前述したように、27歳で妻をめとった本田は、いつしか地方の名士となっていたが、翌年、繁盛していた修理工場を突然、閉じてしまう。この場合の理由が、いかにもこの人物らしい独善的なものであった。
なぜ、店を閉めたのか。車の修理技術を教えた工員たちが、ボツボツ独立して店をもつようになり、それらと競合するのが嫌だった、と本田はいうのである。
このあたりに、一介の町工場の主で終わる人と、世界に飛躍する人の差があったのかもしれない。本田には自分に対する全幅な信頼、身につけた技術に関する満々たる自信があった。
無論、経営者としての読みもあったようだ。
昭和12年(1937)の支那事変以来、日本は統制経済に移行、それを強化したこともあり、自動車を修理するための、材料の入手がそもそも難しくなっていた現実もあった。
