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第17回 何度も足を運び自分の目で見て海外進出を決意[ワークサイエンス]

2013年3月12日海外進出

ワークサイエンスは、Webアプリケーション開発や各種システムの提案・設計・開発などを手掛ける親会社から、携帯電話のアプリケーション開発や品質管理を手掛けていたメンバーが移籍して4年前に設立された会社だ。現在はAndroidを中心としたスマートフォン・アプリケーション開発やWebアプリケーション開発を手掛ける。現在は大手ソーシャルゲーム会社から依頼を受けて開発しているが、リーマンショック直後に大阪から東京に進出し会社を設立したため、1年くらい営業活動が厳しい時期もあったが、ようやく軌道に乗ってきた。そんな時期にミャンマー進出を決めた。

ミャンマー現地オフィスの扉。水谷社長の挑戦が今、始まった

ミャンマー現地オフィスの扉。水谷社長の挑戦が今、始まった

約半年間のミャンマー視察で感じたこと

2012年5月の役員会議でミャンマーについての話題が持ち上がった。にわかに新聞で目にする機会も増えたこともあり、水谷雄一社長は同年5月に初めてヤンゴンを訪れた。自分が想像していたものとはまったく異なり、町は賑やかで人も多いことに驚いた。
 観光は一切せずに、現地のIT企業を訪問した。ITエンジニア不足だというが、面談した人には若い人も多く、皆やる気に満ち溢れていた。自分たちのような規模の会社は海外に拠点を持たないので、逆に面白みを感じた。
 その後、5、6回ミャンマーを訪れ、初回同様に現地のIT企業を回った。現地IT企業との面談を設定してくれたのは、日本のコンサルティング会社だった。「ITリテラシーがどの程度なのか、どのようなものを作っているのかということを自分の目で確かめたい」というのが訪問の狙いだった。
 1週間程度滞在し、7、8社の企業への訪問を重ねた。訪問した企業の規模は5名程度の企業から200-400人の規模の大企業までさまざま。大手企業との面談は1、2回程度だが、中小企業、とくにWebやJAVA関連の開発を手掛けるIT企業には何度も訪問した。
 ミャンマーでは銀行にシステムが導入されておらず、現在大手企業が急ピッチで開発を進めている。当然ATMもない。銀行がそのようなレベルなので、当然のことながら一般企業のIT化は進んでいない。
 面談時間は1-1.5時間程度で社長・役員クラスが応対してくれたが、日本語を話せるミャンマー人の通訳を介し、事業内容などの関心事を聞いた。何度も面談した中小企業が、会うたびに急成長を実現していることを目の当たりにした。工業分野には外国企業が参入してきているため、自国の産業としての伸びはないのにIT分野は伸びていたのだ。
 ミャンマーは「もの」と「情報」のバランスが取れていない国であると水谷社長は言う。アジアのある国では、オートバイが道路を埋め尽くすように走る光景を目にすることがあるが、ヤンゴン市内にはほとんどバイクが走っていない。車が主要な乗り物になっており、朝は渋滞で動かないくらいだ。
 家には電話もないのにスマートフォンを持ち歩いている。一般的に販売されているのはビルマ語対応ではなく英語対応の機種だ。ちなみに電化製品は日本と同じくらいの価格である。
 建築中のビルに安全第一と書かれていても、作業員は草履で作業している。ビル建設の足場は竹でできている。ミャンマーはある時代がすっぽり抜けていきなり近代化が進んだような国なのだ。

会社設立を決意

そんなミャンマーへの進出を決めたのは、何度も足を運び現地の人たちとの交流の中でミャンマー人に対する信頼を感じたからだ。これは経営者としての直感とフィーリングであった。
 ミャンマーにはITエンジニアが不足している。今は銀行のシステム化に集中しているため、一般企業へのIT普及はまだ遅いはず。だから、これから進出しても人材を集められるのではないか。水谷社長は進出を決意し、すぐにその準備を始めた。
 2013年3月中旬に正式に事業のライセンスが付与される予定だ。2012年から申請をしていたが、手続きに時間がかかってしまった。日本であれば行政書士などの専門家に依頼すれば手間も時間もかからないが、ミャンマーでは同年の10月か11月に現地の弁護士に依頼して書類を提出したが、12月初めまで手続き作業が続いた。
 とにかく提出しなければいけない書類の種類が多く、翻訳作業も必要だ。しかも、ある担当者ではOKだった事も他の担当者では通用しないということもある。日本から海外進出をする場合は、すでに進出している企業から専門家を紹介してもらうとよい、と水谷氏は言う。ミャンマーへの送金処理ひとつとっても、ある銀行ならスムーズにできる事も、他の銀行では対応に慣れていないということもある。このようなことは経験した人にしかわからないことであり、彼らに聞くことで少しでも手続きを効率的に進めることができる。
 資本金の送金は2カ月間に分けて行うことにした。分割納入にしたのは、政府の方針の急変などの理由からお金が引き出せないというような万が一のリスクを考えたほうがよいというコンサルタントからのアドバイスがあったからだ。
 2012年、会社設立が認められ、男性2名、女性1名の計3名のミャンマー人を社員として採用した。そのうち40代の男性は、10年間くらい日本のIT業界で勤務していたため、日本語でコミュニケーションを図ることができる。たまたま応募してきたことが縁で入社してもらったが、現地スタッフのマネージメントを任せるには最適な人材だった。今は他の2名との通訳も担当しているが、ビルマ語と日本語を使って話すため、たまに言葉が混在してしまうこともあるという。
 彼らと触れることでこれまで気づかなかった文化の違いに驚く。例えば、ミャンマー人は非常に奥ゆかしい民族で、怒った人を見たことがない。社員を叱るときでも、全体の前で叱ることは侮辱していることと同じと捉えられる。また、彼らはほほえましくも、あきれるほどに家族を大事にする。社員の両親に食事をふるまわれることも何回もある。
 また、ミャンマーには挨拶の言葉がない。外国人向けにわざわざ挨拶の言葉を作ったそうだが、ミャンマー人同士はそんな言葉を使わない。彼らが顔を合わせたときは、挨拶抜きで会話を始める。
 ショッピングモールやレストランに行くと、店員は腕を組んで脇に手をはさんで立っている。スタッフからその姿勢は敬意を示しているということだと教えられた。小売店で買い物をするとお釣りの小銭の代わりにアメをくれたりすることもあるという。水谷社長はそのような文化の違いを楽しんでいる。

本格的な事業がスタート

2013年3月から本格的に事業を開始する。ミャンマーでの事業は、日本のオフショア拠点とすることとITのスクールを運営することの2本柱である。現地企業とは頻繁に交流し、品質のよいソフトウエアを作りたいと考えている。
 また、スクール事業は、ミャンマーで日本語学校を経営している会社とタイアップし、2013年4月から立ち上げる予定だ。日本語を学びながらITも学べる。実践で役立つ人材を育成するため、より専門的なことを教えたいと考えている。
 進出前の企業訪問では、ITの人材不足を感じていた。カリキュラムができたら現地のIT企業への営業活動を行い、社内研修の実施や通学講習を勧めたいと考えている。
 ミャンマーがよい方向に発展していくのであれば、そこで50-100年続く会社を築きたいというのが水谷社長の夢だ。文化や習慣の違いを楽しみながら、新たな市場に挑む水谷社長の挑戦はこれからが本番だ。

企業データ
企業名 株式会社ワークサイエンス
代表者 水谷 雄一
所在地 東京都港区芝大門2-7-5
業種 情報サービス(ソフトウエア開発)

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