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闘いつづける経営者たち


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01.一生の買い物が「一式いくら」でいいはずがない

住宅革命!家づくり適正価格の生みの親

姉歯建築設計事務所の構造計算書偽造問題(耐震偽装問題)に端を発し、住宅建築にからんだ偽装が相次いで明るみになったことは記憶に新しい。

すでにマイホームを持っている人や、これから計画しようとしている人のみならず、世の多くの人々が住宅建築は手抜き工事などがしばしば問題になるように不透明な業界だったのか?コスト管理もあいまいなのか?と、その悪い噂に驚きと疑念を抱いたことだろう。

しかし住宅建築の単価を細かく分析、コスト・工数を透明化し、“日本の住まいを安くする”に挑戦し続ける男がいる。アキュラホームの宮沢俊哉だ。

「お客さんにとって一生の買い物が「一式いくら」でよいはずがない」―この信念のもと、住宅業界の(悪しき)常識を次々と破壊し、真の安心の家づくりを提唱してきた。

そして自らのノウハウを全国の工務店に提供し、同社が主宰する全国約600社のホームビルダー集団「ジャーブネット」とともに07年、「家づくり適正価格」を宣言。いまや宮沢の思想は全国に広がっている。

3代続く大工の家系

宮沢は祖父、父と続いた大工の家系。中学を出て大工の修行を始めた。独立後、修繕、建売住宅の下請け、デザイナー住宅、プレハブ、輸入住宅と、あれこれ手を出しては見切りをつけるということが続いた。


祖父・宮沢留吉氏。神社仏閣を手掛ける宮大工。大変腕のいい職人で、葉山の御用邸が改築された時は竣工検査に参加するほどだった

祖父・宮沢留吉氏。神社仏閣を手掛ける宮大工。大変腕のいい職人で、葉山の御用邸が改築された時は竣工検査に参加するほどだった

そして行き着いたのが「当たり前のことを当たり前にやれば、在来工法が一番」。出発点に戻ったわけだが、当たり前のことをやろうとする宮沢の前には、古い業界の体質や各種の規制が立ちはだかった。

しかし、それを支えたのは「当たり前」の住宅を求める最終ユーザーだった・・・。

1枚のモノクロ写真がある。写っているのは宮沢留吉。神社仏閣を手掛ける宮大工で宮沢俊哉の祖父だ。大変腕のいい職人で、葉山の御用邸が改築された際には、この祖父が工事の検査を担当したほど。

祖父は東京・杉並で地元に根ざした工務店を営むかたわら宮内庁の仕事にも携わった。それが宮沢家の自慢であり、宮沢自身の原点にもなっている。

宮沢の父も大工だった。宮沢家のあった東京・杉並は光化学スモッグの発生頻度の高い地域。母が光化学スモッグで体調を壊し、その影響で家族は母の実家の山梨・上野原へ移住、そこで工務店を営むことになる。宮沢が2歳のときだ。

アキュラホーム30周年の集大成として発売した「OPTIS(オプティス)」シリーズ。いつまでも長く暮らせる200年住宅と安心品質がコンセプト

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母の実家で家を建てたときのこと。祖父が大勢の大工を連れて応援にきた。

「そのときの棟上げの指揮を執る祖父と父の姿が今でも強烈に脳裏に焼き付いています。かっこよかったですね」

宮沢にとっては、事あるごとに上棟式での祖父のはっぴ姿が鮮明に蘇るという。

上野原の宮沢家は若い大工が住み込みで修業していた。そんななかでは宮沢は末弟という感じだった。大工たちと寝食を共にする生活が続いた。

他人の飯を食え

小学校3年のとき、宮沢は2階建ての家を建てた。

「ちょうどタタミ一畳よりちょっと小さめのスペースに、子供が入って遊べるサイズの2階建てです。階段も作りましたよ(笑)。当時、下小屋と呼ばれる作業場に半端材と古い道具が置いてあって、これを使って夏休みの間に作り上げました」

いまでも時間に余裕ができれば現場に出向くという宮沢。このときばかりは経営者から大工の目にかわる

いまでも時間に余裕ができれば現場に出向くという宮沢。このときばかりは経営者から大工の目にかわる

家づくりが楽しく夢中だったので忘れていたが、完成後になって勝手に道具を使ったことが知れたら父にしかられることに気付いたという。

「でも父はなぜか、なかなかやるなと褒めてくれました」

棟梁だった祖父や父へのあこがれ、若い大工に囲まれた生活、そして決していたずら心ではなく自然と作ることに自分を駆り立てた家・・・。

宮沢は幼心にも大工を天職のように感じていた。しかし「巨人の星」を愛読する宮沢少年の夢は「プロ野球の選手」だった。

宮沢が大工になると決めたのは中学3年になってから。中学8クラスの中で就職するのは4、5人だったが、宮沢は迷わず大工の道を選んだ。


中学1年のとき母が亡くなり、また工務店の仕事も縮小していたこともあって、幼いころから大工の世界に触れてきた宮沢には、手に職をつけるなら早いほうがよいと考えた。

それに「職人は他人の飯を食え」という教えも、もはや特別なことではなかった。親父の後を継ぐというよりは、まずは同業の他の親方のもとで修業することが当たり前の世界、当然のしきたりだった。

埼玉県の工務店に住み込みで入り、宮沢の大工修行が始まる。1974年、宮沢15歳のときだった。

宮沢 俊哉 プロフィール

1959年、東京都生まれ。中学校卒業と同時に埼玉県の工務店で大工修行を始める。18歳にして新築住宅一棟を手掛けるようになるものの工務店の倒産で独立。19歳で「都興(みやこ)建設」を創業し、家屋の修繕・リフォームを手掛ける。1981年、「(有)都興営繕」を設立し、一般ユーザーを直接対象にしたリフォーム業で成功を収め、1986年に新築住宅部門「(株)すまいの都」を設立。同年、住宅建築の合理化システム「アキュラシステム」の前身となるコスト分析をスタート、坪単価21万円の自由設計による注文住宅「M21」を開発し、大ブレークする。1989年、輸入住宅専門会社「(株)ノースアメリカンホームズ」を設立するが「適正価格・高品質でお客が納得できる家」という原点に立ち返る。91年、「(株)すまいの都」を「(株)アキュラホーム」に社名変更し、96年に「(有)都興営繕」、「(株)ノースアメリカンホームズ」を吸収合併。自社の合理化ノウハウをアキュラシステムとして成熟させ、全国2,400店の工務店に公開。1998年、全国600店もの工務店連合「JAHBnet(ジャーブネット)」を主宰。著書に「住まいづくり、第三の選択(現代書林)」「安くて納得のいく家を建てたい(ダイヤモンド社)」などがある。

企業データ

株式会社アキュラホーム

〒163-0234
東京都新宿区西新宿2-6-1 新宿住友ビルディング34F
TEL.03-6302-5001(代表)

事業概要:住宅事業、工務店支援事業、研究開発事業
設立:1981年(昭和56年)5月
資本金:9,314万円
売上高:204億円(08年2月期)
従業者数:594名(08年3月末)


掲載日:2008年4月10日


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