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闘いつづける経営者たち


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01.目指しているのは「すごい会社」ではなく「必要だ」と求められる会社、そして人づくり

いまを成功させる努力を続けてきた

ジャパネットたかたほどトップの存在が大きな企業を知らない。創業から20年で町のカメラ店を年商1,000億円企業に急成長させた高田明は、社員にとって憧れや尊敬の対象であるとともに、ブランドを際だたせるキャラクターの“顔”でもある。

その高田も11月には還暦を迎える。社員数は300人を超え、高田への求心力に裏打ちされたフェース・ツー・フェースの家族的な経営は曲がり角が近づいている。

最大の経営課題は高田明というパーソナリティに依存した企業価値を、時の試練に耐える形にどう普遍化していくかだろう。

ジャパネットたかたは、どこへ向かおうとしているのだろうか−。高田は最近、採用活動で若者にこう説いている。


「若い頃から何十年後に何になろうなんて決めてかかる必要はありません。年を重ねないとわからないことはたくさんあるし、人との出会いで状況が変わることもあります。自分の立ち位置を決めてしまったら、そこから抜けられなくなってしまう。その時点で自分が好きなこと、没頭できることを見つけて、自分にあったペースで最善の努力をすればいい。他人と自分を比較しないことです。そうして日々の努力を積み重ねていけば、必ず次のステップが見えてくるものなのです」


学生時代から英語に熱中していた高田。阪村機械製作所時代には機械の売り込みでヨーロッパ諸国を飛び歩いていた

学生時代から英語に熱中していた高田。阪村機械製作所時代には機械の売り込みでヨーロッパ諸国を飛び歩いていた

回り道をしたって構わない

立ち位置を決めない生き方は、高田の人生の軌跡そのものである。大阪経済大学を卒業後、京都の阪村機械製作所に入社。英語力を買われ欧州駐在を任されるも、大学時代の友人から翻訳事業の会社を一緒に立ち上げないかと誘われ、3年であっさり退社してしまう。

しかし計画はすぐに立ち消えに。やむなく故郷の平戸に帰り、父親が始めたカメラ店を手伝うようになった。今では通販ビジネスの風雲児と呼ばれる高田だが、企業家としての第一歩は本人も“想定外”のものだった。

高田は気ままで衝動的に見える生き方を少しも悔いている様子はない。

「写真の仕事を始めて二週間もしたら、欧州での暮らしや翻訳のことは100%忘れてしまった。きれい事に聞こえるかもしないが、まずは現状を受け入れたこと。そして夢や目標はどんどん変化しても情熱を持ち続け、その時点でベストを尽くしてきたのがよかったのだろう」

創業者に求められる才覚とは、役者が人生の曲折を芸の肥やしにするように、人間の総合力ともいうべきものだろう。高田の生き方の一端にふれ、米アップル創業者のスティーブ・ジョブズを思い出した。

ジョブズは大学を中退して飾り文字を勉強したが、その「寄り道」がなければマックに美しいフォント機能は存在しなかった。ジョブズはこう述懐している。


高田が経営していた「カメラのたかた」4店舗のうち、現存する1号店の佐世保市三川内店。1986年当時、1台800万円もする最新現像機を全店にいち早く導入、わずか30分ほどのプリント仕上げをウリにすることで地域ナンバーワンのDPE・カメラ店に上りつめていった

高田が経営していた「カメラのたかた」4店舗のうち、現存する1号店の佐世保市三川内店。1986年当時、1台800万円もする最新現像機を全店にいち早く導入、わずか30分ほどのプリント仕上げをウリにすることで地域ナンバーワンのDPE・カメラ店に上りつめていった

 

「未来に先回りして点と点を繋げてみることはできない。バラバラの点であっても将来何かの形で必ず繋がると信じることが大事」−。高田にとっても一見脈絡のない生き方から体得した豊富な人生経験こそが、現在を支える貴重な財産になっているようだ。

他と比べることはしない
ー自分のスピードで成長していく

家業のカメラ店では、カメラ販売・写真プリントのほかにホテルと契約して観光客の撮影にも手を広げた。ホテルの宴会場に通い詰める日々は40代まで10年以上に及んだ。

宴会で盛り上がっている宿泊客を撮影し深夜までかけて現像・プリント。翌朝は子供を近所に預け、朝6時に再びホテルを訪ね朝食の席に写真を並べて帰ってくる。

「子供から、あの時は構ってもらえず寂しかったよ、とポツンと言われたときはショックでした。でも子供たちはしっかり育ってくれている。人から随分苦労されたのでしょうね、といわれても苦労と感じたことはなかった。そこは気持ちの持ち方もあるし、自分が好きでやってきたことですから」と、高田は当時を懐かしそうに振り返る。

立ち位置を決めない生き方は経営姿勢にも現れている。年商1,000億円企業にあってはにわかに信じがたいことなのだが、売上高や成長率の目標を掲げるようになったのは今年度からという。それもあくまで社内目標であって社外には公表していない。

高田は売り上げ目標を社外に公表しない理由をこう説明する。


高田は「モノを売るだけではなく、買う楽しみを提供したい」と、番組中に視聴者からの写真を募集・紹介するなど視聴者参加型の企画を取り込んでいった

高田は「モノを売るだけではなく、買う楽しみを提供したい」と、番組中に視聴者からの写真を募集・紹介するなど視聴者参加型の企画を取り込んでいった

「売り上げ至上主義になり、社員の成長や品質など大事なものが見過ごされてしまう恐れがあります。企業も個人と同じで、自分にあったスピードで成長することが大事。だから株式上場も考えていません」

身の丈にあった背伸びをしない経営。臆病なほどに慎重な高田の一面がのぞく。

本社のある長崎県佐世保では古くから「佐世保独楽」が遊び継がれている。八面体をした独楽の先端には剣(けん)と呼ばれる鉄が打ち付けてあり、その勇壮さは喧嘩独楽の趣がある。高田がこれから闘わなければならない相手は、通販業者や家電量販店だけではない。

高田を剣に唸りをあげて回転するジャパネットたかた自身の、事業拡大に伴って複雑・多様化する経営リスクではないだろうか。

「企業は世の中から必要とされ、長く続いてこそ価値がある」。その言葉には高田の次代に向けた切なる思いが凝縮されている。


高田明プロフィール

1948年、長崎県生まれ。県立猶興館高校から大阪経済大学に進学。在学中に鍛えた語学力が認められ、卒業後は京都の阪村機械製作所で3年間、欧州駐在員として海外赴任を経験する。1974年、故郷の平戸に戻り実家のカメラ店を手伝いながら、1986年には佐世保で「ジャパネットたかたの前身」となる「株式会社たかた」を設立、ソニーショップとして分離・独立する。出演したラジオショッピングでの売り上げの大きさに驚愕し、1990年にラジオ通販事業に本格参入。91年にはラジオショッピングの全国ネットワークを完成させ、3年後にはテレビ通販事業にも乗り出す。1999年に現社名に改称し、2000年にカタログ通販事業とインターネットによるオンライン通販事業をスタートさせ、日本全国をカバーするメディアミックス事業の体制を整える。チラシや紙媒体に加え、佐世保市内に構えた本格的テレビスタジオですべての番組を自社スタッフで制作、全国配信する徹底した自前主義が特徴。

企業データ

株式会社ジャパネットたかた

〒857-1197
長崎県佐世保市日宇町2781
TEL.0956-26-1300(代表)

事業概要:通信販売業
設立:1986年1月
資本金:1億円
売上高:1,161億円(07年12月期)
従業者数:345名(08年1月現在)


掲載日:2008年7月30日


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