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闘いつづける経営者たち


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01.90年間、世の中に必要とされる企業

厳しい衛生管理が求められる医療機器。メス、鉗子などを清潔に保つために使われるのが滅菌装置だ。ウドノ医機では滅菌装置メーカーとして約90年の歴史を持つ。蒸気やガスを使い気密性の高い圧力容器で滅菌し、医療や産業に関わる現場を安全面で下支えしている。このウドノ医機を率いるのが2010年に実父から社長を引き継いだ、3代目社長の鵜殿直子氏だ。
 「久しぶりに、いいモノづくりに携わる人たちの顔を見せてもらいました」―。ある大手医療機器メーカーと面会したときに、幹部からかけられたというこの言葉が、常に直子社長の励みになっている。大手の参入や原材料費の高騰など逆風にさらされた苦しい時期に、この言葉で「自分たちの仕事は、確実に世の中に必要とされている」と励まされた。常に経営者としての心の支えとなっている。創業90年の重みと社会的使命を背負った3代目社長の宿命でもある。

最古の日本製滅菌装置

千葉県印旛村にある印旛医科器械歴史資料館に展示されている野戦用消毒器。ドラム缶を横倒しにしてタイヤを付けたような器械が最古の日本製滅菌装置と言われ、ウドノ医機のルーツだ。1924年に鵜殿工業所(現ウドノ医機)創業者の鵜殿広久氏が作ったのが最初と言われる。神奈川県浦賀のドックで医療船の点検工員だったが、滅菌装置の圧力構造を研究し、自身で製品化したと言われている。
 会社は戦時中にそれまでの東京都台東区から、工場疎開命令により、八王子市に移転した。当初は戦時用に消毒装置を手がけていたが、鉄不足により機械が作れない。立川市に中島飛行機(現富士重工業の前身)があった関係で、布を使った飛行機などさまざまな事業を広げた。暮らしも決して楽ではなかった。着物を米と交換してもらったり、電車で新宿の闇市に買い出しに行くなどしていたという。
 戦後からはそれまでの戦時用から病院用へ用途は変わり、滅菌装置の製造に戻った。このころ国内の医療用滅菌装置メーカーはウドノ医機と、ウドノを源流とする1社との2社。その2社でほとんどの国内シェアを占めた。

海軍検疫所に納品された「大型消毒器」

海軍検疫所に納品された「大型消毒器」

戦争直後は鉄不足が続いたものの、その後の復興と高度経済成長へと続くにつれて業績は堅調に伸びていった。当時は台数ベースで現在よりも多い、年間300-500台は出ていたのではないかという。また、海外で使われるものもあった。ODA(政府開発援助)でメキシコに輸出され、現地に取り付けにいったこともあった。


高度成長の波に乗り躍進

経済成長と合わせて病院用滅菌装置は需要が急拡大していった。「まず、扱う人が使いやすくしなければならない。また、機能は万全でも安全に使えなくては」。ウドノ医機はより使いやすい製品にしようと、デザインや機能、安全性の追求を始める。
 例えば装置の扉。放射棒と呼ばれ金庫と同じように両手で棒を回す方式だったが、扉が重く安全性に満足できなかった。これを無くし、扉を自動化したのはウドノ医機が最初だ。当時、スウェーデンの大手電機メーカー、エレクトラックス傘下のゲティンゲと交渉し、自動扉のライセンス契約を結び導入した。日本で初めて採用された自動式扉の装置は、飛ぶように売れた。重い扉の手回しは不要になり、品物の出し入れだけで済むようになった。
 また、技術革新により装置のコンピュータ化にも取り組んだ。それまでアナログで動いていたものを、圧力と温度をコンピュータで最適に制御できるようにした。今までにない電子部品を取り扱うようにはなったが、これらはすべて社内のスタッフで手がけた。生産、設計、製造現場のそれぞれを担当する現場には機械、電気を専門とする人員がそろってきたのもこの時期だ。
 このほか、滅菌装置の付帯設備の開発にも取り組んだ。自動搬入搬出装置は大阪大学医学部附属病院に2台納入した。滅菌物を手で運ぶ工程を全部オートメーションにしようと設計した。毒性の高い酸化エチレンガスによる被ばくリスクを抑え、安全性を高めた。
 現在でこそ経費節減の流れで大規模な自動機械の受注は減っているが、顧客ニーズにあった製品を提供するという精神は今も変わらず受け継がれている。

鵜殿直子 プロフィール(うどの・なおこ)

1961年生まれ。1983年に国士舘大学を卒業後、八王子市内の旋盤加工企業で1年間アルバイトし、機械加工技術や企業内部統制を学ぶ。1986年にウドノ医機に入社。2年間、製造や営業、メンテナンス、経理などを経験し1996年に専務、2010年に社長に就任。「社員資格取得推進による多能工育成」「見える数値化による業務改善」「それらによって得た利益を社員に還元する」をモットーとする。ビジネスでは「石橋を叩いて渡る」性格であるが、プライベートでは「超短気、せっかち」と自己分析。休日はもっぱら2頭の愛犬との散歩。愛犬たちとGT-Rに乗り、国内巡りをするのが将来の夢とか。

企業データ

株式会社ウドノ医機

東京都八王子市元横山町2-1-9
業種:高圧蒸気滅菌装置、酸化エチレンガス滅菌装置などの設計・製造・販売・メンテナンス
資本金:5,000万円
売上高:21億1,000万円(2013年8月期)


掲載日:2014年4月16日


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