明治・大正・昭和のベンチャーたち

日本はいま百年に一度あるかどうかの一大変革期であり、新しいビジネスを生み出す絶好のチャンス。同じ変革期であった明治・大正・昭和の経済人たちから、無から有を為す技を学ぶ。

中部幾次郎 - 大洋漁業の創業者

目次

またも粘り勝ち

 体制は林兼商店に不利だった。しかし、幾次郎は部下を督励し、あるいは自ら東京に出向き、ときの農林大臣をはじめ水産当局に、ねばり強く意見を具申し、ときにはパンフレットを作成し、関係方面に配布するなどして、極力政府に反省を求めた。幾次郎が水産統制に反対したのは、①統制により船主と船員との結びつきが弱まり、②船主の創意工夫が失われ、③寄り合い所帯の弱点が露呈し、事務が繁雑となり、④経費のみが膨らみ、⑤結果、漁獲は低減し、新体制の目的を達成できない――からであった。自らの会社に責任を持つ経営者ならば、当然な要求であり、言い分だった。

 幾次郎の主張は異端と見なされた。もとより、幾次郎は情勢の厳しいことは、よく承知していた。しかし、幾次郎には許せなかった。戦争協力を拒否する「非国民」なるレッテルを貼られることも覚悟の上だった。頑固オヤジと罵られもした。しかし、幾次郎の信念は不動だった。とはいえ、さしもの幾次郎も時勢に勝てるはずもない。粘りに粘り、抵抗に抵抗を重ねたが、昭和17年9月に水産統制会が発足を見る。それでも幾次郎の主張が一部認められ、販売部門だけを帝国水産が担当し、生産部門は地域と業種により、三つの統制会社に分けられることになった。すなわち、林兼商店は西太平洋統制会社を、日本水産は日本海洋漁業統制会社を、日魯漁業は北太平洋統制会社を――それぞれ引き継ぐことになり、林兼商店は社命変更を余儀なくされたものの、企業主体は存続させることができた。すなわち、名を捨て実を取ったというわけで、幾次郎はまたも粘り勝ちしたのである。

ビジネスは平凡な営為

 頑固に信念を貫く。ひとたび思いつき、やり始めたことは、どんな困難があっても最後までやり抜く。明治大正昭和の時代を大急ぎで駆け抜けていった男に、周囲がつけたあだ名は「ガンジジ」だった。意味は「ガンコジジイ」である。しかし、幾次郎はただの頑固者ではなかった。時代を見抜く確かな目を持ち、事業を展開する構想力を持ち、それをやり遂げる勇気と行動力があった。人は幾次郎が手がけた事業を、ちょっとしたアイデアとしか見なかった。和船にエンジンを搭載したときも、そうである。自ら造船業を立ち上げたときは、同業者から嘲笑されたものだ。戦時下の統制会社問題が浮上したときには、異端者と見なされ、非国民呼ばわりされたこともある。

 幾次郎は虚名を嫌い、実に生きた人物である。幾次郎はたいそれたことを、やろうとしたわけではない。目の前にある問題を解決する努力を続けてきただけだ。明石の浜辺で来る日も来る日も天気を占い、魚価を予想した、あの努力だ。和船に取り付けるエンジンの開発でも、そうだった。幾次郎から学ぶべきことの一つは、ビジネスというのはきわめて凡庸な営為であるということだ。天才は不要、しかし、努力は必要。そして実行に移す勇気と行動力だ。この人物の場合、それがビジネスを成功に導いたのだった。幾次郎は長生きした。幾次郎は80を過ぎても、なお明石の浜辺に立ち、空を眺めていたという。(完)