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闘いつづける経営者たち


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03.経営のことを本気で考えてくれる社員ができた−改革するなら今しかない

成長の鈍化―時代の息吹を肌で感じ活かす

「当時の日本は女性がいきいきと働ける社会ではなかった」― 1972年以降、派遣というワークスタイルを日本でスタートし、埋もれがちだった女性のスキルを活かす道を切り拓いた篠原。

自身の会社においても当時、終身雇用・年功序列時代のフレキシブルな働き方を担っていた女性たちが参集し、優秀な派遣スタッフは社員へとキャリアアップしていった。必然的な女性ばかりの組織。だがその女性たちがテンプスタッフの成長期を支えた。「女性のパワーって凄い」。篠原自身も驚くほどだった。

しかし経営が軌道に乗り業容が急拡大していくとそうとばかりは言っていられなくなった。80年代に入ると派遣システムが社会に浸透し始め、首都圏以外からもリクエストが入るようになる。

そのニーズに応えるために81年からスタートしていた拠点整備が85年以降、本格的に始まった。テンプスタッフ全国ネットワーク網の構築である。

そして86年、労働者派遣法の施行に伴い、派遣は原則自由化され、世の中からもワークスタイルの一要素として重要な地位を占めるようになる。地場、外資入り乱れての過当競争時代の幕開けだった。

しかし拠点展開を進める一方で、同社の売上げは確実に鈍化し始めていた。「何かがおかしい。売り上げが伸びない」。篠原は派遣オーダー数を見つめながら、その危機的状況を静かに肌で感じていた・・・。

男性社員を採用し始めた87年頃。現状分析に問題点、対策と論理的に進める男性社員の働き方に篠原は圧倒された

第二の創業―男性社員の採用で大改革を断行

支店、売上が順調に伸び、創業から16年目の88年、テンプスタッフは「従業員100名で年間売上高100億円」企業に達した。しかしその成長の背景には篠原流の大きな改革の存在があった。

気がつけば創業来、派遣スタッフ、社員もすべて女性。社内の風通しがいい分、テンプスタッフには明確な戦略や維持・効率に沿った組織構造もなければ売上目標もなかった。

売上げの鈍化が著しくなると、これまで感じなかった守りの社風が違和感に変わった。

「男は攻めに強く、女は守りに強い」「男は理論でコミュニケーションを図り物事を決めるが、女は感性でコミュニケーションを図り意思決定する」と言われる。

創業当初から懇意にしていた女性税理士からは「女性ばかりの職場ではあまり売り上げ、利益は口にしない方がいい」とアドバイスされていた。

経営者であるかぎり、売上や実績など数値には敏感にならざるを得ない。しかし女性ばかりの時代は「決して口には出さなかった」という。だが、ニーズの拡大、高品質のサービスレベルを支店拡充が補うという2つの要素があって支店網は拡大していく。兵站線が延びるに従いコスト管理も不可欠になっていた。

女性だけの会社に限界を感じた篠原は大胆な改革に着手する。それは現状打破の糸口として求めた男性社員の正式採用だった。創業から15年目のことだ。

一般的に目標やビジョンを明確にし、組織的に動くといわれる男性。一方で守りに強くこれまでのやり方に固執する女性。社内は混乱した。しかし明らかに組織は活性化した。

「会社の成長には男性と女性の力の融合が必要。伸びる時期に男性のパワーの必要性を実感しました」

篠原は一気に動いた。翌年から男性社員を積極採用し、中途採用も含めて1年間で30名が入社した。創業来の気心の知れた女性店長をバックオフィスに移し、最前線の店長に若手男性社員も抜擢した。女性店長やベテラン女性社員からの激しい抵抗、反発が相次いだ。それを説得しての断行だった。

ある時、男性社員数人が篠原に対して「受け入れられなければ辞める覚悟で来た」と、経営上のことで直談判を求めたことがあった。これまで一人で考え、悩み、判断してきた篠原にとって「経営のことを本気で考えてくれる人ができて嬉しかった」という。

「正直、自分が男性社員を活かせるとは分からなかった」と振り返るが、男性と女性の板ばさみになりながらも「今しかない。今、変革し効率的な組織へ変えなければテンプスタッフの将来はない・・・という危機感だけでした」

戦略的な組織を作り、目標を設定し、人事、給与のすべてを見直したという。テンプスタッフ、第二の創業である。

男と女―それは補完しあうもの

篠原は創業来、そして古稀を過ぎた現在でも、社長室を持たず社員とともに大部屋で過ごす。得意先にも支店にも気軽に顔を出す。

それは「今という時代を五感で感じ、日常のコミュニケーションの中に相手の悩み、潜在ニーズなどを肌で感じ取れる」ことを体得し、それを次の一手に活かしてきたからに他ならない。バーチャルビジネス全盛の今、真のエクセレントカンパニーのリーダーは皆、三現(現物、現場、現実)主義を大切にし、雑談を尊び喜んで実践している。

「男性の経営者は大きな企業をつくるが、規模を拡大する前に倒産させてしまう人が多い。だが女性経営者は大企業を育てるケースは稀だが、なかなか倒産しない」―この言葉に篠原は共感する。

男性は夢を追い、理想を掲げて実行に移すが高すぎて無理をし、齟齬をきたすケースが多い。しかし女性は今を一生懸命に生きようとし、明日に気を配り、不安があれば土壇場でUターンもする。

篠原も35年の社歴の中で女性経営者らしい3つの大きな決断をしたことがある。その英断は今日のテンプスタッフを作ったともいえる出来事である。

感覚的にYesとNoを判断できる

1990年代初頭、世の中は株式公開ブームの中にあった。順調に業績を伸ばしていたテンプスタッフも、男性幹部が中心となって株式公開プロジェクトチームが動き出していた。全ての条件がクリアされ、いざ上場の直前になって篠原の決断が上場を回避した。「やっぱりやめる!」

一抹の不安が篠原の琴線に触れた。

「役員たちの公開したいという気持ちに歩調を合わせていました。でもまだ労働者派遣法は未整備。結果的に時期尚早と判断しました」

計画変更は社内に亀裂を生み、幹部3名が会社を去って行った。それから約10年後の06年、同社は東証一部上場を果たす。

97年、登録スタッフの個人情報が外部に漏洩した。外注先のシステム開発会社の社員が不正に外部に持ち出したものだった。

全営業を停止し、緊急対策本部を設けて原因究明と社内体制の見直しを図った。また情報統括室を新設し、再発防止システムの構築・徹底を進めるなど、情報セキュリティガバナンスの確立にいち早く取り組んだ。

創業時の会社(営業)パンフレット。オーストラリアで話しを聞いた派遣会社のものを真似て作成した

「会社の存続を揺るがす一大事。できることはすべてやりました。でもこの経験で多くのことを学び、ひと回り強くなったと思います。ピンチはチャンスでもあるんです」

そして本社ビル構想。80年代の後半、上昇気流に乗りバブル経済の真っ只中。不動産投資をしない会社の方がおかしいという風潮の中、同社にも本社建設の構想が持ち上がる。投資額は約50億円、全額を銀行が融資するというものだった。

物件も決まり最終調整の段階。篠原は考えた。

「ブームに乗っていいのか、見栄の経営になっていないか。これからの支店展開や広範なサービスも投資余力がなければ成長できない。リスクを取れるのか・・・」

契約日の前日、悩んだ挙句「この期に及んで計画ストップは困難です」という男性担当者を振り切って自ら銀行に赴き、契約を破棄した。「これだから女性は・・・と3時間お説教されました」。

その直後、不動産の大暴落が始まった。篠原は「ヤドカリ経営」と称しているが社業の拡大に合わせて本社オフィスを住み変えてきた。

創業期の「いつ倒産してもおかしくない」苦境を乗り越えてきただけに篠原の心の中には1つの気構えが内在している。

社員とその家族が路頭にまよわないよう全社員1年分のキャッシュは用意しておく。常に少人数で精鋭に心掛ける。そして「身の丈経営に徹する」。売上高が2,000億円を超えても、なお篠原の経営哲学は変わっていない。

篠原 欣子 プロフィール

1939年神奈川県横浜市に生まれる。1953年高木商業高校卒業後、三菱重工業(株)等を経て、スイス、イギリスに留学し、語学、秘書学を学ぶ。1971年オーストラリアに渡り現地のマーケティング会社、ピーエーエスエー社に社長秘書として入社。1973年同社退社後帰国し、人材派遣会社テンプスタッフ株式会社を設立、2006年東京証券取引所第1部へ上場。(社)日本人材派遣業協会理事、財務省「参与会議」メンバー等を務める。米国「フォーチュン」誌による「世界最強の女性経営者」に7年連続でランクイン。その他受賞歴多数。著書に「探そう。仕事の、歓びを。」などがある。

企業データ

テンプスタッフ株式会社

〒151-0053
東京都渋谷区代々木2-1-1 新宿マインズタワー
TEL.03(5350)1212(代表)

事業概要:一般労働者派遣事業、有料職業紹介事業、保育事業など
設立:1973年(昭和48年)5月
資本金:9億7600万円
連結売上高:単体 2,454億円(08年3月期予想)
連結従業者数:2,632名(07年9月末)


掲載日:2008年3月25日


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