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闘いつづける経営者たち


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02.新しい働き方をわかってもらいたかった

支払日が近付くと資金繰りが心配で鼓動が激しくなることもあったという篠原。しかし派遣の依頼が増えるとスタッフも増えるという好循環で、日々、会社が成長していることを実感できたという

戦後GHQが人材派遣を認めなかったことから長い間、派遣業は正式に認められることは出来なかった。

大きく変化したのは従来、アルバイトやパートと呼ばれていた非正規労働の形態が拡大した1986年の労働者派遣法の施行である。

その後、バブル崩壊、“失われた10年”のリストラの嵐、労働の流動化がさらに加速、同時に「必要なときに・必要なスキルの人材を・必要な人数だけ」―人材のジャストインタイム化が進み、不況に強い体力づくりの思想の普及も相まって派遣業は活況を呈することになる。

今は昔、テンプスタッフの創業期は苦闘の連続、そこから現在に受け継がれる数々のDNAが生まれている。

オイルショックの半年前の1973年5月、テンプスタッフは起業した。その少し前から第二次の外資ブームが起きており、派遣という働き方の考えは篠原がターゲットを絞った外資系企業から理解されていった。そして商社へ・・・・。

「明日からタイピストを」「出来るだけ早く秘書技能を持ったスタッフを」−ニーズは予想以上に高かったという。

「私が日本最初の派遣業」と篠原は思っていたが、外資のマンパワー社がすでに先行していた。そこでの経験者が双方に登録し始めていたのだ。



クライアントやスタッフの「ありがとう」に支えられる

派遣業の難しさは得意先のニーズ(スキルのレベルや人柄など)にマッチしたスタッフをいかに集めるかにかかっている。幸い篠原の海外での就業経験が大いに役立つことになる。

得意先の人事部との打ち合わせでどんな人材を必要としているか、また職を求めてきたスペシャリストのレベル、要求、誇り、悩みがすぐ理解できたという。

それは「両者の声を誠実に傾聴し、その声に応えることから生まれてくるもの」と述懐する。この心構えはその後、社員にも受け継がれ同社の社風となって広がっている。

とはいえ徒手空拳で始めたビジネス、まもなく大きな壁に突き当たることになる。資金繰りの問題だ。

派遣ビジネスは、派遣スタッフに給与を支払った後、派遣先に費用を請求する。例えば、入金は月末締めの翌月払いだと、そのタイムラグが資金ショートを起こす。だから仕事が増えていけばいくほど資金も不足する。

自立を心に誓ったもののほどなく万策が尽きた。自分の給与を運転資金に回す日々が続く。母親から時おり送られてくる数万円程度の生活費と食ベ物が無給の篠原を支えるようになった・・・。

そんななか「母が新聞の求人広告を切り取って送ってくれ始めたんです。よく考えてみると求人を出す企業は派遣ビジネスの有望な営業先であるということを示唆していたんです(笑)」。

母親からの求人情報の切り抜きは創業直後から15年ほど続いたという。ほとんど無給だった5年間を含め、篠原には目に見える物質的な支援だけを良しとしない母親の優しさと厳しさ、そして強さを味わった時期だった。

一方で当時は派遣業は認められていない時代。労働省に呼ばれ、職業安定所から違反の指摘を何度も受けた。打ちひしがれて帰ってくると、クライアントやスタッフからは「また、ぜひお願いします」と頼まれた。

葛藤する自分がいる。しかし「自分を必要としている人がいる。そうした人々の声に応えたい。やらなきゃ」と奮起した。クライアント、スタッフ、そして母・・・、たとえ無給で行政から認められていないビジネスだとしても、それらみんなの気持ちが篠原の仕事を続ける原動力となっていた。

評判がシナジー効果を生む

創業から3年が経過する頃から会社の実績もでき、金融機関の信用も得られるようになった。「国民金融公庫から300万円の融資を受けて一息つけました」というように、ここを節目に会社が好転し始める。6年目の79年には5台の電話は1日中鳴りっぱなし、月商は6,000万円、1億円と業容は一挙に拡大、波に乗る。

そして81年の横浜支店の開設を皮切りに大阪、札幌、名古屋、新宿、銀座、渋谷と、立て続けに戦略的サービス拠点の拡大を図っていった。

テンプスタッフは創業から15年間、派遣スタッフはもちろん社員全員が女性という構造だった。女性の感性、持続力を生かして会社を守ってきたのだが、これが後に思わぬ会社の危機をもたらすことになる・・・

派遣業はある意味、レピュテーションビジネスといっても過言ではない。口コミが評判を醸成し、その会社を強くし、大きくする。

「お客様を大切に、派遣スタッフを大切に。お客様に信頼され、派遣スタッフに頼られるテンプスタッフでなければならない」−創業期の苦しみを経験する中で自然と出てきた篠原の言葉だった。

車メーカーのホンダには「買って喜び・売って喜び・つくって喜ぶ」という創業者・本田宗一郎以来の“3つの喜び”というコーポレートポリシーがあるが、テンプスタッフの場合をこれになぞらえると「お得意先・派遣スタッフ・社員を大切に」の“3つの大切”のポリシーということになる。

CS(顧客満足)の向上は経営の基本だが、派遣業は二重の顧客の満足を同時に追及しなければならない。受け入れ企業と派遣スタッフだ。そこに微妙な舵取りのノウハウが要求されることになる。

類は友を呼ぶ。評判はシナジー効果を生む。種々のスキルをもった人材が篠原の元を訪れるようになり企業からも即戦力の人材がもっとほしいと要望が舞い込むようになった。

その成功を見て後に続く企業が相次いで設立される。同業同士の交流も活発化する。先行していたマンパワーだけでなくスイスのアディア・ジャパン(現アディコ)など外資の日本参入も相次ぐことになる。

1986年7月、世の趨勢に抗し切れず(外圧などもあり)、国は労働者派遣法を制定、規制緩和の第一歩を踏み出さざるを得なくなる。そしてこの波を受けて派遣業界は「協調」から「競争」の時代に突入することになる。

篠原 欣子 プロフィール

1939年神奈川県横浜市に生まれる。1953年高木商業高校卒業後、三菱重工業(株)等を経て、スイス、イギリスに留学し、語学、秘書学を学ぶ。1971年オーストラリアに渡り現地のマーケティング会社、ピーエーエスエー社に社長秘書として入社。1973年同社退社後帰国し、人材派遣会社テンプスタッフ株式会社を設立、2006年東京証券取引所第1部へ上場。(社)日本人材派遣業協会理事、財務省「参与会議」メンバー等を務める。米国「フォーチュン」誌による「世界最強の女性経営者」に7年連続でランクイン。その他受賞歴多数。著書に「探そう。仕事の、歓びを。」などがある。

企業データ

テンプスタッフ株式会社

〒151-0053
東京都渋谷区代々木2-1-1 新宿マインズタワー
TEL.03(5350)1212(代表)

事業概要:一般労働者派遣事業、有料職業紹介事業、保育事業など
設立:1973年(昭和48年)5月
資本金:9億7600万円
連結売上高:単体 2,454億円(08年3月期予想)
連結従業者数:2,632名(07年9月末)


掲載日:2008年3月18日


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