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JAPANブランドで新市場に臨む 日本の感性はこうして生かされた


海外で受け入れられる努力重ねる-「和菓子」巌邑堂
巌邑堂(がんゆうどう、浜松市中区)は明治5(1872)年創業の老舗和菓子屋。5代目の内田弘守社長が海外を志向したきっかけは、東京の和菓子屋で修業していたときのある経験からだった。以来、海外展開が夢になった内田社長。ただ、和菓子は海外の人にとってなじみの薄い菓子。内田社長を数々の障壁が待ち受けていた。

きっかけは外国人旅行者の一言

明治5(1872)年から続く老舗和菓子屋「巌邑堂」

明治5(1872)年から続く老舗和菓子屋「巌邑堂」

静岡・浜松駅から徒歩5分ほどの場所にある巌邑堂(がんゆうどう)は、明治5(1872)年創業の老舗和菓子屋だ。5代目社長の内田弘守氏が、長年の夢であった海外展開を実現した地はシンガポールだった。

弘守氏は大学卒業後、東京にある和菓子店で4年間修業した。その時、外国人にお菓子を出すきっかけがあった。当時は見習いであったため、彼らに出すお菓子を表立ってつくることはできなかったが、こっそり提供したところ非常においしいと喜ばれ、「母国に持ち帰りたいので、土産をつくってほしい」と言われた。

見習いだったため結局、土産をつくることはできなかった。だが、文化の違う外国人に評価された経験から、当初は実家の和菓子屋を継ぐことに若干の抵抗を感じていたものの、和菓子づくりをとても面白い仕事だと感じるようになり、和菓子での海外展開を目指すようになった。

家業を継いで新たな挑戦

弘守氏は31歳で家業を継ぎ、新たなことにチャレンジした。一つは、本店の近くでカフェを開店したことだ。修業時代からの夢だった米・ニューヨークへの進出を考えていた時に、友人から「カフェスタイルで大福や団子を出したらどうか」という提案を受けた。「和カフェ」というスタイルのショップが、東京で流行していた時だったこともあり、海外展開の前の腕試しに、2004年11月に地元でカフェをオープンすることにした。

内田弘守社長は、あんみつや創作洋和菓子を提供するカフェや、東京の百貨店での期間限定ショップの出店を通じて経験を積んでいった

内田弘守社長は、あんみつや創作洋和菓子を提供するカフェや、東京の百貨店での期間限定ショップの出店を通じて経験を積んでいった

カフェでは、あんみつをメーンに、季節に合わせた創作和洋菓子をも提供した。巌邑堂には年配の顧客が多く、カフェ利用者も高齢者が多かったが、週末は若い人から親子連れまで幅広い年代が来店し、時間帯によってはウエイティングがかかるほどだった。

軌道に乗りつつあったカフェ事業だが、入居していたビルが区画整理の対象となり閉店することになった。閉店が決まってからの1カ月間は、閉店を惜しむ人たちで店内は一杯になったという。カフェは閉店したが、巌邑堂には若いファンが増えた。

もう一つのチャレンジは、東京の百貨店に9カ月間の期間限定でショップをオープンさせたことだ。ショップの向かいには、東京の老舗和菓子店が出店していた。同店を見た弘守氏は、自店との完成度の違いを痛感した。

店舗のディスプレイや接客、演出などすべてが完成されているように見えた。また、季節に合わせたデザインや包装の変更など、顧客を飽きさせない細やかな工夫がされていた。9カ月間の出店は不完全燃焼に終わったが、収穫の多い経験だった。その後も、百貨店には年に2、3回ほど催事に出店をしている。期間限定ショップの運営を通じて学んだことは、確実に催事出店に生かされ、レベルが上がってきた手応えを実感しているという。

注目浴びるも、海外の厳しさ知る

弘守氏は海外展開を実現するために、毎年夏になると様々な国に出かけた。地元の信用金庫からの紹介で、シンガポールで開催された「FHA 2012(Food & Hotel Asia 2012)」にも出展した。自転車で移動しなければならないほどの大規模な展示会だったが、和菓子を出しているブースがなかったこともあり、大変な注目を浴びた。

日本から和菓子を持っていき、ブースでは生菓子づくりを実演した。多くの人が集まり、和菓子が完成するたびに拍手や歓声が起こったという。ブースでは50枚の名刺を獲得し、非常に大きな手ごたえを感じた。だが、シンガポールの人たちにとって和菓子は馴染みがない上にあまり見たことのない商品であったため、すぐに商売に結びつくわけではなかった。それでも、弘守氏はシンガポールに進出したいという思いが募らせていった。

シンガポール進出を実現

ある時、日本で取り引きのあった百貨店の担当者に相談をもちかけた。担当者は、シンガポール進出の難しさを伝えてきた。それは暗に「やめたほうがよい」という内容であった。現地の百貨店は現地法人があるか、あるいはしっかりとしたディストリビューター(流通業者)がついている企業としか取引しないのだという。しかし、何度も粘り強い交渉を重ねた結果、シンガポールの百貨店に商品を卸すことが決まった。

現地百貨店との取り引きが決まり、次は現地のディストリビューター探しを始めた。展示会で名刺交換をした人に連絡を取ったところ、そのうちの1社から紹介された企業の紹介でパートナーを見つけることができた。その人はお茶を取り扱っていたため、和菓子にも興味を持ってくれた。ディストリビューターが見つかったおかげで、シンガポールでの展開は、いよいよ現実味を帯びてきた。

苦心の末に実現したシンガポールの百貨店でのジャパンフェア出店。生菓子づくりを実演し和菓子に興味を持ってもらえるように工夫した

苦心の末に実現したシンガポールの百貨店でのジャパンフェア出店。生菓子づくりを実演し和菓子に興味を持ってもらえるように工夫した

巌邑堂は、シンガポールの百貨店で開催されるジャパンフェアに出店することになった。日本から栗蒸し羊かんや、どら焼きなどを持って行き、展示会で行ったように、茶道の主菓子などにも使われる練り切りづくりのデモンストレーションを行った。あんこを初めて見るシンガポールの人たちに和菓子を受け入れてもらえる努力をしようと考えたからだ。

ジャパンフェアでは、デモンストレーションを見ようとする人だかりができ、盛り上がりをみせた。日本のお菓子は珍しいようで、さまざまな人がブースに訪れた。期間中に何度も足を運んでくれる人や、毎日購入する30代、40代の女性会社員も多いという。1回のデモは2時間くらいで、1日に2回開催しているが、中には毎日来店しデモンストレーションを見た後に練り切りを1個だけ買うファンもいるという。練り切りの値段は1個5ドル。現地の通常の菓子が1ドル程度で販売されていることを考えると高級菓子に属する。しかし、試食をせずとも買い求める人が後を絶たないという。

一方、どら焼きなど日本から持っていく商品については、試食販売を行っている。初回は全く売れなかったが、回を重ねると売れるようになった。3回出店したことで分かった事は、彼らは自分の印象に残らない菓子は手に取ることすらしないということ。当初、どら焼きは「パンケーキのような皮でできたもので、焦げ茶色の皮をしたどら焼きなんて美味しくない」と思われていたという。しかし、試食販売に注力すると食べた人の多くが買ってくれた。初回こそ売り上げは伸び悩んだが、3回目は1回目の売上の1.5倍となり、目標をクリアすることができた。

地元レストランやホテルとも契約

現地の人たちからも好意的に受け入れられる巌邑堂の和菓子の数々

現地の人たちからも好意的に受け入れられる巌邑堂の和菓子の数々

百貨店でのジャパンフェアには、コンサルタントや外食関係者も来店するという。そのフェアでの出店をきっかけに、地元の日本食レストランと契約することができた。現在は2週間に1回、日本から和菓子を送っている。外資系の一流ホテルとも商談が成立し、年に何回か開催される日本食フェアの菓子部門を担当させてもらえるようになった。ホテルでは、日本料理のフェアが開催される時にデザートとして提供し、レストランではビュッフェのフィンガーデザートとして提供する。企画から商品提供までのすべてを任されている。

レストランのビュッフェでは、季節感を演出する和菓子などを提供しているという。2軒のレストランとホテルには、冷凍で商品を送っている。こうした現地企業との契約は、百貨店のフェアに出店した当初から狙っていた展開であり、毎回出店しながら、外部との契約を進めるようにしている。3回目の出店時は、契約しているレストランやホテルでの仕事も並行して行った。シンガポールでのビジネスは確実に広がっている。

弘守氏は、次はシンガポールでの常設店舗を考えている。しかし、常設での成功は難しいと言われるため、タイミングを見計らっているところだ。インドネシアの首都ジャカルタへの出店の話もあるが、日本での足元を揺るがすようなことになってはいけないと考え、慎重に検討を進めているという。

海外では騙されることも多いと聞く。最初の条件は良いが、実際に取り引きを始めるとトラブルになることが多い。パートナー探しはとくに慎重に考えなければならない。食事に行くなどの交流を重ねて相手を見極め、信頼関係が築ける確信を持てた人とビジネスをしている。

現地の人がおいしいと思う和菓子づくりを

巌邑堂は現地の素材を使いつつ、和菓子のベースを生かした商品づくりを展開していく

巌邑堂は現地の素材を使いつつ、和菓子のベースを生かした商品づくりを展開していく

弘守氏は、シンガポールでのジャパンフェアやホテル、レストランへの商品提供を続けることで、ようやく現地の人たちの好みや感覚をつかめてきたという。これまでは、和菓子を通じて日本文化を伝えることを第一に考えていたが、回を重ねるごとに相手に合わせ、「現地の人たちがおいしいと感じる和菓子をつくりたい」と思うようになった。今では、「彼らが直感的に買いたくなるような菓子をつくりたい。食べ方やシーンの提案もしたい」と考えている。あと2、3回ほど百貨店のジャパンフェアでテストして、シンガポールでの方向性を決めたいという。

和菓子職人の弘守氏は、現地の素材を使ったさまざまな和菓子のイメージができるという。最近のジャパンフェアでも、すでにいくつかの商品を地元のし好に合わせ提供している。その土地の素材を使いつつ、日本の文化ともいえる和菓子のベースを生かした商品をつくりたいと考えている。

夢であるニューヨーク進出は、8年以内に実現したいと考えておりスタッフにも伝えている。8年後は巌邑堂の創業150周年にあたる節目の年だ。夢へのチャレンジが巌邑堂のさらなる歴史を刻むだろう。

企業データ
会社名 株式会社巌邑堂
代表取締役社長 内田弘守
所在地 静岡県浜松市中区伝馬町62
業種 和菓子製造販売
掲載日:2014年1月29日


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