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闘いつづける経営者たち


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02.お茶への熱き思い結実

視界不良の船出

中国福建省の茶園にて(1979年4月)

中国福建省の茶園にて(1979年4月)

1964年12月に6代目社長の福井正巳氏が急逝すると、7代目社長に兄の福井正典会長が、専務に福井正憲社長が就任した。6代目の福井正巳氏は京都府上狛町長を務めるなど、地元の名士。影響力も大きく、「強烈なリーダーシップがあった」。そのためか、32歳と28歳の若き経営者に対し、事業の縮小を意見する人も多かった。福井社長は「だから『なにくそ』と思ってがんばった」と当時の心境を明かす。突然訪れた兄弟での会社経営は、視界不良の船出だった。

大口取引先の倒産で学ぶ

さらに悪いことは重なった。取引していた四つの大問屋の一つが放漫経営などの結果、倒産してしまったのだ。大口の取引先をなくすことは一大事だ。「私も営業に回った」と福井社長は懐かしむ。そこで痛感したのは顧客との人間関係や信頼関係の大切さだった。振り返ってみると「父は若い問屋さんをかわいがっていた。それが、のちに大きな成功につながった」。また「売り買い平等の原則」を見いだすことにもなる。それは、売る人も買う人も平等ということ。「あまりにも顧客の言うことを聞きすぎるとだめ。自分は自分の道を選んでおかないと。そこでお互いにメリットを求める」。意見の違いを認め合いながら、ビジネスを進める。それは、自社製品への自信の表れでもあった。

直売店拡大の理由

本社工場の外観

本社工場の外観

業容拡大も進めた。お茶の産地は卸売りが専門という時代が変化していた。「父の時代に直売店と百貨店への出店がそれぞれ1、2店できた」。6代目が先鞭(せんべん)をつけた直売店は、駅周辺の再開発の流れにも乗って加速し、「一時は170から180カ所に出店できた」という。その勢いについて福井社長は「(地域的な)ハンディキャップがあったがため」と言い切る。大都会なら地場である程度のビジネスが成立するため、そこでの出店が優先されて欲もでないというのだ。福寿園は京都府南部の木津川市に本社を置く。「京都市で出店するのも北海道で出店するのも同じ」という発想だった。

ただ、根底にはお茶産地のプライドがあることを忘れてはならない。直売店以外では、例え福寿園がつくったお茶でも、あくまで小売店のブランドで販売される。「極端な話、良いお茶をつくってもブレンドされることもある」と嘆く。「生粋のお茶を飲んでほしい」。その思いは心の底からわきあがる。6代目は宣伝のため、京都駅にお茶の木を植えてほしいと提案に行ったこともある。「当時、宇治茶はまだ京都名物ではなかった」という。純粋に多くの人に宇治茶を理解してほしい一心だったに違いない。父子に共通する産地の心が、宇治茶を京都名物に育てた。

福井 正憲 プロフィール

1958年に福寿園入社。64年専務、79年副社長、90年社長。

企業データ

株式会社福寿園

〒619-0295
京都府木津川市山城町上狛東作り道11
TEL:0774-86-3901
事業概要:日本茶の製造販売
創業:1790年(寛政2年)
設立:1949年(昭和24年)
資本金:8600万円(平成22年11月30日現在)
売上高:130億円(10年2月期)
従業員数:700人(平成22年11月30日現在)


掲載日:2010年12月16日


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