナンス等を行う「ビック・ママ」をスタートさせるに至った。守井嘉朗氏の社長就任後6年経った1999年のことである。

ビック・ママの顧客層は、現在は個人の割合が約90%を占め、その60~70%がリピート客だという。修繕ビジネスでこの高いリピート率の背景にはもちろん同社の修繕サービスの品質の高さがある。創業時と比べると店舗オペレーション面でのIT化は大きく進んだが、技術面においてはサービスの性質上やはり職人と言われる技術者に負うところが大きい。この腕の良い技術者たちが「ビック・ママ」の品質の高さを支えているのだと言える。

運命的なシンガポール進出

現在、国内で70店舗以上を展開するビック・ママは、2014年に海外展開も果たしている。展開先はシンガポールである。同社が海外展開するに至ったきっかけは、守井社長がたまたま他業界の海外視察ツアーへ参加したことだった。その折に守井社長の事業がふとしたことで現地の投資家の目に留まり、その投資家からの誘いでシンガポールへ出店することとなったのである。

「ビック・ママ」シンガポール・リャンコート店

「ビック・ママ」シンガポール・リャンコート店

シンガポールではまず日本人の多いエリア(百貨店内)に出店し、その後、現地の衣服修繕店を譲り受ける形で2店舗を「ビック・ママ(リャンコート店、プラザ・シンガプーラ店)」として出店した。同店の修繕・保守作業は、各店舗に常駐する技術者がほぼ手作業で行っている。
 そして今年2月内には6店舗目までを出す予定である。シンガポールで店舗を増やすに際して守井社長は、現地のオペレーションの精度を上げ、顧客からの注文へ確実な対応をしていくと同時に現地に責任者を1人置いてシンガポール全店の運営を任せたいと考えている。この現地の責任者に店舗運営を任せることの重要性について、守井社長は次のように話す。

「海外展開で成功するパターンは、日本から完全撤退して1人で乗り込んで行くか、大企業が大きな投資をして行くか、この2パターンの場合だと思われる。その中間のパターンでの進出は難しい。1人の中小企業経営者が日本、海外のすべての店舗の経営を見るのは不可能だ。現地の店舗はやはり現地の責任者に任せるべきである。現地の人だからこそ出来ることもある」

「ビック・ママ」シンガポール・高島屋店の店内

「ビック・ママ」シンガポール・高島屋店の店内

現地の人材教育からの気付き

シンガポールの店舗の従業員はほとんどが現地採用である。現地での人材教育は難しいものであるが、その中で改めて気付くことも多いという。例えば詳細なマニュアル整備の必要性、動画のマニュアルの有用性、など。現地の人材教育で苦労した結果の気付きが、国内店舗の人材教育のレベルの向上にもつながっているのだと言える。

高い技術力を持つ「ビック・ママ」の修繕・保守サービス

高い技術力を持つ「ビック・ママ」の修繕・保守サービス

アジア諸国への展開、そして上場へ

守井社長は今後、一国の中での最適な店舗数や最適なオペレーションのあり方などをもっと研究し、他のアジア諸国にも展開していきたいという。また、会社として当然将来的には株式上場も目指している。今、上場を目指している株式市場は東証マザーズだ。

最後に守井社長は、次のように締めくくった。
 「我々は使い捨ての大量消費をしないで済むようなサービスを提供していきたい。例えば、『直す、貸す、預ける、買い取る』等のサービスを利便性の高い立地で展開していきたい。それも敷居の高い『匠』のようなものではなく、『コンビニ』のように皆から親しまれるお店として」

「もったいない」という言葉は他国の言語には無い日本語特有の表現だと言われている。「ビック・ママ」の国内外の展開で、日本の「物を大切にする」という精神が世界や次世代の人達に伝わっていくことを願ってやまない。

企業データ
企業名 株式会社ビック・ママ
代表者 代表取締役 守井 嘉朗
所在地 宮城県仙台市青葉区北目町6-6
業種 衣服・靴・バッグ・アクセサリー等の修繕・メンテナンス等

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