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第38回 日本の獲れたて鮮魚が世界の美食家たちを虜にする[ヘンリーブロス]

2014年3月18日海外進出

名立たる名店がひしめく銀座にオープンして、今年で12年目を迎える高級和食店「銀座黒尊」。運営するのは、ヘンリーブロス株式会社。リーマンショックを機にシンガポールに進出した銀座黒尊は、日本の魚文化を海外に発信している。

代表取締役社長の江嶋力氏

代表取締役社長の江嶋力氏

どこにも負けない強みを持つ

江嶋社長は勤めていた会社を退職し、飲食店を立ち上げた。飲食業は誰でもできるものだと思い、鮨業態を展開した。最初から接待需要を狙っていたため、内装は店舗デザイナーに依頼した。3カ月間はオープン景気もあり、店も賑わっていたが、徐々に売上は低下していった。素人が立ち上げた客価格が高い店というのはなかなか続かない。リピーターはなかなか生まれなかった。しかし、江嶋社長は、売上が落ちこんでも宣伝はしなかった。接待需要は口コミで広まるものであり、媒体を使った販売促進は無意味だと思っていたからだ。
 経営が立ち行かない程にひどい状況に陥り、築地市場でアルバイトを始めた。朝から夜まで店舗で仕事をした後に働くことのできる場所は築地しかなかった。築地であれば魚の勉強もできる。釣りが趣味であったため元々魚には詳しかったが、値付けや流通についてもっと勉強をしたいと考えていた。
 いつかこの状態から抜け出すことができるという確信はなかったが、暗中模索でバイトをした。市場で働いていると、魚の価格に疑問を持つようになっていった。以前からよく知る産地のウナギの価格が自分の知っている価格とかなり開きがあったのだ。そのような疑問を持つ折に知人から、漁港で朝に獲れた魚を午後に店舗に届けるサービスがあることを聞いた。試しに店舗で使ってみたところ、市場から仕入れるよりも実は安かった。魚を扱う飲食業態で成功するためには、流通を押さえることが必要だと痛感した瞬間である。
 その産直の魚は顧客に喜ばれ、店の評判が口コミで広がっていった。売上が回復してきたのはオープンして1年程経った頃だった。その後、自社で流通ネットワークを構築すべく、江嶋社長自身で全国の漁港を回り、漁港で獲れた新鮮な魚を自社の店舗に流通させるというネットワークを築き上げたのだ。

外食は誰でも始めることができる業種と言われるが、だからこそ競争も激しく強みが必要である。銀座には鮨で有名な店はいくらでもある。有名店とは味で勝負できても、知名度やブランドでは負けてしまう。他店との差別化をはかるにあたり、江嶋社長は、「寿司や刺身を食べる人の中には魚のポアレも食べたいという人もいるだろう」と考えた。そこで、新たな板前とフレンチのシェフを採用し、唯一無二の店舗にすべく、板前とシェフを同じカウンターに立たせた。独自の鮮魚流通ネットワークに、板前とシェフという銀座黒尊の強みが加わった。

シンガポールで1%の富裕層を狙う

リーマンショックを機に、順調だった銀座黒尊の経営が厳しくなった。そんな折、アジアで日本食マーケットが広がっているという話を聞き、シンガポールを含む東南アジア4カ国を視察した。
 2度目の視察で出店を決め会社を設立したのはシンガポールだった。海外進出先国を決める際に、インフラや税制、金融面などを考慮する人は多い。江嶋社長はそれらに加え、その国の歴史的背景や民族なども考慮する。自分の足で全国の漁港を歩き、独自の鮮魚流通ネットワークを構築してきた江嶋社長は、エージェントを利用しない。各国の情報収集も、商社に勤める友人などに自分から話を聞きに行った。海外では飲食店にまつわる裁判も多いことから、どんな司法制度でどのような裁判が起きているのかについてもすべて自分で調べた。国の将来性や税制面のメリット、将来の事業展開を考え、東南アジアのハブ空港のあるシンガポールに決めた。
 シンガポールは貧富の差が激しい。日本食を口にできるのは富裕層だけだった。銀座黒尊で培った強みを活かすべく、トップから1%の富裕層をターゲットにした。富裕層は本物の日本食を食べるために来日するほどであり、本物の味を知っている。だからこそ、食事もローカライズせず、すべてにおいて日本流を貫き通すと決めた。
 店舗は、高級住宅街の一角にある川沿いにある。土地勘がないため、感覚的に川沿いを選んだという。文明の発祥は川沿いからだということを踏まえての決断だったそうだが、歴史好きな江嶋社長ならではの発想だ。市の中心部からは2kmほど上流にあり、交通の便がよいとはいえないが、美味しい店であれば絶対に人が来ると考えていた。
 店づくりには大変苦労した。店舗デザインは、銀座黒尊と同じ著名なデザイナーに依頼したのだが、現地には納得できるような材料もない上に、職人には日本の繊細なイメージを忠実に再現するスキルが足りなかった。そこで、瓦は愛媛から取り寄せ、和紙は土佐和紙を取り寄せ、20坪のカフェテラスを含め80坪の大型店舗が完成した。
 最初は日本人をターゲットとしていた。日本人がおいしいという日本食ならローカルの富裕層も食べたいというはずという狙いは当たり、オープン当時客数の9割が日本人だったが、その後日本人とローカルは半々になった。
 日本人は接待で利用するが、ローカルは食を楽しむ人たちが訪れる。海外の美食家たちは、美味しい食事をするためにお金に糸目をつけない。銀座黒尊には13mのカウンターに日本から直送された新鮮な魚が並んでいる。自分たちは魚のプロであり、日本の漁港で獲れた新鮮な魚を自信を持って提供するというポリシーに基づく営業スタイルを打ち出している。
 注文されない限り刺身の盛り合わせにサーモンは並べない。サーモンを食べるなら黒尊に来る必要はない、というくらいの強気の姿勢で臨んでいる。ローカルの美食家たちには名も知らない魚が刺身として提供されるわけだが、スタッフが英語で丁寧に魚の説明をすると喜んで食べるという。養殖と天然の真鯛の味の違いを理解している人も多く、日本人よりも舌が肥えているのではないかと思うこともあるという。日本の漁港から獲れたての魚を運ぶ流通システムを構築するには苦労もあったが、その甲斐はあった。
 黒尊で働く4名の日本人スタッフも、プロとしてのサービスが高く評価されており、値段に関わらずおいしい料理を注文してくれるお客様への接客に非常にやりがいを感じている。
 業績がよければ給与も上がるということもモチベーションアップにつながっているだろう。日本を発つ時には2年で帰国できるかどうかを尋ねてきたスタッフですら、今は日本には戻りたくないと言っているそうだ。中には、新たに海外展開店舗への赴任を希望する者もおり、日本の外食では得られないやりがいが彼らの夢を大きくした。

リーマンショックを機にシンガポールに進出した「銀座黒尊」は、日本の魚文化を海外に発信している(シンガポール「銀座黒尊」の店前)

リーマンショックを機にシンガポールに進出した「銀座黒尊」は、日本の魚文化を海外に発信している(シンガポール「銀座黒尊」の店前)

一番の苦労は現地スタッフの教育

順調にスタートした黒尊の一番の問題は現地スタッフへの教育だ。労働者管理についてシンガポールは特に厳しい。人件費は日本より高く、シンガポール人を採用しなければタイやフィリピンのスタッフを採用することはできない。加えて、スタッフを怒ると労働局に訴えられ注意を受ける。少しでも突いたら営業停止になる。労働者には寛容で、有給以外に年間16日間の病欠が認められている。
 忙しい金曜日に休むスタッフもいれば、きちんと働かないスタッフもいる。シンガポールでは外食は人気のある職業ではないことから、自分自身を卑下しているようでもあるという。彼らのバックボーンや文化を理解するために、シンガポール人の親友から話を聞くことに膨大な時間を遣っている。シンガポールでは怒鳴ってはいけないことや机を叩くことが威嚇行為と受け取られること、小学校の頃に頭の良さで職業が決められてしまうような風潮があることなどを教えてもらった。
 そこで、日本人スタッフは現地のスタッフに対して、励まし、褒め、感謝することを徹底して行っているという。その甲斐もあってか、最近はシンガポーリアンのスタッフのモチベーションは上がってきており、江嶋社長と日本人スタッフは大きな手ごたえを感じている。「言葉が話せなくとも臆することはない。単語を並べるだけの会話しかできないとしても、通訳に頼むのではなく、オーナー自ら話しかけるほうがよっぽど想いが伝わる」と江嶋社長は断言する。

シンガポール「銀座黒尊」の店内には、13mのカウンターに日本から直送された新鮮な魚が並んでいる

シンガポール「銀座黒尊」の店内には、13mのカウンターに日本から直送された新鮮な魚が並んでいる

日本人のバイタリティとマインドを持って世界で戦う

今後はカンボジアやアイルランドなどにも展開する予定だ。ベトナム、マレーシア、インドネシアによいパートナーができれば進出したいと考えている。いずれの国に進出しても、狙うはその国のトップ1%の富裕層だ。鮨は世界中で知られている上に、魚は宗教上の縛りを受けないタンパク質である。どんな民族をもターゲットにすることができるのだ。日本の漁港で獲れた新鮮な魚を流通させるシステムを構築したこともあり、魚を扱う業態の可能性はますます広がる。
 シンガポールに進出して江嶋社長が感じたことは、「メイド・オブ・ジャパンを食べたい」という現地の消費者の声に十分に応えられていないことだという。シンガポールの銀座黒尊では、キンキやノドグロといった高級魚がどんどん売れるという。外国で適正価格で消費されるということは、その魚が獲れた漁港にもそれだけのお金が落ちるということだ。
 海に囲まれた日本の多くの漁港から獲れる新鮮でおいしい魚、刺身という食文化、最先端の流通技術も含めて海外に広げていきたいと考えている。それにより漁港が活性化し、後継者も生まれるという仕組みができるのだ。そのためにも魚が売れなければならない。「国境は県境と一緒」「日本人のバイタリティと侘び寂びの心を持って海外で働くことが楽しい」と笑顔で語る江嶋社長は自社の成長だけでなく、日本の漁業も元気にしようと考えている。

江嶋社長はシンガポールでの上場も考えている。上場することで与信が広がり、社員の子供たちも家族が上場企業に勤めているといえるようになるからだ。自社が上場することで、他の人の夢につながることも期待しているという。メイド・オブ・ジャパンを武器に、海外に挑む日本人が増えることを期待したい。

企業データ
企業名 ヘンリーブロス株式会社
代表者 代表取締役社長 江嶋 力
所在地 東京都港区高輪1-2-16
業種 飲食業

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