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明治・大正・昭和のベンチャーたち
三野村利左衛門 - 情報に通じた目利きの番頭

目次

知恵あるものを使え!

 利左衛門はあるとき、渋澤栄一を屋敷に訪ねた。発券銀行を設立するに際して、いったい「バンク」をどのように日本語に訳するかである。評伝によれば、三野村はほとんど文盲に近く、学問がなかった。渋澤ならば知恵があるかもしれない。それで渋澤栄一を訪ね相談したのである。おりから渋澤は、日本に銀行を創設すべく米国の銀行条例の翻訳にあたっていた。当時の辞書には「兌換舗、両替座、為替座」などの訳例が認められる。渋澤は腕を組み考えた。それらの訳例は銀行業務の一部を表現するに過ぎないからだ。米国の銀行条例を調べてみると、兌換を前提に銀行券を発行しているほか、両替、為替の取り扱い、債券や出資の引き受け、預金などの業務も加わっている。

 当時の金融業というのは、かなりの発展をみていたのである。要すれば、実体はあったが、概念がなかったということである。古いフランス語の Ban que は両替屋の「机」ないしは「カウンタ、ベンチ」を意味する言葉である。渋澤がそこまで調べ上げたかどうかは解らないが、少なくとも、両替屋や為替座という狭い範囲の業務に限らないことは、米国の銀行法を勉強して知っていたはずである。渋澤は中国の古典にもあたっている。中国には「洋行」という言葉ある。外国と交易を行う「会社」を意味する言葉だが、渋澤はこの中から「行」を取り、それに「金」を加え「金行」ではどうか、と利左衛門に示した。だが、当時は紙幣といえば兌換券を意味し、すなわち、紙を金と交換することを約束していた。しかも、これには「銀」も含む、と利左衛門は言う。渋澤はあれこれ考えた末に「銀行」というのを、三野村に提案した。こうして「銀行」という造語が誕生する。ネーミングは重要である。そこで知恵者から知恵を引き出す――見事な利左衛門の才覚である。

非凡なる才腕

 明治6年4月、利左衛門は三井家で大元方執事に就任している。三井家の内外総括を一任された利左衛門のもとで三井家は家政改革を行っている。その前年、三井家の子弟5名と手代2人を銀行業務を実地で学ぶためアメリカに派遣している。世情なお騒然としているなか一族子弟のほとんどを海外に送ることは、かなりの蛮勇というべきだった。家政改革では三井同族の役割を明確にするとともに、大元方と呼ばれた重役たちの序列を定めたことである。これにより、財閥組織としての基盤を固めるとともに、次ぎのステップに向かって着実に手を打っていくのである。しかし、外圧も強まる。発券銀行の設立をめぐっては渋澤栄一と対立し、海運事業では新興勢力の岩崎弥太郎の三菱と凄絶な闘いを余儀なくされるのであった。心血を注いだ第一銀行が倒産の危機に曝されるのは明治7年のことだ。江戸期以来の名門小野組が倒産し、危うく三井も巻き込まれそうになった。井上馨など政府要路と緊密に提携しながら、その危機を救うのが、またも利左衛門であった。

 世間は「人の三井」という。利左衛門は三井家の家政改革を行う一方で、人材の育成に務めた。国家を担う巨大企業に必要なのは人材であると考えたからだ。「人の三井」と呼ばれるがごとく多くの人材を輩出している。冒頭に登場し、利左衛門を顕彰する文章を書き残した益田孝も、その一人だ。明治の時代にあって、企業留学制度を作ったのも、利左衛門であった。山本条太郎も、三井にふさわしい人物だ。山本は明治15年、三井物産に入社し、中国における三井の利権を築き上げた人物で、後に南満州鐵道株式会社の総裁を務めたほか、政界にあっては、政友会幹事長などを歴任したほか、長く貴族院議員を務めたことでも知られる。中上川彦次郎の名前も上げておかなければならないだろう。中上川は豊前中津の生まれで、母は福澤諭吉の姉にあたる。もうひとり名前を上げるとすれば、池田成彬も忘れてならぬ三井の人材だ。池田は山形米沢の出だ。

我が国最初の銀行創設

 銀行設立につき、渋澤栄一のもとをたびたび訪れ、相談していたのは、先に触れた。利左衛門の努力がみのり、我が国最初の銀行「第一国立銀行」が発足するのは、明治7年のことだ。しかし、この銀行は不遇だった。開業一年もたたないうちに、世界的な金価高騰の影響をまともに受け、殺到する「兌換要求」に応じきれず存亡の危機に立たされる。この影響で共同出資者であった小野組が倒産する。小野組は江戸期から続く名門の両替商だった。影響は三井を襲った。その危機を救ったのは、やはり利左衛門だ。利左衛門は政府の要路筋に働きかけ、急場をしのいだのである。それどころか、三井は第一国立銀行の実質的な支配者になったのである。渋澤は「銀行は三井の銀行にあらず」と怒ったが、その後利左衛門は「三井銀行」を設立する。

 三井財閥の中核的企業・三井物産を、利左衛門の発議により設立するのは、翌明治9年7月のことである。三井物産の設立には、盟友益田孝も動いた。明治7年から明治9年にかけては、三井財閥の基礎となる「三井銀行」「三井物産」が設立され、三井財閥の近代化と、その後の発展を築き上げた時代でもあった。同時に利左衛門が経済人としてもっとも輝いた時代でもある。明治8年、三井高福総長(頭取)のもと、三井銀行の副長に就任した。翌9年7月の開業のとき、利左衛門は三井銀行総代理となった。これは実質的な頭取就任でもあった。しかし、人間の運命はわからないものだ。

 最後の輝きだったというべきであろう。利左衛門は明治10年2月、胃癌のため世を去る。57歳だった。三井家は大番頭三野村利左衛門の死を悼み、当主を葬儀委員長にした盛大な葬儀を行っている。極貧から身を起こし、無学でありながら、幾多の危機を乗り越えて、資本主義のカナメとでもいうべき、近代銀行業を興した利左衛門。彼の非凡なる才腕を思うとき、人は学歴にあらず――を教えてくれる。(完)

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