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明治・大正・昭和のベンチャーたち
第4回 「松永安左エ門――官に抗し9電力体制を築いた男(4)」

目次

安左エ門案を基礎に電力事業再編

 歴史は人間と人間との出会いによって決まるとは史家の常套句だ。ケネディ顧問は最初に会ったときから「電力の鬼」と呼ばれた老人に好感を持った。ケネディ顧問は電力国有化に反対し、野に下った経緯も知っていた。その気骨にリベラルな思想を感じ取ったのであろう。安左エ門は率直に自説を開陳してみせるのであった。ケネディ顧問が陰に日向に安左エ門を支援するのは、このときからである。7年余も隠遁生活をしていた安左エ門ではあったが、それにしても、年齢を感じさせない精力的な働きぶりを示し周囲を驚かす。しかし、審議会では孤立した。ワンマンぶりも災いし、世論は猛反発する。安左エ門は憎々しい敵役となってしまったのである。安左エ門の私案というのは、日本発送電を解体して全国を9分割するものである。委員の一人であった日鉄社長の三鬼隆は、日本発送電を縮小して残す案を出し、委員の多くは、これを支持した。電力事業という重大国策を多数決で決するとは何ごとかと暴言を吐き、委員会で安左エ門は孤立を余儀なくされた。

 こうして出されるのが「両論併記」の答申であった。GHQの考えは安左エ門の私案に近かった。しかし、「9地域・9送発電体制」を主張する松永私案とも距離があった。GHQが目指す基本方針が集中排除の完全実施であったからだ。すなわち、送発電分離を目指すGHQは分割会社が「送発電を併業」することは認められなかったのだ。結局、GHQは答申を否認した。そのため審議は大混乱を起こした。しびれを切らしたGHQは、吉田首相に書簡を送り、電力再編の実施を強く迫り、進展窮まった吉田内閣は、松永私案を基本に据えた電力再編令と公益事業令を昭和21年11月に発布し、決着を図った。ときあたかも朝鮮戦争が勃発し、兵站基地として日本産業を再編する必要に迫られたGHQもこれを認めざるを得なかったのである。政令を実施に移すため、政府は公益事業委員会を発足させる。元満鉄副総裁や戦後幣原内閣で国務大臣を務めた松本烝治を委員長に据えてこの委員会はスタートする。もちろん、5人の委員に安左エ門も加わっていた。

電力料金値上げに踏ん張る安左エ門

 電力事業再編過程での安左エ門は文字通り「電力の鬼」だった。超ワンマンぶりを発揮したこともある。しかし、何よりも自由主義経済の旗を高く掲げ、自説に一歩たりとも譲歩の姿勢をみせなかったことにある。電力事業再編という大事業を成し遂げたあとも、世間は安左エ門を必要とし、その要請に応え、活動を続ける。それは専ら敵役としての役割だった。往事の課題のひとつは「9電力体制」を維持するための、安定した資金の確保だった。そこに膨大な需要があるのに日本経済はいずこも資金不足に悩み、設備投資ができずにいた。電力業界も事情は同じことで、必要資金は国内では賄うことができなかった。安左エ門は、その調達先を海外に求めたのであった。盟友福沢桃助が木曽川の電力開発で資金調達に悩み、一人渡米して電力債を発行したのは、よく知られる事実だ。その手法に学び、安左エ門は外国債の発行を思い立ったのである。

 しかし、日本経済は戦争の打撃で疲弊していた。電力会社の基盤も脆弱 である。いまの状態では外国投資家に見向きもされぬ。電力首脳を集め、そこで安左エ門が説いたのは適正価格にもとづく料金の算出だった。要するに電力料金の値上げだ。算出された値上げ幅は平均67%に達した。誰もが公表を躊躇した。それを知った世論は猛反発した。批判は安左エ門に集中し、労働組合は大会を開き、松永委員長代理の更迭を要求した。産業界や労働組合だけでなく、政府の内部からも反対の声が出てくる始末で、ここでも安左エ門は悪役に徹した。安左エ門は「文句があるなら代案を出せ!」と居直り、その態度は「鬼気迫るものがあった」と同僚委員は後に述べている。ともあれ、安左エ門のがんばりで平均30%の値上げが認可され、これによって電力株価は上昇に転じ、外債発行で2年余りのうちに、200万Kwの設備投資が行われることになった。

詩人ウルトマンと「電力の鬼」との関係

 安左エ門は盟友小林一三と同様に文人としての顔を持つ。慶應時代に学 究を志した安左エ門であるが、安左エ門はサミュエル・ウルトマンやアーノルド・トインビーの翻訳者としても知られる。ウルトマンの詩の一節に「年を重ねるだけでは老いではないが、理想を失うときに初めて老いが来る」という言葉がある。柳瀬山荘に隠棲して、不遇をかこっているとき、安左エ門は自らの人生に重ね、この詩を翻訳していたのであろうか。そう考えると安左エ門のもうひとつの素顔が浮かび上がる。安左エ門は有名な茶人でもあった。柳瀬山荘に設えた茶道具は国宝級であった。その一部は国立博物館に残されている。

 昭和47年6月に安左エ門は逝く。享年97歳であった。受勲を謝絶し、葬儀を行うことも遺言で止めさせ、法名もない。世俗にまみれながらも、世俗に染まらず、福沢諭吉から薫陶を受けた自由主義の道をひたすら歩み、死ぬまで現役を通した。電力中央研究所は安左エ門の偉業を称え、『松永安左エ門の思い出』を刊行している。寄稿した人びとの数は200名を超える。実に広い交友関係を築いていたのである。平成の御代、再び電力改革が世情で議論されている。送発電分離が焦点だ。しかし、改革は遅々として進んでいない。地下の安左エ門はこの事態をどうみているのであろうか。眼光炯々とさせ、細身の長身を杖で支えながらも、幕僚たちを怒鳴り上げる声が聞こえてくるようだ。(完)

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