本文とサイドメニューへジャンプするためのナビゲーションスキップです。

スタートアップガイド

J-Net21 中小企業ビジネス支援サイト

  • J-Net21とは
  • スタートアップガイド
中小機構
  • メルマガ登録
  • RSS一覧
  • お問い合わせ

HOME > 起業する > 闘いつづける経営者たち

闘いつづける経営者たち


画像をクリックすると拡大表示します

03.会社を取り戻す

夫であり現会長の恭輔氏とは運命の出会いだった

夫であり現会長の恭輔氏とは運命の出会いだった

河村勝美さんは、当時勤務していた病院に定期的に通院してくるある結婚相談所のオーナーの紹介で、ゼオライト社長(当時)の河村恭輔氏とお見合いをすることになった。
 「不思議と私の心が動いたんです。この人となら残りの人生を賭けてみようかなと思えたんです」
 勝美社長は優しくほほえむ。「会社が左前で、今のぼくには自信がない」と繰り返す恭輔氏は見るからに温厚、質素で出しゃばらず正直な人柄という印象だった。「故郷の父親に似ていた」(勝美社長)という。
 お見合いをした翌1984年の正月。松飾りも取れようとする1月8日、晴れて二人は結婚。博多の住吉会館で式を挙げた。

家族3人の日々

京都への新婚旅行から帰ってきた勝美さんは、いよいよ恭輔氏の妻として、またゼオライトの経営パートナーとして新しい生活を始めることになった。その頃、勝美さんが一番心を砕いていたのは、他ならぬ恭輔氏と先妻との間に生まれた一人娘のことだった。実の母親を病気でなくし、時に自暴自棄になりがちな娘だった。「私のことを初めて“おかあさん”と呼んでくれた時のことは忘れません」と勝美社長は振り返る。結局、恭輔氏との間に子供が生まれなかった勝美社長にとって、彼女は自分の腹を痛めた実の子以上の存在だ。
 暮らしぶりは質素で心配事も一向に絶えなかったが、勝美さん、恭輔氏、娘さんと家族3人で暮らす日々が始まった。そして勝美さんにとって最初の大仕事が待ち受けていた。それは“会社を取り戻す”ことだった。
 勝美さんは当時、大野城市にあった同社工場で働く恭輔氏に、福岡市内の自宅から弁当を自転車で届けるのが毎日の日課だった。10月のある日、弁当を届けると、そこで働く事務員が勝美さんにそっとこう言ったのだ。「奥さん、取り戻すのなら今ですよ」と。勝美さんは最初何のことやらわからなかった。

衝撃の事実を知る

経営権を取り戻しゼオライトは再出発した

経営権を取り戻しゼオライトは再出発した

しかし、よくよく聞いてみるとそれは驚くような内容だった。実は恭輔氏は勝美さんとの結婚前、支払手形の資金手当てがどうしてもつかず、借金のカタに会社の実印と権利証をある会社の経営者に取られていたのだ。つまり恭輔氏は社長ではなく共同経営者の専務だった。恭輔氏はどうしても話せなかったとわびた。勝美さんは早速行動に出た。
 「私は男に生まれるべきだったのかも」と勝美さんは言う。
 「あの時は何が何でも実印と権利証をもって帰ろう、という強い気持ちだった。言ってみれば“なにくそ根性”ですわね」
 その経営者を前に勝美さんは、両手をついて泣きながら必死で訴えたという。その気持ちが通じたのか実印と権利証は取り返すことができた。
 しかし、その経営者は悪質だった。恭輔氏名義で支払手形を乱発しており、約5000万円の借金を背負うこととなった。返済にはその後5年あまりの歳月がかかることになる。恭輔氏は後に、この時の勝美さんの働きを「勝美の強さには心を打たれた」と自著で述べている。
 ともあれ会社は取り戻すことができた。大きな借金を背負ったため18人いた社員は全員辞めてもらった。1984年11月、新生ゼオライトは、勝美さんと恭輔氏の二人きりで文字通り二人三脚の再スタートとなった。

河村勝美 プロフィール(かわむら・かつみ)

1943年広島県尾道市(旧瀬戸田町)生まれ。広島県立瀬戸田高校卒業後、旧瀬戸田町役場に就職。その後個人病院の医療事務などを経験、ゼオライトの河村恭輔現会長と結婚。恭輔氏と二人三脚でゼオライト「第2の創業」に携わる。2013年、東京営業所を支店に昇格、さらなる事業拡大を目指す。

企業データ

ゼオライト株式会社

福岡県福岡市博多区那珂5-1-11
事業内容:水処理プラントの開発・販売・メンテナンス事業、浄水器・宅配水販売事業
資本金:9000万円
売上高:28億円


掲載日:2014年4月24日


このページの先頭へ