明治・大正・昭和のベンチャーたち

日本はいま百年に一度あるかどうかの一大変革期であり、新しいビジネスを生み出す絶好のチャンス。同じ変革期であった明治・大正・昭和の経済人たちから、無から有を為す技を学ぶ。

山本条太郎 - 情報をカネに替えた草分けの商社マン

目次

米資本を相手にした壮絶な闘い

 中国市場の先駆者は欧米企業だ。とりわけ大きな商権を持っているのは、英国系の資本だ。上海にはこれら英国系資本が盤踞している。これらは相手の商戦である。上海ばかりではない。中国各地に彼らは、強力なネット ワークを張り巡らせている。強大な国力を背景にした商権は、不動のように見えた。商売の規模が大きくなるにつれ、衝突する機会も増えてくる。挑戦を挑む日本はまだ二等国。欧米資本を相手に、条太郎はよく奮戦した。資本力や軍事力ではかなわない。そこで知恵を絞った。欧米資本も譲らない。相手は寸部も入れない構えなのである。揚子江の覇権をめぐる英国資本との闘いでは、ようやくのことで割り込みに成功する。

山本条太郎本社常務に昇進す

 三井物産の歴史をたどるなら、国際的な商社として大きく飛躍するきっかけとなったのは、中国市場で基盤を築き上げたことだ。世界の海にとどろく三井物産の名声。中国に始まる三井物産の国際舞台での活躍の端緒を切り開いたのは山本条太郎だ。中国での成功を評価されて、明治40年、凱旋将軍として三井物産東京本社に帰還する。本社も山本の働きをよく知っていた。彼に与えられた地位は本社理事だった。横浜支店の小僧からたたき上げ、中国に各地を転戦し、大きな戦果を上げての凱旋だ。

 翌明治41年に山本条太郎は常務に昇進する。山本が絶好調の時期だ。もう三井物産を背負って立つ、社長の道もあとわずかだ。本人も周囲も信じた。条太郎の前途は栄光に満ちていた。しかし、事態は暗転する。人の運命というのはわからぬもので、それから5年後、海軍上層部を巻き込む一大疑獄事件に連座するのだった。山本条太郎は山ッ気の多い男だ。権力とも平気で結びつく。軍との関係は日露戦争以来続いていた。その関係を商売に利用した。政商と陰口をたたかれた所以でもあった。

海軍某重大事件の連座

 条太郎は大正のロッキード事件に巻き込まれる。シーメンス事件だ。事件の経過・性格とも、最初に報道したのが外電であったこともロッキード事件に似ていて、軍艦など兵器輸入にかかわる旧日本帝国海軍の構造汚職事件だ。事件発覚の端緒になったドイツの兵器会社シーメンス社の贈賄のほか、最後の輸入戦艦として知られる「金剛」の建造に際し、代理店の三井物産を介してイギリスのビッカース社からも多額の贈賄がなされていたことが摘発された。事件は、沢崎寛猛海軍大佐らの収賄が摘発され、ついで戦艦「金剛」の建造(代金約2400万円)にかかわって、輸入代理店三井物産が発注先のビッカース社から得たコミッションの3分の1、約40万円を当時海軍艦政本部長であった呉鎮守府司令長官松本和中将へ渡していたことが明らかにされた。

 三井物産は明治43年の発注時に、技術顧問の元造船総監松尾鶴太郎を通じて海軍高官に発注工作をしていた。山本条太郎の関与も疑われた。受け取った金は、松本中将が海軍大臣任官の政治資金だったものといわれ、収賄金の一部が斉藤実海軍大臣にも渡ったことも暴露される。軍備拡張の下で噂になってきた財閥と政府・軍部との癒着結合の一端が白日の下にさらされ、これに政争が加わり、尾崎行雄、犬養毅ら野党は激しく政府を糾弾したものだった。収賄罪に問われた軍人たちは、高等軍法会議でそれぞれ免官位記返上勲等功級褫奪、3年以下の懲役ならびに追徴金の判決を受け、贈賄罪の松尾、岩原謙三、山本条太郎ら三井物産関係者たちは、東京控訴院で執行猶予付きの懲役刑が確定した。

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