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闘いつづける経営者たち


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01.ミキサー車1台からの出発

関東圏でトップクラスの生コンクリート販売会社、山一興産。柳内光子社長は創業時から経営を支え、建設業界で数少ない女性社長に就任して30年目を迎える。福祉事業の展開や浦安商工会議所の会頭など、幅広く活躍している。

原点は祖母と母の働く姿

柳内社長の生家は、農作業の傍ら建材店を経営していた。5歳の頃に父が戦争から復員したが、その5年後に病気で亡くなった。柳内社長は「戦後の激動の中に残された祖母と母が懸命に働く姿を間近に見たことは、私の仕事への姿勢に影響を与えている」と実感を込める。その母も高校生の頃に他界し、兄の内山甚一氏と二人三脚で建材店を切り盛りした。当時はコンクリートの需要が伸びていたが、建設現場に材料を搬入し、手練りする方法が一般的だった。これをあらかじめ練って生コンの状態で届けることを甚一氏がいち早く取り入れ、思い切ってミキサー車を買った。「今で言うところのベンチャービジネスだ。1959年、私が20歳の頃だった」と振り返る。

山あり谷あり

かつて山一興産は、ミキサー車を用いて生コンを建設現場に届けるというビジネススタイルで一気に事業規模を拡大した

かつて山一興産は、ミキサー車を用いて生コンを建設現場に届けるというビジネススタイルで一気に事業規模を拡大した

これが時代のニーズをつかみ、一気に事業規模を拡大した。「コンクリートの材料であるセメント、砂利、砂をそのまま販売すれば二束三文だが、生コンに加工すると当時の物価で6000円程度になった。1964年開催の東京オリンピックに向けた建設ラッシュで、ミキサー車は数年で10台以上になった」という。当時としては大型投資だったが、これを回収できるペースで成長し、1963年に内山コンクリート工業(現内山アドバンス)を設立した。
 しかし、需要が一巡すると不況が訪れて打撃を受けた。「66年頃、生コンの価格が4000円台に下落した。社長だった兄は廃業を決意し、土地売却などの準備を始めた。しかし、私は300年間続いてきた内山家を絶やしたくなかったため、兄に『もう少しがんばろう』と提案して、人員整理や資金繰りなどの実務を一手に引き受けた。やれることはすべてやった」と柳内社長は語る。 そうこうするうち、あるトラックの交通事故をきっかけに生コン材料の積載制限が厳しくなり、結果的に生コンの価格が上昇するという転機が訪れた。時を同じくして現内山アドバンス社長(山一興産会長)の柳内正基氏が技術部門に入社した。柳内は技術力を強みに、生コンの品質・コストの管理を厳密化し、現場ニーズに応じた供給体制を整えた。「こうして兄、柳内、私のトライアングルで、事業を再び軌道に乗せた」と振り返る。

製販一体の強み

1967年に千葉・花見川工場を建設し、柳内正基氏が工場長に就任した。生コンメーカーとして着実にシェアを伸ばし、1969年に現在の主力拠点である千葉・浦安に進出。政府の太平洋ベルトライン構想を受け、神奈川にもすそ野を広げた。柳内社長は「全体を振り返れば、苦しい時期のほうが多い。地味にこつこつと改善を積み重ねて、現在は関東で18工場を構えるトップメーカーになれた」と力を込める。
 大手系列の競合も多い中で、山一興産の強みの1つは製販一体だ。生コンを最適な形で売るために、1969年に販売会社の山一興産を設立。自社製品の販売まで見届けるという体制で成長した。現在も関東圏18工場で作った生コンを5つの営業拠点で販売している。 柳内社長は「無益なコスト競争には応じず、適性価格の理解を得られるよう取引先に説明を重ねた。経営者としての思いを地道に伝え、あきらめないことが重要だ。また長時間は運べない生コンの特性上、地域密着型の産業だ。良質な状態で現場に届かなければ使用できず、運送業の側面も強い。このため、現場の声を聞くことを徹底している。ミキサー車の運転手を尊重するなど、生コンが顧客に届くネットワーク全体を重視している」と強調する。

女性が活躍できる場を

「仕事には女も男もない。経営者としては対等だと考えている。ただ女性は非常にたくましい。日本の男性はもっと社会で女性が活躍できる場をつくるべきだ。この点、先代の兄も会長の柳内も私にさまざまなことを任せてくれた。会社をここまで続けられたのは、そのおかげだ。その代わり、誰にも頼らずに自分で責任を取る厳しさはある。柳内と結婚してからは家事・子育てと仕事を必死で両立してきた。外に出て仕事をすることが好きで、楽しい時も苦しい時も仕事が私を支えてくれた。同時に家庭円満を心がけ、その延長上に会社経営がある。社員に対しても、共に人生を歩もうという気持ちで接している」と、柳内社長の姿勢は揺るぎない。

柳内光子 プロフィール(やない・みつこ)

1939年東京都生まれ。1959年より生コンクリートの製造を始め、1963年に内山コンクリート工業(現内山アドバンス)、1969年に生コン・建設資材総合商社の山一興産設立を設立。地域密着型の製版一体サービスを確立した。1998年に社会福祉法人豊生会(現江戸川豊生会)を設立して福祉事業に参入し、現在は医療法人社団健勝会、学校法人草苑学園も運営。2004年浦安商工会議所会頭に就任。2007年藍綬褒章を受章。2012年渋沢栄一賞を受賞。

企業データ

山一興産株式会社

千葉県浦安市北栄4-20-10
業種:建設資材販売(生コンクリート、セメント、骨材 他)
資本金:5,000万円
売上高:505億円(2013年度)


掲載日:2014年4月10日


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