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明治・大正・昭和のベンチャーたち
第3回 「松永安左エ門 - 官に抗し9電力体制を築いた男(3)」

目次

「松永は財界の共産党」

 東京に乗り込んだ東邦電力を迎え撃ったのが、藤岡市助の発案で発足した東京電灯。安左エ門は大正14年に群馬電力と早川電力の合併で発足した東京電力を、全面に押し立てて攻勢に出た。世情「東電・東力戦争」と呼ばれた覇権争いを収束させたのは、三井財閥の大番頭・池田成彬であった。池田をして「松永は財界の共産党」と言わしめたのはこのときのことであった。昭和2年、東京電灯と東京電力は合併し、新会社・東京電灯が発足し、血で血を洗う「電力戦争」は収束をみる。誰の目にも安左エ門が中央制覇を果たしたかにみえた。しかし、安左エ門は一取締役に過ぎなかった。ついでながら、東京電灯の新社長には若尾璋八が、取締役営業部長には阪急電鉄の小林一三が就任した。本来なら安左エ門が社長になるべきだったが、それが実現しなかったのは池田の思惑からだった。

 昭和に入り、時局は戦時体制へと急展開を遂げる。それでもなお全国各地で電力紛争が頻発していた。こうしたなかで「電力国有化」の議論が革新官僚の間から持ち上がる。安左エ門は旗幟鮮明にして「電力国有化反対」の意志を表明する。国有化されれば、自由な企業家精神は死ぬ――と、堂々たる論陣を張るのであった。それは福沢諭吉から薫陶を受けた自由主義経済の信念の発露でもあった。こうしたなか昭和3年に盟友福沢桃助は経済界からの引退を表明する。昭和11年、時局は暗転する。昭和初期から経済人に対するテロが頻発し、軍部独裁の道が拓かれるのは2・26事件が契機だった。こうしたなか広田弘毅内閣が発足。逓信大臣に電力国有化主義者・頼母木敬吉が登用されたことで、いよいよ国有化は現実味を増してくる。その頼母木を支えたのが奥村喜和夫ら、内閣調査局のいわゆる「革新官僚」たちであった。しかし、少壮軍人が政治に口を挟み、革新官僚と称する連中が幅を利かせるようになるのは、時代の勢いというものだ。

電力による日本再建プラン

 広田内閣のあと、近衛内閣が発足する。昭和12年のことだ。この内閣で「電力国家管理法」が成立する。それより前の昭和10年に内閣調査局は「電力国策要旨」を発表している。国有化の議論は電灯会社が発足した大正初期にさかのぼることができる。ともあれ国有化論議はときの流れであった。こうした動きに対抗するため、安左エ門は米国の超電力連携構想に学び、①周波数60サイクルに統一、②地域間を超高圧幹線で結ぶ電力の相互融通、③電力を統合送電する「大日本送電」構想など打ち出し、財界の有力者や5大電力の経営者に働きかけた。しかし、賛成に回ったのは、財界では根津嘉一郎だけだ。安左エ門は「この案が採用されたら、我が国の電力は余程すっきりしたものになったはずである」と後に悔やんでいる。昭和17年には、政府は配電事業の国家管理に乗り出し、既存民営電力会社を解散させ、全国9分割し、9つの配電会社を作った。反対を封じ込めるため、政府は国家総動員法を適用する。こうして電力の民営時代は終焉するのであった。

 その前年、安左エ門は一切の公職から引退して、自らを「耳庵」と名乗り、所沢の柳瀬山荘に隠棲する。電力の国家管理に反対していた同士たちも、例えば、安左エ門の子飼いとでもいうべき益田次郎は新発足した日本発送電総裁に就任、生涯の盟友小林一三は第二次近衛内閣の商工大臣に就くなどそれぞれ国策協力の道を歩み始める。このときに安左エ門67歳。しかし、安左エ門の時代を見る目は確かだった。炯々たる眼光で世の中を見ていたのだ。終戦の詔勅を聞いた、その日安左エ門は訪ねてきた親しいジャーナリストに「これからは僕が米国と戦争する番だ」と語っている。その予言は正しかった。柳瀬山荘に隠棲している安左エ門を世間は放っておくはずもなかった。終戦の翌年から、安左エ門の周辺はにわかに忙しくなる。経済界の重鎮たちが柳瀬山荘を頻繁に訪ねるようになったからだ。この時期安左エ門は密かに「電源開発による日本再建プラン」を構想していた。

■安左エ門をおいて他に適役なし

 昭和22年、GHQは電力の国家管理が戦争遂行の遠因となったとして、電力事業を再編し、民営化することを日本政府に求めた。これに先立ち、民主改革で発足した電気産業労働組合(電産)が猛烈な労働争議に突入する一方で、「官僚統制の撤廃と送発電事業の全国一元化」を経営陣に要求 した。他方、GHQの態度が鮮明になるにつれ、電力再編必至の状況のなかで日本発送電と九配電の関係は険悪となる。日本発送電は全国一社案を提示したのに対し、九配電側が民営化を前提に発送電を地区別に設立する案を対案として示したからである。民主・社会党の連立で成立した片山哲内閣は、日本発送電に近い裁定案を提示し、事態の収拾を図ろうとした。 しかし、GHQから黙殺される。これでは集中排除の目的が達成できないと判断されたからだ。この間にも幾つもの再編案が提示されては消えていく。そこに米国専門家チームによる「全国7ブロック案」が提示された。

 片山内閣が倒壊してあとを受け発足する第二次吉田内閣は、GHQに対 し「検討期間の延長」を陳情する。全国7ブロック案では、国策としての電力事業を実現できないと判断されたからだった。これに対し、GHQのケネディ経済科学局顧問は日本人による権威ある委員会の設置を求めた。吉田首相が苦慮したのは委員会メンバーの人選だった。そこで吉田は池田成彬に相談する。池田が推薦したのは松永安左エ門だった。他方、稲垣通産大臣は進藤武左衛門資源長官に相談する。東邦電力の社員でもあった進藤は、安左エ門と親しかった。戦時中、国有化に反対し、野に下った理由も知っている。国家管理を解体し、新しい電力体制を作るには、松永安左エ門を他においてないと推薦する。こうして隠棲していた安左エ門が第一線に踊り出るのだった。ときに75歳であった。(つづく)

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